【巻頭エッセイ】

「尖閣諸島が沈黙で伝えるもの」

                 日本文化チャンネル桜代表 水島 総

十一月十五日、参院議員会館で、超党派の「日本の領土を守るため
行動する議員連盟」が、「尖閣の魚を食す会」を催し、民主、自民、
国民新党などの有志議員が尖閣諸島近海で二日前獲れたばかりの
新鮮なカツオやマグロ、サワラ、ヤコウ貝等の魚介料理を味わった。

この魚は、私が幹事長を務める「頑張れ日本!全国行動委員会」が、
十二日と十三日、石垣島の漁船六隻と宮古島五隻、与那国島二隻の
「連合艦隊」で尖閣諸島に出漁し、獲ってきた魚介類だった。

多くの国会議員や関係者が会場に来て、
誰もが「美味しい」「美味い」を連発してくれ嬉しかった。
私自身も食べてみたが、黒潮にもまれた魚は本当に美味かった。 

先島諸島の漁師たちが漁をし、水揚げした魚を空輸し、翌日、東京
の寿司業者が刺身やてんぷら、煮物にして、会場内で寿司を握り、
国会議員とその関係者、政府の役人、メディアがそれを食したという
事実、これは、尖閣諸島が紛れもない日本の領土、領海であり、
実効支配されている力強い実証となった。

「領土議連」の催しの前半は、各省の政府役人を交えた一種の学習会
で、領土問題についての関係省庁との質疑応答や議論がされる。
私と中山義隆石垣市長も招かれて出席し、中山市長は、
「尖閣周辺の魚は種類も豊富で、非常に大きい。
 尖閣に避難港を作るなどして、八重山の漁業関係者が
 安心して漁を出来るようにしてほしい」
と挨拶した。

続いて私が、二日前の尖閣諸島の映像を議員諸氏に見せながら、
豊かな尖閣諸島海域における漁師達の安全操業支援、尖閣諸島の
環境保全、尖閣実効支配の実行を訴えた。
ビデオ映像には、荒海を行く私たちの漁船「第一桜丸」や魚釣島の
様子だけではなく、海からの映像としては初めてだろう大正島や
久場島も映し出され、一部、尖閣の海中撮影映像も流された。

多くの議員から握手を求められ、尖閣映像の提供を依頼された。
議連会長の山谷えり子参院議員が、「いのちがけでしたね」と、
私や日本最初の尖閣女性レポーターとして同行した葛城奈海さんを
ねぎらい、記者団に「尖閣諸島に避難港を整備しなければならない」と
改めて力説した。
翌日、この催しは産経新聞や時事通信の記事となった。

今夏より準備したこの尖閣企画が、多くの関係者の皆さんのおかげで
実現し、成功裏に完了出来た。

皆さんが笑顔で尖閣の鮮魚類を食べる姿を見ながら、つい数日前、
これらの魚を獲る為に出掛けた尖閣諸島航海を思い出していた。
開会直前、葛城さんから、携帯電話に入っていた
石垣でお世話になった漁師砂川さんからの留守電を聞かせてもらい、
心を打たれたからだ。
それは、酔っぱらって、ちょっと淋しそうな塩辛声だった。

「……多分、さくらチャンネル、あと、一年くらいは(石垣には)
 来んと思うけど……頑張ってな……応援してます」

短いが心のこもったメッセージだった。
砂川さんをはじめ、第一桜丸船長の吉本さん、八重山・宮古の漁師
さんたちの赤銅色の笑顔が次々に目に浮かんだ。
そうか、これが日本だと思った。
ああ、よくぞ日本に生まれけり、日本の漁師たちと、同じ時と場所を
過ごし、素晴らしい国日本に生まれた僥倖を改めて思った。

今回の八重山・宮古連合漁船団には、「漁師見習い」として、私の他、
葛城さん、スタッフ三名、カメラマンの山本皓一さん、共同通信の原田
さんが同乗した。

出航前、原田さんから、
「水島さんは、なぜ、そんなに尖閣にこだわるんですか」と聞かれた。
直ぐに頭に浮かんだのは、製作途中の映画「南京の真実」の第二部
だった。

「南京大虐殺」が、戦後の詳細な歴史研究によって、中国側の歴史
捏造であると明らかになりながら、中国共産党のでっち上げ証人や
捏造映像の大宣伝によって、未だ無実の罪と汚名を着せられている
現実だった。

「今年の七月以来、尖閣はもう四度行きました。
 ちょっと離れた大正島や久場島も含め、尖閣諸島の全ての島に
 行きました。
 今回は八重山・宮古の各島の漁師たちが連合して日の丸を掲げ、
 尖閣諸島に漁に出ます。
 潜水漁も行います。

 これを映像化して、英語や中国語、ロシア語などのナレーションを
 入れ、インターネットで『日本国民は中国の尖閣侵略を許さない!』
 と、日本の実効支配の現実と決意を、世界中にアピールしたいと
 思っています。

 私は日本人として、命を懸けても、尖閣を守りたいと思ってますが、
 今の政府や政治家のことを考えると、ちょっと覚束ない。
 あってはならないが、中国に侵略を許す可能性もある。

 だから、映像できちんと、日本政府も民間も、尖閣諸島を実効支配
 していた映像の絶対証拠を、後世の日本の子供たちに遺しておき
 たいのです。
 万が一、尖閣がやられても、口先ばかりの根性無しの日本人ばかり
 ではなかった、身体を張っても尖閣を守ろうとした大人たちもいた、
 生活の場を守ろうとした日本の漁師がいた、誇りと勇気を持った
 日本人もいたと、未来の子供たちは、きっと誇りを持ってくれるでしょう。

 日本人としての誇りさえあれば、日本にどんな事態が起きようと、
 日本の子孫たちは必ず起ち上がってくれます。
 私たち日本人は、必ず、侵略者たちを日本の国土から叩き出して
 くれると信じています」

原田さんは、微かに頷くように目を伏せたが、
何も言わずにインタビューを終えた。

東京に戻り、荒海の中に姿を現した尖閣諸島を思い出している。

東シナ海の荒波と風雨に耐えながら、大陸からの侵略に、雄々しく
立ち向かおうとする孤独な防人たち……何度、尖閣を訪ねても、
そんな印象を受ける。
そして、言葉にならぬありがたさと愛おしさが、胸の内に湧き上がる。


 皇后陛下の御歌

  海陸(うみくが)の いづえを知らず 姿なき
  あまたの御霊 国守るらむ

               (平成八年八月十五日)


平成の絶唱のひとつとも言うべき皇后陛下の御歌が、
尖閣の島々と群青色の海と重なり、そして万葉の大伴家持の歌に、
深く重なっていくのである。


  海行かば 水漬く屍 山行かば 草生す屍 
  大君の辺にこそ死なめ かへりみはせじ


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