【巻頭エッセイ】

「大東亜戦争終結の御詔勅」

                   日本文化チャンネル桜代表 水島 総

日本に大きな転換が訪れようとしている。
具体的には、民主党による政権交代だが、その意味するところのものは、
もっと深刻で危機的なものである。
つまり、戦後六十余年にして、いよいよ古来から続いてきた日本という世界
最古の国柄が、現実的に解体、消失しようとしているのだ。
三島由紀夫が自決前に述べた「ニッポン」の現実化である。

「 二十五年間に希望を一つ一つ失って、もはや行き着く先が見えてしまった
 ような今日では、その幾多の希望がいかに空疎で、いかに俗悪で、しかも
 希望に要したエネルギーがいかに厖大であったかに唖然とする。
 これだけのエネルギーを絶望に使っていたら、もう少しどうにかなっていた
 のではないか。

 私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。このまま行っ
 たら「日本」はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする。
 日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、
 中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るの
 であろう。それでもいいと思っている人たちと、私は口をきく気にもなれなく
 なっているのである。 」

というアジアの国「ニッポン」が誕生しようとしている。

二千年以上にわたって、
「ますらをの かなしきいのちつみかさね つみかさねまもる やまとしまねを」
(三井甲之)として、我が国の国体を維持してきた私たちの祖先や、悠久の
歴史を信じ「後に続く」を信じて散華していった英霊を思えば、胸が痛む。

一体、何ということなのか。
私たちの時代に、私たち日本人自身が、この祖国日本を解体させようとして
いるのである。
私たちはそれを阻止出来ぬまま、むざむざ許そうとしている。
祖霊、英霊に合わす顔もない。

雪崩を打つように日本が崩壊していく中、今、私たちは何をなすべきなのか、
何が出来るのだろうか。

以前も、このエッセイで書いたが、私の尊敬するドイツの作家トーマス・マン
は、ナチスに追われてアメリカに亡命したとき、書斎の壁に「私がいるところ
にドイツはある」と書いて貼っていたという。
マンの座右の銘は「duruchhalten=持ちこたえる」だったという。

私自身も、マンと同じ気持ちである。
「日本草莽のあるところ日本はある」
そのように私たちは生き、子孫に伝えていかなくてはならない。

どんな困難な状況にあろうとも、私は日本と日本人を信じるものであり、
日本文化チャンネル桜も同様である。
その信念と姿勢を、私たちは自身の背中によって、未来の日本の子供たち
に見せなければならない。
彼らはこういう状況の中でこそ、大人たちの背中を見ている。

我が国は、物量の差やその他の要因で、大東亜戦争に敗れた。
勝敗は時の運である。
大事なのは、その敗れ方である。
敗れたときの私たちの姿勢であり、態度である。

戦後日本人は、果たして「見事に」敗れたのだろうか。
残念ながら、私たち戦後日本人はそうではなかった。
本当は、私たちが、日本人として誇りと矜持を保ち続ける限り、
「国敗れても 国は滅びず」だったはずなのである。

繰り返すが、特攻に散った英霊たちが「後に続く」を信じ、従容として出撃され
ていったのは、国家や国民、悠久の歴史と文化のために、その命を捧げる
精神が引き継がれるならば、国は敗れても、国は滅びないと、固く信じていた
からである。

日本草莽の皆さんに呼びかけたい。
私たちの祖国は、間もなく大きな崩壊や解体的状況が起きるだろう。
しかし、私たちが、日本人としての魂を持ち続け、そして、皇室がある限り、
日本社会がどんな惨状に陥ろうと「日本はある」のである。

私たちには、絶望が足りない。
絶望的な状況の中で、もう絶望をみみっちい希望と共に語るのはやめよう。
それ以上に、大きく遥かな希望を抱こうではないか。

先人のことを考えれば、まだまだ私たちには、「日本」が足りないのである。

昭和二十年八月十四日、敗戦にあたり先帝陛下におかれては、国民に対して
御詔勅を発せられた。

「 宜シク挙国一家子孫相伝ヘ 確(ヨ)ク神州ノ不滅ヲ信シ 任重クシテ
 道遠キヲ念(オモ)ヒ 総力ヲ将来ノ建設ニ傾ケ 道義ヲ篤クシ志操ヲ
 鞏(カタ)クシ 誓テ国体ノ精華ヲ発揚シ 世界ノ進運ニ後レサラムコトヲ
 期スヘシ 爾臣民其レ克(ヨ)く朕カ意ヲ体セヨ 」

戦後日本と日本国民は、これを実行しなかった。
真剣に実行されるべきは、今である。
第二の敗戦たる今からである。

そういう意味で、一人の草莽を紹介したい。
「日本世論の会」会長の三輪和雄氏のことである。

彼は御自身で「アジの開き」と自称し、「アジ演説で世論を啓く」運動家である
ことに徹すると常々話されている。
彼のNHK抗議運動への関わり方の中で、ひとつ感心させられたことがあった。

真っ先に立ってデモや集会をリードしているのは、いつものことだが、国民大
行動・第二弾のデモ行進の途中、交差点で信号を待つ間、三輪さんはデモを
眺める若者たちに声をかけ、なぜ、自分たちがNHKに抗議しているかを
真面目に説明し始めたのである。
突然、見知らぬオヤジが語りかけて来たので、若者たちは戸惑った表情を
見せていた。

その一生懸命な姿が印象に残った。
「やむにやまれぬ大和魂」を見たように思った。

効果があるから、結果が出るから、得になるから、
私たち草莽は立ち上がるのではない。

「やむにやまれぬ」思いから、静かに、そして断固として、立ち上がるのである。

今年も八月十五日があと一ヵ月でやって来る。

英霊たちは万感の思いで、今年の夏を、私たち日本国民を、見守っている。


  畦の花 召しいだされて桜かな   特攻隊員の遺句


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【お詫びと訂正】

皆様へ

日本文化チャンネル桜代表の水島でございます。
いつもメルマガの巻頭エッセイをお読みいただき、ありがとうございます。
七月十八日、メルマガにて皆様へお送りいたしましたエッセイに
「敗戦の御詔勅に還る」という表現がありました。
これは、終戦の御詔勅、大東亜戦争終結の御詔勅とすべきでありました。
お詫びして訂正を申し上げます。

これは桜掲示板への「荒らし」投稿者の方の指摘であり、普段からの
皇室への尊崇の念が足りないからだとの非難材料でありましたが、
この御指摘には弁解など出来るはずもなく、率直に感謝申し上げたいと
思います。
ありがとうございました。

なにぶんにも、短期間で書いている文章で、いろいろ間違いや勘違いが
あると思われます。
ただし、今回の間違いは、我が国の「第二の敗戦」について書きたいと
思いこんだまま、上記のような記述をしてしまいました。
先帝陛下の御詔勅に関する間違いであり、私も重大に受け止め
反省しております。

重ねて深くお詫び申し上げ、訂正をさせていただきます。


日本文化チャンネル桜代表
水島 総

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