【巻頭エッセイ】

「尖閣諸島遠征記(四)」

                 日本文化チャンネル桜代表 水島 総


五、姿を現した防人の島

尖閣諸島の海と空は、胸に沁み込む青だった。
抜けるような青空に太陽が輝き、群青の波がざわめく海原に、
突出した岩山を屹立させ、私たちの眼前に、尖閣諸島は姿を現した。

「尖閣」(尖った城)と名付けられたごとく、
大陸を睨む孤独な防人のように、静かに、
しかし、断固とした強い意志で、その存在を主張していた。

二千六百年以上の世界最古の歴史を誇る我が国の建国以前から、
尖閣諸島はあった。
そして、日本人以外、ここを領有した国も無かった。

今、尖閣諸島は我が国固有の領土でありながら、無人の島として、
政府から立ち入りも上陸も許されない島である。

次第に大きく近づいてくる島々を見ながら、ああ、これはまるで
戦後日本そのものだなと思った。
主権はあるのに主権の行使が出来ない尖閣諸島は、
戦後日本そのものではないか。

例えば、尖閣諸島に似た一つの例が集団的自衛権である。
主権国家として、当然集団的自衛権は厳然とあるのに、
憲法解釈の為に行使出来ないのである。
飛行機の切符と席はあるのに、座れないようだと
誰かが述べていたが、言い得て妙である。

もうひとつ例を挙げれば、国民による国防の義務である。
日本国民は、日本国民として様々な権利を持つと共に、
国民として最も大切な国防の義務を背負っている。
しかし、戦後日本と政府は、これを国民に求めず、
国防の義務が現実化されたことはない。

現在の尖閣諸島の在り方は、まさに戦後日本の在り方そのものを
象徴しているように思えた。

最初に視えてきたのは、尖閣諸島の北小島で、続いて南小島、
そして魚釣島である。
うねりのある青い海の中に、それぞれがすっくと立ち、深い沈黙の中、
私たちを迎えてくれた。

北小島、南小島とも切り立った岩山に、緑の木々や草が生えて、
日の光の中で輝いている。
白波が岩肌に打ち寄せている。
海鳥が船の周りを飛ぶ。

この付近には、新田立石、沖の北岩等、様々な奇岩の風景が見られる。
その姿はまさに雄々しく寡黙な防人の姿である。
南の海に屹立する島々は、東シナ海の守りを放置してきた私たちに
無言の非難を発しているように思われた。

しかし、そんな私の思いなど、どこ吹く風で、
船長と少年漁師はさっさと釣りを始めた。
そして、あっと言う間に、体長一メートル程のローニンアジを釣り上げた。
十六、七キロはあるだろう。
どんどん釣れる魚に、改めて尖閣の海の豊かさを思い知る。

もっと一本釣り漁を続けたそうな船長と少年漁師だったが、
撮影のために北小島と南小島の周辺を回ってくれと頼む。
船長はいやな顔ひとつせず、船を動かしてくれる。
彼の寡黙さとごつい身体は尖閣の島のようだと思う。

奇岩怪石の南小島と北小島の周りを撮影しながら、
船長が北小島の一つを指さし、子供のころ親父と上陸したが、
沢山の石窟があり、それも自然の石窟では無く、
岩石で積み上げられた洞窟だと話してくれる。
アホウドリの肉と羽毛取りの工場だったらしい。
上陸して調べたいなと思うが、海保との約束がある。

それにしても、政府の臆病と事なかれ主義に改めて腹が立つ。
ここに生きて暮らした先人たちの思いを一体どうしてくれるのか。

十一時半頃になり、船長から昼飯にしましょうかと聞かれる。
どうやら、向こうも昼飯の申し出を待っていたようだ。
喜び勇んで、そうしましょう、そうしましょうと答える。

いつの間にか、直也君が鯛とおぼしき魚とカツオをさばいて、
まな板の上に切り身を盛り上げていた。
新鮮な刺身である。
船長がこれにペットボトルの酢入り醤油を豪快にぶっかける。
これがまた美味い。
かつおにこんな爽やかな香りがあるとはと改めて感心する。
飯が美味くて握り飯二個と、稲荷寿司二個、パン二つを、
刺身と一緒に瞬く間に平らげ、やっと人心地がつく。

昼飯を食った場所は、北小島の岸壁から
ほんの十メートル程の場所である。
外洋の荒い波を島自体で防いでいるから、
本当に穏やかな場所となっている。
どぼんと飛び込めば、二掻き三掻きで上陸出来るが、約束は守る。

満腹となり、ゆっくり島の岸壁を眺める。
ああ、みんなと一緒に来たかったなあ、
この場所の風やきれいな海の水を直に見せてあげたいなあと思う。

海上自衛隊の哨戒機P3Cが低空で私たちの頭上を旋回して去っていく。
その回数四回。
何だか我が国の軍用機という事で、頼もしく、誇らしい。

「じゃあ、魚釣島に行きます」と船長が私に告げる。
私が撮影したり、ぼんやり風景を眺めている間にも、
二人の漁師はどんどん魚を釣り上げていた。

いよいよ、遠くに見えていた尖閣諸島最大の島魚釣島に向かう。
快晴の空と海の青さが凄みを持って視界に拡がる。

魚釣島は何度も映像で見てはきていたが、やはり生の姿は素晴らしい。
三百メートルを超す岩の山が他の島を圧し、
南の海の守りの中心として、存在感を示している。
岩山を覆っている緑の灌木や草も圧倒的に豊かだ。
それが日差しできらきら輝く。

島にどんどん近づいて行き、灯台のある場所の海岸に
ギリギリ約十五メートル程まで来た。
一キロ先から監視中の巡視船がすっと接近を始める。

からかうつもりは無いが、来ていたTシャツを脱ぎ、
海に飛び込む真似をしたらどうするのだろうと思う。
無論、そんなつもりは全く無い。
私たちは近い将来、堂々と合法的に国民から支援と支持を受けながら、
上陸する状況を作っていかなければならない。
私が撮影している様子を見て、巡視船は安心したかのように、
再び離れて島影に隠れた。

海岸から約五十メートル離れた場所にある小さな灯台は、
無人になった尖閣諸島を健気に守るかのように、ぽつんと立っていた。
その付近の石垣はかなり崩れてしまっている。
鰹節工場跡や野生化した山羊は、さすがに今回は見ることが
出来なかったが、同行した産経新聞の塩瀬さんは撮影に成功した。

魚釣島が何処か他の島々と異なる印象を受けたのは、特にこの島で
人々が生きて、暮らしていたことの「匂い」があったからだろう。
他の島々と異なり、魚釣島だけは、
私たちに特に何かを無言で訴えようとしている「気配」を感じさせた。 

吉本船長に頼み、魚釣島を一周して貰った。
波の荒さが全く場所によって違う。

海岸もここかしこに支那大陸からだろう漂着物が流れ着いている。
本当に何とかしなければならない。
自衛隊の駐留だけでなく、避難施設や通信施設の設置も緊要だし、
生態系の保護も求められている。

午後二時を過ぎると、遅れていた漁船も、周辺に到着して
漁業活動を開始している。
どの船も釣れているらしい。

少し荒くなってきた波の間を漂うように漁を続ける船と人々は感動的だ。
大自然に生きる人の営み、雄々しさとたくましさ、しぶとさ、健気さ
……色々な言葉が頭に浮かぶ。
そして、ここがまぎれもない日本の海であることに誇りを感ずる。

島々を撮影しながら巡り、周辺の海で漁をする漁船を撮影するうちに、
日が傾いてきた。
波も次第に荒くなってきている。
船長と相談し、石垣に戻ることにした。

しかし、何とか尖閣諸島に沈む夕陽を撮りたいと、
それまで北小島の波の穏やかな場所で待つことにした。
日没は夜八時頃になる。

色々、船長や直也君とも話をする。
直也君が十七歳と知ったのもこの時だ。

船長にインタビューを求めると、何を話したらいいですかと聞く。
尖閣について、何でも思っていることをと言うと、
ぼそぼそ声で、昔から漁をしてきた場所だから、
何とか昔のように漁が出来るようになるといいと話してくれた。
簡素な言葉だったが、まったく真実を衝いた言葉だ。

七時四十分、うねりの出てきた海で、まだ漁を続けている
日の丸漁船三隻に別れを告げ、北小島の彼方に沈もうとしている夕陽を
撮影しながら、尖閣諸島に別れを告げた。
壮大な夕陽が島影と海に沈む姿を見つめながら、
また来ますよと無言で伝え、敬礼を島に向かって行った。

帰りの海は荒れに荒れた。
外にいて波しぶきを浴びていた私に、
船長が危険だから、船室に入るよう言った。
確かにその後、闇の海となった東シナ海は荒れて、
上下左右大きく揺れに揺れた。
私自身はやはり体質が海向きらしく、気分は全く悪くならなかった。

GPSに従って自動操縦で石垣に向かっているので、
船長と直也君も交代で、船室に横になり眠っている。
私も演歌の「兄弟船」を口ずさみながら、ごそごそ食料をあさって
パンを二個ほど食べ、水と茶を大量に飲んだ。

昨夜からほとんど徹夜だったので、途中、暫く眠った。
時々、船が波底に落ちるとき、どおんと身体が床に叩きつけられて
目が覚めたが、これもまた航海の愉しみだ。
しかし、荒波に立ち向かっての帰路は、六時間程かかった。

午前一時過ぎ、波も収まってきたので船室の外に出てみた。
西表島付近を通過しているらしい。
島の灯台らしき明かりが見える。

空を見上げて息を飲んだ。
全天にもの凄い数の星が輝き、
その真ん中を斜めに天の河が横たわっている。

天空に拡がる宇宙の姿を前に、命と命の営みのはかなさや愛おしさを
感ずるのは、太古の昔から変わらないだろう。
千年、二千年前に祖先たちも恐らく同じ思いで見た同じ星々を
眺めながら、第一桜丸は石垣登野城漁港に帰還した。

埠頭で笑顔で待っていてくれた葛城さんやスタッフの姿が
とても懐かしく愛おしかった。
自分でも驚くほど優しい気持ちになっているのが分かった。
遥か昔から、こういう出港や帰港、出会いや別れが繰り返され、
人々がいのちの営みを繰り返してきたのだなと実感した。

尖閣遠征で、私が学んだことは単純なことである。
日本に生まれてよかった、
私たちは本当に日本人なのだということだった。

   
   蟻をみて ものほろぶことをおもひをる   下村槐太
   
   夏の蝶 こぼるる如く 風の中   原石鼎


尖閣諸島遠征記 了


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※ 「尖閣諸島遠征記」(一)~(三)は、「桜・ニュース・ダイジェスト」
  バックナンバー(第244・245・246号)にてご覧いただけます。
  http://archive.mag2.com/0000210954/index.html



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