【巻頭エッセイ】

「フジテレビこそ、私たち戦後日本国民の姿だ」

                 日本文化チャンネル桜代表 水島 総

古代ローマの詩人ユウェナリスが、ローマ社会の世相を揶揄して使用
した表現に、「パンとサーカス」がある。
権力者から無償で与えられる「パン(=食糧)」と「サーカス(=娯楽)」に
よって、ローマ市民が政治的盲目に置かれていることを指摘したもので、
愚民政策の例えである。
外国人傭兵制度とともに、ローマ帝国滅亡の原因だとも言われている。

歴史は繰り返すというが、極東アジアに、規模は小さいが、
似たような国がある。
国防を外国傭兵に任せ(日米安保の米軍)、民主党マニフェストの
ばら撒き政策、そして「楽しくなければテレビじゃない」という
テレビメディアからの娯楽等々、怖いくらい状況が似ている。

我が日本国も、どうやら急速にローマと同じ道を進んでいるようだ。

そのローマ帝国の「サーカス」に相当するのが、
戦後テレビメディアである。
戦後日本において、マスメディアは第四の権力と呼ばれるまで
大発展した。
特にテレビメディアは、新聞大手各紙を既に影響下に置くまでに
なっている。

しかし、権力は腐敗すると言われるが、
第四の権力のテレビメディアも例外ではない。
中でも、フジテレビは戦後日本のテレビメディアが辿った歴史の
典型例である。

フジテレビは、二十数年前まで「母と子のフジテレビ」という
キャッチフレーズで、「健全な」番組編成を行い、
しかし、酷い低視聴率に苦しんでいた。

そこに大戦略転換が起こった。
「楽しくなければテレビじゃない」の方針転換である。
これはすべての番組編成を「楽しい」娯楽に変える
一種の革命的方針転換だった。

ニュース報道さえ、エンタテインメントとしてニュース「ショー」と化した。
ワイドショーとニュース報道との区別がなくなっていったのである。
ニュースキャスターたちも、一種の時事エンタテイナー(電波芸者)に
変わった。
テレビは完全なショービジネスの演芸場と化したのだ。

各家庭のお茶の間もまた、演芸場と化した。
視聴率は急速に上がり、フジテレビは民放トップのテレビ局に変貌した。
そして、この流れはテレビの世界全般に及び、
NHKまで含む主流となった。

しかし、失われたものもあった。
公正なジャーナリズムとしての「報道」や社会「教育」機関として、
テレビメディアに求められた放送倫理である。
道徳、誠実、真面目さなどが失われ、それらはむしろ
笑いの対象とされるようになった。
その流れは、今年の「FNS27時間テレビ」のテーマ
「笑顔になれなきゃテレビじゃないじゃーん!!」 にも
引き継がれている。

この結果、地上波テレビ局には、公共電波を国民から借りて、
商売をさせていただいているという感謝と報恩の気持ちや責任感が
失われ、日本のデフレ不況の下で、なりふり構わぬ金儲けに走り、
安手な番組製作に走るようになった。

それにつけこんだのが、韓国政府自らが主導する
韓国人のイメージを高めようとする「韓流」アピール戦略だった。
広告代理店電通の主導のもとに、フジテレビは率先して
この流れに乗った。

もはやフジテレビには、電波を日本国民から信託された
日本国民の放送局である自覚と責任感が失われている。
韓流ゴリ押し推進は、このような構造的な日本のテレビメディアの
腐敗堕落の結果なのである。

しかし、腐敗堕落したのは、テレビメディアだけではなかった。
テレビメディアとともに、バブル時代から戦後日本社会も変わったので
あり、日本社会そのものが「楽しくなければ日本じゃない」という価値観
社会に変わったのだ。

このキャッチフレーズこそ、敗戦後から戦後日本社会に残存し続けて
きた「母と子」の家庭を中心とする日本の伝統的価値観から、
笑い歌い踊り楽しむ、まるで、毎日がお祭りのような日常であるべき
との価値観に、日本社会全体が変貌した象徴的表現なのだ。

つまり、「母と子のフジテレビ」から
「楽しくなければテレビじゃない」という番組製作コンセプトの転換で、
日本一のテレビ局に躍り出たフジテレビの姿もまた、
戦後日本が世界のトップを争う物質主義と経済至上主義の国に
変貌、転換していくその姿を見事に体現したものであったのだ。

フジテレビの腐敗堕落は、私たち戦後日本国民の
精神的腐敗堕落の体現であり、私たちは同じ穴のムジナであるという
痛苦な自覚が必要なのである。

戦後日本からの脱却は、そこから始まる。
徹底的なメディア批判は、私たち戦後日本人の在り方そのものへの
徹底批判につながるべきものだ。
今、マスメディアが溶解し始めている状況は、
私たち戦後日本人が溶解しているのだと考えるべきである。
その徹底的な検証が必要とされているし、それをしなければ
再出発は無いのである。

かつて、テレビは戦後日本の国民にとって、一種の社会の窓(報道)
であり、また、大人と子供も参加出来る演芸場(娯楽)であり、
かつ、学校(教育)でもあった。
四十年前、現在のテレビ朝日が、日本教育テレビ(NET)と
名乗っていたことは象徴的なことだ。

つまり、テレビは、戦後ずっと、戦後日本社会そのものを体現し、
戦後日本の情報源の全てだったのである。
それが昭和の終わりごろまで続いていた。

戦前完全否定の文化政策は、アメリカの占領軍総司令部(GHQ)に
よって、新聞ラジオを通じて行われたが、
テレビはさらに絶大な力を発揮した。

最大の成果は、日本の伝統的な家庭像を破壊したことである。
テレビが家庭に入り込み、茶の間の家族の中心に位置するようになると、
父親の権威が完全に失われた。

それまで父親は、家長として茶の間の座卓の中心に座り、
社会とのつながりを持つ唯一の大人として権威を保ち、
また、子供に社会教育を行う者としての権威を保ってきた。
しかし、テレビが茶の間に侵入したことによって、
家族の視線が、父親に向けられなくなった。
そればかりか、お互いの家族を見なくなり、
家族全体の視線がテレビに集中するようになった。

視線だけでなく、それぞれの家族の意識も思考も
テレビに集中するようになった。
家族同士の直接的な視線の交流や会話が途絶え、そして破壊された。

これは重大な出来事である。
すべてが、テレビを媒介にして家族が結びつくように変化したのである。
そして、父親よりも「偉い」テレビ出演者たちがもたらす社会の情報は、
それまでの父親の権威と役割を簒奪し、テレビがとって代わった。

小津安二郎が戦後描いた日本の伝統的な家庭像と家族の絆は、
こうしてテレビによって完璧に破壊され、
個人単位にバラバラにされたのである。
独身者がアパートに戻ると、何はなくてもテレビのスイッチを入れると
いうのも、失われた家族イメージや社会とのつながりを求めて、
独りぼっちの不安を解消しようとする代償作用である。
この点については、もっと私たちは重大視すべきなのだ。

戦後社会にあって、テレビは、家庭に代わって、報道、娯楽、教育を司る
絶対的な権力として、日本国民の前に立ち現れた。
テレビメディアは、次第に巨大化し、新聞までも影響下に置くようになり、
あらゆる情報を独占し、自らの恣意で情報を選択し、
それを下々の民に分配するという構造を築き上げた。

それを主導したのは、巨大広告代理店電通だった。
国民からタダ同然で、独占的に貸し与えられている公共電波を持つ
テレビ局に、電通はスポンサー企業を提供して巨大化し、
テレビ局自身も、実際の番組製作を下請けプロダクションに発注して、
汗をかくことなく金儲けに邁進できる独占的な情報産業システムを
作り上げたのである。

その電通とテレビメディアが一緒に日本国民への
「一大洗脳工作プロジェクト」を実行したのが、韓流ブームだった。
韓流ブームは、「楽しくなければ世界じゃない」と浮かれ騒ぐ日本社会の
精神的空白、空隙ギャップを埋めるかのように開始された。

以来、韓流キャンペーンは、様々に形を変えて、マスメディアを巧みに
利用しながら、繰り返し推進され、三月十一日の未曾有の大災害と
原発事故勃発の中にあっても、テレビの「韓流」番組や韓流タレントの
日本流入は、益々、浸透拡大しているように見える。

しかし、今ある韓流の浸透現象は、
本当に電通のメディア工作が功を奏しただけなのだろうか。
もちろんその要素は大きいが、私はそれだけではないと思っている。

これが最も大事な点だが、「韓流」といわれるドラマの表現や
歌や踊りの中に、あるいは韓流スターの姿に、
フジテレビの「楽しくなければテレビじゃない」世界に欠けている要素、
日本のテレビが今、視聴者に提供出来なかった要素、
すっぽり抜け落ちている精神的要素が潜んでいたのではないかと、
私は不安に思っているのである。

結論的に言えば、日本国民全てが欲望の赴くまま、貪り、遊び、笑い、
浮かれていた日本社会の精神的空洞を埋めるように、
恋人や家族間の直接的な愛憎や孤独、怒りや悲しみ、苦しみ、
泣き笑い等々、そんな人と人の直接的な心の絆を求める
日本人の心の空白を埋めるように、
韓流ブームは始まり、浸透し始めたのではないか。

戦後日本社会、とりわけバブル以降の日本社会が、意図的に無視し、
捨てようとしてきた「日本的なるもの」の疑似世界として
韓流が日本社会に逆輸入され、日本社会の空白、空隙をついて
入りこんだような気がする。

しかし、ほとんどの日本人は、
それが似非であることを勘付き始めている。

韓流ブームは、日本人の「魂の危機」「魂の空白」を、
反面教師として教えているのかもしれない。

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