【巻頭エッセイ】

「常識と拡大解釈 ならぬことはならぬもの」

                 日本文化チャンネル桜代表 水島 総

最近、東京都の「青少年育成条例」の改正案が都議会で通過し、大きな
論議となった。

私は一応「賛成派」という事になるのだが、この論議は戦後日本と
「保守」思想を考える上で有意義なものだと思った。

チャンネル桜での私の発言には、様々な意見が寄せられた。
私の説明不足もあったのだろうが、社長の意見は、事の本質を分析
出来ていない「頑固親父」の単純な怒りや心配の主張だといった
叱正のメールもいくつかいただいた。

しかし、実はこの「頑固親父」的視点とは、保守という思想の本質を
はらんでいる。

白虎隊で有名な会津藩には、かつて地域ごとに藩士の子弟のグループ
「什(じゅう)」があり、その掟の七つを毎日子供たちに唱えさせていた。

 一、年長者の言うことに背いてはなりませぬ
 二、年長者には御辞儀をしなければなりませぬ
 三、虚言をいふ事はなりませぬ
 四、卑怯な振舞をしてはなりませぬ
 五、弱い者をいぢめてはなりませぬ
 六、戸外で物を食べてはなりませぬ
 七、戸外で婦人と言葉を交えてはなりませぬ

そして、最後に有名な言葉を唱えた。
「ならぬことはならぬものです」

これらの言葉は、現代版の言葉に変えられ、現在でも福島県では、
「あいづっこ宣言」として運動が展開されている。

 一、人をいたわります
 二、ありがとう ごめんなさいを言います
 三、がまんをします
 四、卑怯なふるまいをしません
 五、会津を誇り 年上を敬います
 六、夢に向かってがんばります
  やってはならぬ  やらねばならぬ
  ならぬことは  ならぬものです
 
ここで大事なのは、あれこれの理屈抜きに
「ならぬことはならぬものです」と断言している点である。

現代版の方の「がまんをします」など、子供の食べ物の好き嫌いから始ま
って、色々意見が出るだろうし、議論をすれば、意見も分かれるだろう。
しかし、意見が様々に分かれるとき、保守思想が現実的対応として選ぶ
のは、先人たちの教えである。

つまり、伝統や文化に拠ることである。
くだいて言えば、世間の「常識」である。

伝統や風習、常識を馬鹿にしてはいけない。
長い間に培われて来た民族の知恵なのだ。

特に性表現の問題については、世界各国、各民族によって様々であり、
どれが正しい、どれが良いなどとは一概に言えない。
ただ、キリスト教やイスラム教、仏教の教えでも「汝、姦淫するなかれ」や
「汝、殺すなかれ」は共通であり、近親相姦や同性愛も基本的には禁止
されている。

同時に、なぜこのような「掟」や「戒」があるかといえば、人間と言う存在
は、これらの「正しい」教えを簡単にはみ出してしまい、こういった「禁」を
犯してしまうからである。
孔子の教えが今日まで生きているのは、支那人の生き方が論語の教え
とは全く正反対だからという笑い話があるのは、そういう意味である。

聖書のマタイ伝には、頭の中で女性と姦淫することを想像したら、それは
実際に姦淫したことと同じであるといった厳しい教えの表現がある。
これが適用されるなら、私など少年時代から考えたらもう極悪非道の
超犯罪者になってしまう。

しかし、この教えは、頭で考えること、つまり、「思想」や「趣味」で、犯罪者
や敵として殺されたり、弾圧に遭う可能性のあることを示す、西欧キリスト
教社会の原点の哲学でもある。
具体的には共産主義やファシズムの虐殺や弾圧、あるいはかつての
キリスト教の異端審問や魔女狩り等々がそれであり、表現の自由の問題
は、そこまで遡って考えていかねばならない。

優れた文学や芸術は、そういった宗教的な教理や哲学、思想(マルクス
主義も西欧近代自由主義も含む)と現実の人間の存在との狭間や矛盾
や葛藤の中から、豊かな作品群が生まれたと言っても良い。

私たち人間は、ほとんど必ず「規範」を逸脱する存在である。
その現実を前提にした上で、規範と現実をどう受け止めるのかという点
が、表現の自由を考える上で問われている。

つまり、人間は規範を逸脱する存在だから、規範など無くて良いという
意味にはならないのだ。

保守の思想は、先人達が長い時間をかけて生み出し継続して来た
伝統文化の「規範」を拠り処にする。
無数の先祖の教えとして、「ならぬことはならぬもの」を中心に据え、
しかし、そこからはみ出すものを、良くも悪くも人間本来の本性として
懐深く包摂するのである。

表現者は、漫画家も含め、書きたいものを書けば良い。
製作したいものを製作すれば良い。

人間の想像力は無限であり、大宇宙さえも脳内の想像力の中に
飲み込むことが出来る。

だから、何人たりとも、どんな強圧的な圧制者も政府も、人間の抱く
想像力を鉄格子や鉄鎖で縛ることは出来ない。
そして、我が国ではどのような作品を製作することも、ほぼ許容されて
いる。

問題は、その「作品」を「商品」として販売し、金を儲けようとした時
起こるのである。

特に「性」については、人間の生物(動物)としての本能と知性が混在
するカオスの部分であり、無限の「作品」と「商品」を生み出す源泉と
言っていい。
性は人間の原点として、美も愛も劣情もエゴイズムも全て包含されている。
だからこそ、私たちは青少年に性の一部分、一断面だけを取りだし
描いた「商品」を与えては「ならぬ」のである。

有島武郎に「愛は惜しみなく奪う」という作品がある。
高校生の時読んだが、男女が愛し合っている時、共に自分の快楽を求め
貪っているだけで、実は相手の気持ちや身体の状態を考えていない時が
ある、それは愛とは言えるのか、愛は奪い合うものだという表現を読み、
衝撃を受けた。
セックスや愛の重要な一面を教えられた気がした。

子供たちはまだ社会的にも身体的にも未成熟な存在であり、車の免許が
同様な理由から、十八歳以上にしか与えられないように、性を扱った
「商品」を自由勝手に与えてはならないのである。
しかし、十八歳以上の人間がアダルトビデオや書籍を見るのは勝手で
あるし、私は仕方ないことで自然なことだと考えている。

私は、出版社や一部の漫画家が「表現の自由」を言い立て、この条例
改正に反対している姿勢に、ある卑しくいかがわしい底意のようなものを
覚え、不愉快に感じた。

金儲けの為に、ろくなものを作っていないという自覚と、その卑しさと
やましさを転化させ、都や国家権力への反抗や「言論の自由」の主張に
すり替える偽善といかがわしさを感じたからである。
彼等の自由の主張は、「金儲けの自由」の叫びだと感じたのである。

普段は簡単に圧力団体に屈し、脅え恐れて、言葉狩りとも言える「差別
用語」の自主規制など行うくせに、売れるセックス本の販売の為なら
「表現の自由」を主張するのかという、臆病者のご都合主義への軽蔑と
怒りを感じたのだ。

こういう連中は、今の政府が国家解体を推進する連中だと知った上で、
「言論の自由」を叫んでいるに過ぎない。
強力なファシスト国家でも出来たら、すぐに屈服して御用出版社になる
ことは目に見えているのだ。

放送でも言ったが、「言論の自由」は勝ち取るものであって、ジョン・ロック
等の社会契約論にあるような自由や人権は、自然権として人間に備わっ
たものではない。
マルクス主義もふくめ、西欧近代主義に毒された者たちは、このように
簡単に「表現の自由」を当然な自然権として叫ぶのである。

このグループの中心になっているのは、人権擁護法案やジェンダー
フリーを主張し、運動している左翼グループである。
彼等が日本の規範や伝統文化の破壊を通じて、日本解体を目指して
いることは明らかであり、その一環として、都条例改正に反対している
のである。

チャンネル桜での私の発言を視聴して、チャンネル桜掲示板に
以下の投稿をいただいた。

冷静でかつ的を射た心配をなさっているので紹介する。

「東京都の青少年健全育成条例についての水島社長の発言を聞いて、
 今回の番組で例として取り上げられた書物は確かにひどいものであり、
 子供の目に触れさせるのは問題だと思います。
 しかしこれは旧条例でもゾーニングを徹底すれば解決できる問題で
 あると考えており、何故旧条例ではだめなのか。
 何故ゾーニングの徹底ではなく条例の改正であるのかという点が
 語られず残念でした。

 今回の条例改正は、

 ・何故旧条例ではだめなのか
 ・条文の曖昧さ
 ・実写や小説の除外の理由の不明確さ(8条の2による現行条例で
  規制できていた小説、実写を規制しなくてもよいとも読める条文)

 が大きな問題だと考えております。
 私は今回の条例に対して、ゾーニングが不十分であり不健全な作品
 が子供の目に触れうるという現状には大きな問題があると考えます。
 しかしこれは旧条例で防ぐことができるものであると考えており、
 旧条例で防ぎうるものを根拠とした基準の曖昧な条例への改正には
 反対という立場をとっています」

これらの疑問はもっともな疑問であり、私もお答えする義務があると思う。

まず、なぜ旧条例ではだめなのか、ゾーニングの徹底で良いのではと
いうことについてだが、私は基本的にゾーニングの徹底を主張しており、
それが出来なかったから、改正案が出て来たと考える。

それ以上に、実は製作し、売る側が、本音では青少年も明確な販売
対象にして「商品」を作っていたと考えている。
エロ漫画を描いている彼等も出版社も、ほとんどが子供の教育や未来
を心配している善意の人間や企業では無い。

私も、ゾーニングを徹底させ、出版社や漫画家に、子供を性的対象に
した漫画等の完全なビニ本形式の販売法を取らせる条例改正をさらに
進めるべきだと考えている。

「条文の曖昧さ」については、その通りで不徹底だと考えているが、
だからそれが拡大解釈されて、表現の自由が侵害されるとは考えない。
それは私たち日本国民の意志と漫画家や製作者の意志と決意に
かかっている。

ちょっと思い出したのは、かつて日米安保条約の締結時に、旧社会党や
共産党が、安保条約を結べば、日本は再び戦争に巻き込まれると主張
したことだった。
あるいは自衛隊の強化はアジア諸国に不安を抱かせ、日本が再び
「軍国主義」化していくといった主張だった。
実際にそうではなかったことは実証済みである。

政府や政治家が立派だったからではない。
まず、国民が、冷戦下の世界における日本の現実的な対応を望んだ
からだ。

戦後左翼の人々は、基本的にレーニンの国家論の中心である「国家は
人民の自由と権利を弾圧する暴力装置である」という発想から出発して
いる。
戦後の占領軍の政策も、GHQ(連合国占領軍)の中枢に入りこんだ
アメリカ共産党のスタッフの主導で、旧帝国政府の解体を目指すために
「人民弾圧暴力装置」キャンペーンが行われた。
日教組もそれを引き継ぐ形で、子供たちに国家権力について同様な
「刷り込み」を行って来た。
その影響は、現在にまで大きく続いている。

そして、「実写や小説の除外の理由の不明確さ(8条の2による現行条例
で規制できていた小説、実写を規制しなくてもよいとも読める条文)」に
ついてだが、簡単に述べると、小説には文字を想像力で映像化する作業
がある。
それを止めることは出来ない。

そして実写については、性的な対象となる女性(男性)の年齢が明確に
わかる点が漫画と異なる。
つまり、子供や幼児を対象にしているかどうかは明らかであり、これで
犯罪を立件できる。

しかし、漫画の性的主人公は年齢不詳で、私が見る限り、ロリコン的な
子供顔の登場人物がセックスを行っている場面がほとんどに見える。
実写とアニメとは、映像的には基本的に異なるのである。

さらに、コンピューターグラフィックが進化した現在、実写の男とアニメの
少女がベッドシーンを演ずる映像商品が出て来ることは直ぐに想像できる
のである。
大いに売れるだろうことも予想できる。

表現の自由を止めることは出来ない。
しかし、表現に対する責任と義務も表現者は負わねばならない。

私は保守的な立場の人間として、子供たちを国の宝だと考えている。
子供の命と心と身体は、子供自身だけのものではないし、
まして親だけのものでもない。

無数の先祖たちの生み出した宝であり、
未来の子孫の為の存在でもある。

だからこそ、私たちは子供を健全に育て守る義務と責任を
日本国民として負っているのである。


さて、皆さん、今年も本当にお世話になりました。

七年前にチャンネル桜を創設して以来、社是として吉田松陰の言葉
「草莽崛起(そうもうくっき)」と西郷南洲の「敬天愛人」を掲げ、放送番組
の製作もこの方針に沿って製作して来ました。

今年の二月二日、私たちは草の根国民運動組織「頑張れ日本!全国
行動委員会」(田母神俊雄会長)を創立し、私自身も幹事長に就任しま
した。
そして、我が国が有史以来の国家的危機にあることを国民に訴え、
政治家や財界、官僚、マスメディア等、今や戦後日本の体制そのものが
金属疲労と限界を露呈しており、この上は、草の根国民が起ち上がる
しかないのだと訴えて来ました。

戦後六十五年、この「草莽崛起」が全国に無数の燎火の拡がる如く
急拡大を続けています。

私たち「頑張れ日本!全国行動委員会」の運動は「市民運動」ではなく、
草の根「国民運動」です。
日本国民として様々なイデオロギーの違いを超え、「日本」が大好きで、
日本を愛している人々が、「日本」を主語に、草の根として行動を起こす
国民運動です。
だからこそ、私たちは日の丸の旗を誇りを持って堂々と掲げ、デモ行進
します。

「頑張れ日本!全国行動委員会」は、今年、NHKに対する一万人集団
訴訟、外国人地方参政権反対運動、中国の尖閣諸島侵略阻止、
菅民主党内閣打倒等の国民運動を全国展開する中で、どんな時でも、
三千人以上の草の根国民が結集する組織に発展することが出来ました。
私たちはこの流れを「第三の潮流の誕生」であると自負しています。

「結局、諸候たのむに足らず、公卿たのむに足らず、
 草莽志士、糾合義挙のほかにはとても策これ無き事と、
 私ども同志うち申し合いおり候事に御座候。」

草莽崛起の真髄は、松陰の弟子久坂玄随が武市半平太に宛てた
手紙に示されています。

「第三の潮流」は、まだ小さな流れですが、来年はそれが明治維新の
ような大河の流れに変わる年となるよう願っております。
共に歩まれんことを!

皆様が良い年をお迎えになるよう、心からお祈り申し上げます。

ありがとうございました。


  下駄買うて 箪笥の上や 年の暮     荷風

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