【巻頭エッセイ】

「持ちこたえること」      日本文化チャンネル桜代表 水島 総

先週、「愛書連」の主催で「ドイツ文学とチャンネル桜」という題で講演をさせて
いただいた。
私は大学時代ドイツ文学を専攻したが、卒業論文のテーマとして、世界的作家
トーマス・マンとヨーロッパ近代思想の関係、特にその終焉について取り上げた。
ルネッサンスから始まったヨーロッパ近代が、実は「まがいもの」であり、その
結果が二つの大戦の勃発やナチスやスターリン主義の化け物を生み出したと
いう論旨で、その頃一般に言われていたトーマス・マンが進歩的文化人である
という主張を全面撤回させようとするものだった。

同時に、これは私の一生を決めるマルクス主義的戦後思想の徹底的な克服、
解体作業でもあった。
大げさに聞こえるかもしれないが、これがやれなければ生きていけないと、
本当に「命がけ」で書き上げた。
私の論文は担当教授から思わぬ高い評価を受け、強く大学に残るように
勧められた。
一時はその気になって学者になろうと考えたが、その直後、父の経営していた
会社が親会社の倒産を受けて連鎖倒産し、その手伝いやら何やらの世俗的
ゴタゴタで、その気が失せた。
そして、好きだった映像の世界に入り込んでいくようになった。

トーマス・マンは、私が最も尊敬する作家である。
三島由紀夫、北杜夫、吉行淳之介等、マンの影響を受けた日本の作家は
数多い。
そのトーマス・マンの座右の銘が、ドゥルヒハルテン=durchhalten という言葉
である。
日本語だと「持ちこたえること」の意味である。

それを知って以来、私の座右の銘にもなった。
今もそれは変わらない。
チャンネル桜の創立から、これまでの苦しい道程も、そして、南京大虐殺キャ
ンペーンとの情報戦でも、常にこの言葉「持ちこたえること」を頭に浮かべな
がら歩んできた。

二十世紀初頭に起きた二つの世界大戦を生きながら、トーマス・マンは偉大な
ドイツ文化の崩壊過程を見つめていた。
ナチスやスターリン主義の横行の中で、ヨーロッパ近代は崩壊過程にあった。
その最後の砦として、トーマス・マンは屹立し、壮大な文化の総退却戦を戦って
いた。
それは死と隣り合わせの孤独な「しんがり戦」でもあった。
マンの代表作である「魔の山」のラストは主人公の青年が、ヨーロッパ近代の
思想や哲学の象徴だった山を降りて、現実の戦争に参加している姿で終わる。
彼はリンデンバウムの歌を口づさみながら、ドイツ文化の「死の散兵戦」
「退却戦」を戦い抜くのである。

目には見えないが、人の心にある最も大事なもの、最も美しいもの、それを護る
ために戦うトーマス・マンの姿は、二十一歳だった私に、何と「武蔵坊弁慶」の
イメージを思い浮かばせた。
なぜ、トーマス・マンが弁慶なのか。
私には、マンの文学と生き方が、源義経の自害の瞬間を守るため、無数の
矢に射立てられながら立ったまま憤死した「弁慶の立ち往生」のごとく思えた
からである。  

トーマス・マンの文学と出会った私は、それまで教えられ、信じ込まされて来た
戦後民主主義的価値観をことごとく解体し、捨て去ることが出来た。
この偉大なドイツ作家は、朝日岩波少年だった私に、日本人が長い間培って
きた伝統的人間観、世界観への扉を開いてくれたのである。
私は、日本に「帰還」したのである。
ドイツ人そのものであり、ドイツ文化そのものだったこの作家の生き方と作品が、
普遍的な世界性を得るという実例は、朝日、岩波のもてはやしていたいかがわ
しい「世界市民」「インターナショナリズム」との際立った本質的相違を明確に
させてくれた。

十九世紀の終わりから二十世紀の初め、戦争の時代に突入したヨーロッパに
あって、マンは良きドイツの伝統「文化」が、英仏の合理主義的近代「文明」や
世界的規模となった戦争によって、痛ましく崩壊していく姿を実感していた。
ナチスドイツの支配と戦争は、ドイツ文化崩壊の「原因」でもあったが、それ以上
に「結果」であることをマンは誰よりも強く意識していた。
マンはドイツ芸術の偉大さと同時に、その「いかがわしさ」を誰よりも認識し、
表現してきた作家だったからだ。

ドイツ伝統「文化」vs英仏近代「文明」の戦いとして、二十世紀初頭の時代を
表現したマンの文学から、私は戦後日本のあり方を日本の伝統文化崩壊過程
として捉え、その総退却戦だと位置づけるようになった。
そして「durchhalten=持ちこたえる」を座右の銘とし、草莽の一人として
「立ち往生する弁慶」たらんと思い始めたのである。
マンの愛読者だった三島由紀夫は、戦後日本にあって、戦後の日本文化崩壊を
「持ちこたえ」て来たが、ついに「立ち往生」して自刃し果てた。

「私のいるところに、ドイツはある」

ナチスドイツから亡命を余儀なくされたマンは、仕事部屋の壁に、自筆でこの
言葉を掲げていたそうである。
戦後日本に生きる私たち一人一人が、この誇りと自覚を持てたらと願うもの
である。
私たちもまた、今、「持ちこたえ」ながら、日本文化の総退却戦を闘っているのだ。

私たちには偉大な先達がいる。
二百数十万とも言われる英霊である。

  「畔の花 召し出だされて桜かな」

散華された特攻隊員のこの遺句は、それを静かに教えてくれる。

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