【巻頭エッセイ】

「悪魔は存在するのか」

                                 日本文化チャンネル桜代表 水島 総

文芸評論家の江藤淳は、「南洲残影」において、大日本帝国が世界の列強に対し
て起こした大東亜戦争を、西郷南洲が明治政府に対して起こした「西南の役」に
喩えた。
初めて読んだとき、私はこの指摘に衝撃を受けた覚えがある。

小林秀雄も、江藤と同様、私の畏敬する文学者のひとりだが、小林は大東亜戦争
が続いている中、「平家物語」を愛読していたらしい。
西欧近代主義と日本をテーマに文筆活動を展開した二人が、どのようなスタンスと
姿勢で、あの戦争を見ていたか、さまざまな想像が浮かぶ。

それにしても、二人のような高い見識を持った「知識人」が少なくなったと、つくづく
感じる。
最近、薄っぺらな人間観や世界観で、状況論を得々と展開する論壇誌などの文章
に辟易しているので、小林秀雄の文章などを読み返すと、いつでも新鮮な再発見が
ある。

「彼はプロパガンダを、単に政治の一手段と解したのではなかった。
 彼には、言葉の意味などというものが、全く興味がなかったのである。
 プロパガンダの力としてしか、凡そ言葉というものを信じなかった。
 これは信じがたいことだが、私はそう信じている。
 あの数々の残虐が信じ難い光景なら、これを積極的に是認した人間の心性の
 構造が、信じ難いのは当たり前の事だと考えている。
 彼は、死んでも嘘ばかりついてやると決意し、これを実行した男だ。
 つまり、通常の政治家には、思いも及ばぬ完全な意味で、プロパガンダを遂行
 した男だ。
 これは人間は獣物だという彼の人性原理からの当然な帰結ではあるまいか。
 人間は獣物だくらいの意見なら、誰でも持っているが、彼は実行を離れた単なる
 意見など抱いていたわけではない。」
    小林秀雄 「ヒットラーと悪魔」より

小林がヒットラーについて書いた文章の一部だが、これを現代の中国共産党の指
導者に当てはめるとよく理解できる。
しかし、彼の国では、ヒットラーばりの「人生観」「世界感」を持たなければ、統治など
出来ないだろうとも感ずる。

しかし、例え、彼らが私達とは全く違う世界観を持っていたとしても、大事なのは、
そういう「悪魔」のような連中が、この世界には明確に存在するという、厳然たる事
実の自覚である。
同時に、騙され、操られ、「悪魔」の手先になって働く人間も、我が国の中には存在
するという事実である。

そのひとつの典型が、四月五日、NHKで放送された「NHKスペシャル シリーズ『JA
PANデビュー』 第1回『アジアの“一等国”』」だった。
日本の台湾統治を題材にしたこの番組は、プロパガンダ謀略工作の全ての要素を
含んだ極めて悪質な「ドキュメンタリー」番組である。

何より悲しいのは、一党独裁の血ぬられたファシスト政権のお先棒を担ぎ、台湾併
合の地ならし役を演じている売国日本人の滑稽と悲惨である。
恐らく彼らは自らを「平和」とアジアの友好を生みだす担い手とでも能天気に考えて
いるのだろう。
だから、週刊誌やインターネット上でも騒がれ、その「超偏向番組」ぶりが評判にな
っているが、NHKは全くそれを認めず開き直っている。

しかし、あの番組は、紛れもなく「村山談話」に代表される反日反米親中の旧社会
党「平和」路線に貫かれた番組作りと、中国共産党の日本支局が製作したのかと
目を疑うばかりの、中共台湾併合戦略のお先棒を担ぐ内容となっているのである。

それだけではない。
毎回放送される番組のタイトルバックには、反皇室、反日の謀略意識操作の編集
方法が秘かに行われていたのだ。
彼らの致命的な失敗は、テレビでは禁じられた「サブリミナル効果」の犯罪的手法
を採用していた事である。
チャンネル桜の番組「桜プロジェクト」や討論番組でも、私は指摘したが、この番組
のタイトルバックの編集は、許し難いことに先帝陛下(昭和天皇)に狙いを定めて、
国民の反皇室意識と反日、自虐意識を醸成せんとする手法を採っていた。

NHKがどんなに誤魔化しても、作られた謀略映像がそれを証明している。
NHKはそれを放送と言う形で日本国民に公開してしまった。
動かぬ証拠が遺されたのである。

私も陣頭指揮を取り、チャンネル桜は、台湾取材も含め、徹底的に、この問題は
追及していく。

先日、映画「南京の真実」第二部の取材で、南京攻略戦に参加した稲垣さんという
元陸軍少尉で獣医だった方を訪問した。
今年で、稲垣さんは数えで百歳になる。
明治の終わりごろの生まれだが、「南京大虐殺」の嘘に対する怒りと日本の子孫
の為に、何としてでも嘘を正したいと願う姿勢には、心底感心させられる。
明治の男子日本人の気概と獣医としての知性が、お会いするたびに感じられ、私
も齢を重ねるならかくの如くありたいと思う。

稲垣さんは、いつも
「私は南京に四十六日間いましたが、南京大虐殺なんてこれっぽっちも無かった。
 あったのは戦争だけだ」
と繰り返し話される。

少なくとも、「悪魔」に魂を売ったようなNHKの番組とは異なり、どんな時でも「日本
人」を信じ、希望を失わない百歳の明治人から学ぶことは多い。
                 
「悪魔を、矛盾した経済機構の産物だとか一種の精神障礙だと考えて済ませたい
 人は済ませているがよかろう。
 しかし、正銘の悪魔を信じている私を侮ることは良くないことだ。
 悪魔を信じられないような人に、どうして天使を信ずる力があろう。
 諸君の怠惰な知性は、幾百万の人骨の山を見せられた後でも、
 『マイン・カンプ』に怪しげな逆説を読んでいる。
 福音書が、怪しげな逆説の蒐集としか映らないのも無理のないことである、と。」
    小林秀雄 「ヒットラーと悪魔」より



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