【巻頭エッセイ】

「尖閣諸島遠征記(二)」

                 日本文化チャンネル桜代表 水島 総


三、その前夜まで

六月二十七日、石垣島の砂川さんから、海が凪いだ状態になり、
来週は尖閣の海も穏やかになるだろうとの連絡があった。

即座に、井上と東京での私のスケジュールを調整し、
石垣漁船団の尖閣出航を七月三日早朝と決めた。
いよいよだと、心が騒ぐ。
それまでに、ぎっしり詰まった収録や集会を全て片づけなければならない。

こういう最初の未体験ケースでは、きっと何かトラブルが起こるだろうと、
出航二日前にあたる七月一日の石垣行きとその準備を、
プロデューサーのナベさんに指示する。

仕事の合間に、床屋に行き、夏だから短く刈ってくれと頼む。
渋谷の登山ショップにも出掛け、幅広帽子を購入する。
元々、私は頭が大きく、顔も「デカイ面」なので、帽子が全く似合わない。
しかし、何とかこれは皆が笑いださない程度の感じの帽子だ。
これでやっと準備万端のつもりになる。

しかし、帰京以来、石垣島からは、不安な情報が入り続けていた。
組合長から、海保の「指導」で、私以外の人間は
桜丸の乗船は出来ないとの連絡があり、そうしなければ、
十隻の漁船は出漁できないと言ってきていた。
そうか、海保は私ではなく、搦め手から攻めてきたかと、
その狡猾な「戦術」に少々感心したが、
一方で腹わたが煮えくり返る思いもする。

ただ、他の潜水漁の船には、漁師見習としてカメラマンを乗せるのは
黙認するというニュアンスも伝えられた。
本当は、チャンネル桜のカメラマンを連れて行きたいと思っていたが、
かねてより、この「イベント」について話し合ってきた雑誌『正論』編集部
には、塩瀬という、水中撮影が出来る記者がいると聞いていた。
私は『別冊正論』の上島編集長に連絡し、彼に尖閣へ行って貰う事にした。

尖閣諸島海域での水中撮影の動画映像は、日本で初めてになるはず
だったし、今回の尖閣企画も、恐らくマスメディアは黙殺するだろうから、
少なくとも産経新聞と雑誌『正論』には、この尖閣漁船団の記事を
掲載するようにしたいと考えたのである。

石垣行き前日の六月三十日木曜日は、午前中から私がキャスターを
務めるチャンネル桜の「桜プロジェクト」を収録し、
昼過ぎから武蔵野公会堂で、菅直人首相の即時辞職と選挙での落選を
訴える政治集会の司会進行を務めた。

武蔵野市は菅直人のお膝元の選挙区であり、全国に先駆けて、
菅直人退陣への「落選運動」という実際行動の口火を切るものだった。
基調演説に来てくれた安倍晋三元総理と平沼赳夫先生にも、
いよいよ尖閣に行くことを告げた。
お二人と国会議員の尖閣諸島視察についても話し合った。

その夜、帰宅してから遅くまで、尖閣行きの最後の支度と準備をする。
さすがにくたびれ果てた。

七月一日、ほとんど眠らぬまま、朝九時、東京地裁前でNHK集団訴訟の
街宣と口頭弁論を済ませ、その足でナベさんと羽田へ向う。
空港ロビーで葛城さんと合流する。
彼女も一緒に尖閣まで連れて行って、レポートをしてもらいたかったが、
今回はどうもそうはいかなかった。
彼女もそれを承知で一緒に行ってくれる。

二時間四十分後、石垣空港に到着し、すぐに漁協近くの喫茶店で
組合長に会い、状況を聞く。
やはり、第一桜丸には私と地元漁師しか乗れないという。
その代わり、産経カメラマンの他船への乗り込みは、
漁師見習ということで黙認ということになった。

この最終案に同意し、明後日早朝に出発ということになる。
組合長もほっとした表情で、海保に連絡しておくと言う。
飲んでいたアイス珈琲が急に甘く感じられた。

葛城さんとうちの北村カメラマンは、海保から許可された
石垣から二十カイリまで、別のチャーター船で漁船団と同行し、
撮影とレポートをすることになった。

翌七月二日、朝から行動を共にする漁師さん達約三十人との
個別の打ち合わせを行う。
全部の漁船に日の丸を掲げることを改めて話し、了解していただく。

昼頃、港へ行き、第一桜丸の船室の上に、チャンネル桜の視聴者から
プレゼントされた大きな大漁旗を掲げる。
一富士二鷹三茄子と荒波が描かれた背景に
「第一桜丸」の文字が大書された立派な大漁旗だ。

砂川船長が「これは十万以上だな、いやあもっと高いか」と感心して唸る。
海風に大きくはためく大漁旗と日の丸に、東京から見送りに駆けつけて
くれた松浦芳子杉並区議(草莽全国地方議員の会会長・頑張れ日本!
全国行動委員会事務局長)もぱちぱちと拍手。

普通、大漁旗は出漁時に掲げることは稀だが、
第一桜丸の初出漁であることと、
石垣日の丸漁船団の先頭で旗艦を務めるので、
敢えて掲げさせてもらうことにする。

船に取り付けた小さな神棚に、これも支援者から贈られた
香取大神宮の御札を納める。
何だか初航海はこれで大丈夫という気になる。 

海保の警備課長と職員が下見と挨拶に来る。
くれぐれも上陸はしないでくださいねと念を押す。
男の約束は守りますともう一度はっきり伝える。
少し安心した様子だ。

しかし、目つきの鋭いもう一人の若い方は、まだ信じていない様子で、
その硬い表情がおかしかった。
こういう奴は、一緒に酒を飲むと、
きっといい奴だとわかるんだろうなと思う。

船の準備を終え、全員でスーパーに行き、
尖閣航海用の食料品買い出しを行う。
相撲部屋の買い出しかと間違えるくらいに水と食料を大量購入し、
私も安物のデッキシューズも買う。

夕方、再び、集会所に集まってくれた尖閣行きの漁師さんたちに、
集合時間やその他のスケジュール等を伝える。
出航は、全員でまとまって石垣港を出るが、尖閣周辺に行ったら
自由行動で、帰りは自分で決めてくださいと伝える。
尖閣行きの燃料その他は、こちらが負担すること、
尖閣で獲れた魚は全て漁師たちのものとなることを改めて伝える。

皆、穏やかで男らしい海人(うみんちゅ)で、
本当に彼等と一緒に尖閣の海に行けることが嬉しい。

「漁師見習」参加の産経記者・塩瀬さんは、あくまで明日からの参加と
いうことで顔は出さないことにして、集会所には来なかった。

明日は四時集合なので、打ち合わせを兼ねて早い夕飯をと、
近くの居酒屋に入った。
一同、明日の航海の無事と成功を祈ってビールで乾杯。

それにしても、こういう民間人の実効支配行為よりも、
最も手っ取り早い尖閣防衛行動は、
日本政府が決断し、自衛隊を駐屯させるだけでいいのだがと話す。
日本を想う心と僅かな勇気があれば、今直ぐに出来ることだ。

日本だけで実行するのが怖ければ、
在日米軍に呼びかけ、引きずり込み、
日米共同の通信部隊を尖閣諸島魚釣島に駐屯させれば良い。

無論、日中の摩擦は起きるだろうが、そんなことは気にすることは無い。
尖閣の日本領有が完全に確定するのだ。

しかし、腰の抜けた政府は、尖閣防衛のために、
その国防の義務を全く果たそうとしない。
北朝鮮に拉致された人々を救出出来ないのも、
臆病と冷酷と北朝鮮利権から来ているが、尖閣問題も同様に、
臆病と冷酷と中国利権から手を出せないのである。

入店してからしばらくは静かだったこの居酒屋、
実は南西諸島の民謡を生演奏する店だった。
最初は地元歌手が民謡をのんびり歌っていたが、
次第に蛇皮線のお囃子がにぎやかになり、合唱が始まり、
ハイヤハイヤと、しまいには店の客まで巻き込んで、
どんちゃかどんちゃかみんなで踊り回り始めた。

その元気さと陽気さに圧倒され、私たちは打ち合わせもろくに出来ぬまま、
尖閣歓送会の演奏だと無理に納得し、早々にホテルへと退散した。

食事の途中から、朝日新聞や毎日新聞等の電話取材が頻繁に
入ったが、皆、尖閣の強行上陸を期待しているような口ぶりだった。
どうせ色々話しても記事にはならないだろうが、
石垣漁船団の尖閣集団操業の重要な意義を丁寧に話した。

二十二時、ホテルに戻った。
明日は四時集合と早い時間なので、何とか眠ろうと努力したが、
日頃の夜更かし習慣で全く眠れない。
読書をした後、二時頃ベッドへ。
しかし眠れず、ぼんやり目を閉じただけで、三時半に起き出し、
出発準備をする。
四時、ホテルのロビーに皆が集まった。

カメラマン役もやる私は、カメラの最終チェックとバッテリーの確認後、
第一桜丸の停泊する登野城漁港へ向った。
ほほに当たる風が生暖かく、微かに海の匂いがする。


「尖閣諸島遠征記(二)」了。


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次回、「尖閣諸島遠征記(三)」は、「四、出航から尖閣まで」をお送りします。

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※ 「尖閣諸島遠征記(一)」が掲載されている「桜・ニュース・ダイジェスト」
  第244号は、バックナンバーにてご覧いただけます。
  http://archive.mag2.com/0000210954/index.html


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