【巻頭エッセイ】

「国民の総意とは、日本国民は何処にいる?」

                 日本文化チャンネル桜代表 水島 総

今週の木曜日の午後、「皇位継承問題を考える」と題して、「闘論!倒論!
討論!」の収録が行われた。
出演は司会の私と笠原英彦(慶大教授)小林よしのり(漫画家)小堀桂一郎
(東大名誉教授)高森明勅(日本文化研究所所長)新田均(皇學館大教授)
百地章(日大教授)の各氏である。
そのうち三名は女系天皇容認派であり、残り三名と私が二千年以上続いた
男系男子の皇統維持派である。

放送は本日の土曜夜八時から三時間と月曜の夜八時から一時間半の計
四時間半が、ノーカット・ノー編集で放送される。

討論の結果は、番組を見ていただければ分かるが、きちんと冷静に互いの
主張を述べ合えたのではないかと思っている。
この問題については、どちらが勝った負けたなどという結論は無い。
ただ、どちらが日本の国民として、筋が通った論なのかが、浮き彫りにされ
るのである。

興味深かったのは、討論者が全員で一致したことがあったことだ。
皇統の問題については、国民があれこれ言うことより、皇室典範を改正して、
天皇陛下と皇太子殿下、秋篠宮殿下などの皇位継承権をお持ちの皇族の
皆さまが、「皇族会議」を復活させ、そこで結論を出していただき、国民が
それを最大限尊重すべきだという意見である。

新田さんのこの提案に、小林さんも真っ先に賛成した。
ただ、高森さんは憲法改正をしなくては出来ないと主張したが、百地さんから
そんなことはないと指摘されて沈黙した。

それにしても、皆が全員そう思っているなら、女系論者たちが、あれこれ陛下
の「御真意」を忖度し、女系だ直系だ双系だなどと、今、騒ぎ立てるのはいか
がなものかと感じてしまうのが、私たち男系皇統護持論者なのである。

天皇陛下が御即位二十周年の記者会見の御言葉で述べられていたように、
皇位継承制度については国会の論議をし、そして、皇室の在り方については、
皇太子殿下や秋篠宮殿下の考えを尊重するべきだという御言葉をその通り、
私たち国民は実践すればいいのである。

つまり、皇室の在り方(皇統)については、皇族の御意向を受けて、その結論
に沿った皇位継承制度を国会で論議すれば良いのである。

二千年以上にわたって百二十五代続いた男系男子の皇統の流れは、全ての
天皇の「大御心」だったと、私自身は考えている。
国会で論議すべきはこの「大御心」に沿って、「皇族会議」を復活させ、現在の
十名のメンバーの内、皇族は二名しか参加していない「皇室会議」を廃止し、
敗戦後GHQ(連合国占領軍総司令部)が強引に行った宮家の廃絶を無効とし
て、旧宮家の復活等を法的にも、経済的にも整備するよう国会で議論すれば
良いのである。

少なくとも、女系論者が述べているような、時間も人も無いから、とにかく皇室
典範を改めて女系で行こうなどというのは、嘘であり、無知なのか皇統断絶を
狙う確信犯かと疑わざるを得ないのである。
少なくとも、女系天皇論が共産党、社民党、民主党、公明党に積極的に支持
されているのは、示唆的な「物証」と言えるのではないのか。

二千六百年以上の男系男子の皇統を大転換(断絶)させ、女系皇室に変える
などということを、民主党政権や皇室の何たるかを教育されていない現在の
日本国民が、勝手に決めて良いはずが無いのである。

まして、小和田人脈と言われる外務省の役人たちが主流を占めていると言わ
れる宮内庁である。
その宮内庁のお役人から流される「皇室、天皇情報」なるものを勝手に
「陛下の御真意」などと信じ込み、推測、忖度した挙句、このような大それた
主張、神武天皇より今上天皇まで男系男子で貫かれて来た皇統の断絶に
つながる女系皇室容認を主張することに、女系容認派の人たちは「畏れ」を
抱かないのだろうかといぶかるのである。

討論の中で、小堀桂一郎先生が大変良い指摘をなさっていた。
日本国憲法にある「第一章 第一条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民
統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」と
いう条文の「国民の総意」について話されたのである。

小堀先生は、ルソーの社会契約論から説き起こし、国民の総意とは、単なる
選挙による国民の意志ではなく、時代を超えた国民の「一般意志」であると
指摘した。
つまり、私もよく講演などでお話しするのだが、「国民」というのは、今生きて
いる日本国民だけではなく、墓の下に眠っておられる無数の先祖たちも日本
国民であり、これから生まれ育っていく子孫も日本国民に含まれるという考え
である。
国民の総意は、過去、現在、未来の国民の総意でなくてはならず、とりわけ
過去に生きて来た祖先の「総意」は尊重されるべきなのである。

二千六百年以上続いて来た男系男子の皇統も、日本の長い歴史の中で
日本民族(国民)の総意として続けて来たものではないだろうか。

この保守思想の中心にあるものは、「今の日本」と「今の日本国民」だけで
物事を考えないで、過去、現在、未来という時間軸で物事を考えるという
立場である。
そして物事の判断に迷ったり、混乱した時は、先人たちの守って来たやり方
を踏襲してみることである。

今、多くの草の根(草莽)日本国民が感じているのは、日本解体の危機である。

民主党政権下で、「外国人地方参政権法案」「選択的夫婦別姓法案」「人権
擁護法案」等、日本を根底から解体する法案が目白押しに用意され、国会で
可決される危機にある。
繰り返すが、そんな祖国の危機的状況の中で、今なぜ、国民意識の分裂を
助長するような「皇位継承」問題を騒ぎ立てるのかという素朴な疑念を抱か
ざるを得ない。
まして、中共、南北朝鮮、共産党、社民党など反日勢力が望む女系皇室論を
である。

それにしても、こういう時代こそ、脚下照顧、私たちは足元をもう一度見つめ
直す必要があるだろう。

夜空の星や月を見上げ、その底知れぬ無窮の空間を感じ、そこに流れて
いる無限の時間を感じたのは、いつのことだったろうか。
もう一度、私たちの周りの自然世界を無心で見回してみたいと思う。
今、見ている星たちが、何百何千何万年前の光であり姿であるかを、改めて
思い、感じてみたいと思うのである。
我が国には月を歌った和歌は無数にある。
そんな古人の思いで月を眺め、日本という国に流れる悠久の時間に思いを
はせてみたいと思うのである。

日本列島に吹く風、列島の周囲を流れる海流、山々に吹く風や雨、緑の樹々
のざわめき、囁き、流れる雲や川、日本列島の自然の営みと共に生きて来た
祖先たちの遥かな思いや祈り等々、私たちに語りかけてくる「日本の声」は
無数にある。

その沈黙の声が、私たちに呼びかけている。

呼びかける秋のように、冬のように、春のように、夏のように。

そして、呼びかける日本のように。

私たちは祖国の長い歴史と伝統文化を胸に改めて刻み込みながら、この
世界最古の国日本に生まれた日本人として、もう一度、もう一度だけと思って、
互いに優しい眼差しで、私たちの国日本を考え、語り合ってみようではないか。

数年前に読んだアメリカインディアンの言葉を記した本『今日は死ぬのにもっ
てこいの日』(ナンシー・ウッド著)から一節を引用する。
彼等は古モンゴロイドとして、ユーラシア大陸からベーリング海を渡り、遥かな
旅をして南北アメリカ大陸に行きついた私たちの同胞である。
世界観の共通点は、少々驚く。


 もしもおまえが
 枯れ葉ってなんの役に立つの?ときいたなら
 私は答えるだろう、
 枯れ葉は病んだ土地を肥やすんだと。
 おまえはきく、
 冬はなぜ必要なの?
 すると私は答えるだろう、
 新しい葉を生み出すためさと。
 おまえはきく、
 葉っぱはなんであんなに緑なの?と
 そこで私は答える,
 なぜって、やつらは命の力にあふれているからだ。
 おまえがまたきく、
 夏が終わらなきゃならないわけは?と
 わたしは答える、
 葉っぱどもがみな死んでいけるようにさ。
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