【巻頭エッセイ】

「今年の日本草莽運動 - 成否を誰かあげつらう」

                 日本文化チャンネル桜代表 水島 総

天皇誕生日に行われた「奉祝日の丸行進」は、新調された
日の丸約五百本をはためかせ、天長節の歌と雅楽の奉祝音楽を
流しながら、粛々整然と行われた。

寒風が吹き抜ける銀座の街を歩きながら、
天皇陛下が、本年は心の重い年だったと仰った意味を考えていた。
そして、二十日前に会った東北各地の被災者の皆さんの顔と言葉を
思い出していた。
十二月の初めでも、被災地のある場所は、
既に降った雪の跡が見られた。
寒さはより厳しくなっているに違いない。

十二月五日と六日、私たち頑張れ日本!全国行動委員会は、
福島県飯舘村、宮城県石巻市、女川町、岩手県陸前高田市、
釜石市へ、救援資金提供と救援調査のために出掛けた。
これが十一回目の出動で、これまで約六千五百万円の支援金と
物資を各被災地に届けてきた。
第一回目は、大震災発災の一週間後、福島第一原発二十キロ圏の
老人ホームに水と食料を届けたが、その時の緊張した被災地の
雰囲気は、今でも生々しく覚えている。

「政府は緊急用の石油備蓄基地を、韓国に作るそうですね。だったら、
 なぜ東北に作ってくれないんですか…瓦礫は片付きましたが、
 三月から、何にも、本当に何も変わっていません」
悔しさと悲しさを滲ませ、石巻市の被災者ボランティアリーダーの
高橋俊一さんが言った。

女川町で小さな仮設コンテナハウスの「居酒屋」を七月に開業した
伊藤陽子さんが、溜息混じりで話してくれた。
「被災直後は、何とか頑張ろうと思いました…でも、今は、気持ちが
 疲れてしまって…この先、どうなるのか」

女川町でも、瓦礫は片付けられたが、他は何も進んでいない。
人口約一万人のこの町では約一割が犠牲となったが、九ヶ月が過ぎて
なお、まともな居酒屋が一軒も開業できていない。

国民の目に晒される瓦礫だけを自衛隊を酷使して片付けさせ、その後、
九ヶ月も放置したままだ。
各被災地の惨状は、どこも大体同じで、これはもう復興を意識的に
遅らせているとしか思えない。
被災地を経済特区にして外国資本を入れようという計画もある。

瓦礫が消えて更地となり原野と化した市街地や住宅地に、
冷たい北風が吹き抜け、茫々と枯れ草が揺れている。
その荒涼とした様を見ると、政府民主党の復興策の冷血と冷酷に、
言いようのない怒りがわいてくる。

廃墟となった陸前高田高校の三階建ての校舎入り口には、
六ヶ月前、救援隊として私たちが掲げた日の丸の旗が、
色褪せたまま風に揺れていた。
これを果たして喜んでいいのか、こういう「何も進んでいない復興」の
事実を、ほとんどの国民は知らない。

放射能汚染で全村避難となった福島県飯舘村の菅野典雄村長にも
再会した。
そして、村長の悲痛な訴えと不屈の姿勢に胸を打たれた。

村長は、放射能被害が「風評から風化」に変わり、
村自体の分化(分解)が始まっている危機的状況を話してくれた。
村から避難した千七百世帯が二千七百世帯に増え、家族が
バラバラに暮らし始めていること、この一年で最も大事なのは、
村人が戻るための除染作業なのに、政府は除染を国策だと
言いながら、一方で土地の買い上げを言い出し始めていること。

こういう将来の全く視えない無策ぶりに、年寄りはともかく、
若者たちは諦めて離村しようとしており、
村の分解、分化が急速に進んでいるという。

飯舘村では、今も特養ホームが運営され、百二人のお年寄りが
暮らしている。
放射線量計で測ると、建物の外は毎時2マイクロシーベルト、
屋内では毎時0.2マイクロシーベルト である。
胃のCTスキャン一回の放射線量6900マイクロシーベルトを
考えれば、何の問題も無い数値だ。

しかし、日本郵便やヤマト運輸(クロネコヤマト)は物資と郵便物の
集荷・配達を拒否し、佐川急便のみが村内に立ち入っている。
政府は暫定基準値を年間20ミリシーベルトから
1ミリシーベルト(1000マイクロシーベルト)に変えると発表し、
不安や風評被害を増大させた。
何の基準も戦略も無いまま、小手先の対策で、
住民や地方自治体を振り回し、放置したままなのだ。

菅野村長は言う。
「今は村全体の復興というより、村人一人一人の
 (心の)復興が大切だと考えています」

つまり、たとえ飯舘村から離れても、村人の心の中に故郷の村が
ずっと生き続けるように、復興計画を進めようとの意味だ。
この言葉に、東北の人々の「復興」への複雑な思いと、
どのように復興を願い、考えているかが表れている。

現地の人を最も苛立たせ、絶望的にさせるのは、
民主党政府の姿勢に「心」や「情け」が感じられないことだ。

故郷(ふるさと)は、モノや金では買えない。
だから、ふるさとの復興も、モノや金だけでは実現しない。
しかし、金が無くては何も始まらない。

民主党の復興政策には、ふるさと再興という発想が皆無である。
口先のきれい事と金のばら撒きしか発想出来ない民主党政府
復興対策は、この政党の唯物論的な本質そのものであるが、
そのモノと金の対策すら、全く為されていないのだ。

復興の本質は、心の復興である。
家やモノが元に戻るだけではなく、被災者が地域共同体の一員
として「ふるさと意識」を取り戻し、生きる希望を取り戻す
心の復旧作業でもある。
今必要なのは、どういう故郷を復興させるのかという
「ふるさと復興戦略プラン」であり、金やモノはその手段でしかない。

同時に、今、それを必要としているのは、東北の被災者だけではない。
金とモノでしか人間や社会を見ることの出来なくなった
私たち戦後日本国民自体も、「心の復興」を必要としている。
東日本大震災は、戦後日本の在り方そのものを問うている。

東北被災地の復興を通して、私たち日本国民自身が
「復興」を成し遂げられるかが問われている。
恐らく、それは私たちが本来の「日本」を取り戻す
最後のチャンスかもしれない。

前回も述べたが、頑張れ日本!全国行動委員会は、野田内閣成立
直後から、この内閣が保守を装った反日従米GHQ内閣であり、
敗戦直後から推進されたGHQ(連合国占領軍総司令部)の
日本解体戦略の完成を目指す内閣だと指摘してきた。
日本の産業全てを米国に従属させるTPP交渉への参加表明、
女性宮家創設の唐突な発議、デフレ増税緊縮財政路線を見ると、
アメリカの影を強く感じざるを得ない。

事態はそれだけではない。

GHQが始めた「日本解体工作」は、韓国の一連の反日工作活動とも
通底している。
不法占拠を続けている竹島における港湾施設建設の発表や、十二月
になって強行されたソウル・日本大使館前の「従軍慰安婦」像設置、
そして本年推進された第二次韓流でっち上げ工作である。

これらの一連の反日活動が示すとおり、半永久的に日本の盟主たらん
とするアメリカのアジア戦略にとっても、二度と大日本帝国の「悪夢」を
再現させないことを願う中国や韓国、北朝鮮にとっても、戦後日本の
「脳内お花畑」体制の維持と徹底化が不可欠なのである。
そのためにも、TPPや女性皇室創設(皇統断絶)、人権擁護法案、
自治基本条例推進等が、内外の反日勢力によって
強力に推進されてきたのである。

そんな中、年の瀬に、反日NHKは、その総仕上げとも言うべき暴挙を
行おうとしている。

今年の紅白歌合戦に韓流K-POPグループ三組が
出場するというのである。

領土紛争勃発中の反日国家のタレントを「国民的行事」の
紅白歌合戦に三組も出場させるのは、
竹島の韓国領有を日本が黙認、是認したと看做されかねない。

大晦日、私たち頑張れ日本!全国行動委員会はNHKに大挙押しかけ、
この売国行為、売国放送に、断固とした抗議行動を実施する。
NHKホール横にあるイベントスペース「ふれあい広場」を押さえ、
東北の震災被災者たちを忘れたかのような浮かれ切った
NHKの反日姿勢に大々的に抗議するためのイベントを催すのである。

イベントのタイトルは、「年忘れしてはならない!紅白さくら祭」という
もので、サブタイトルが「みんなで『韓流紅白』をぶっ飛ばせ!」である。

NHKは野田内閣同様、日本解体の道を先頭に立ってひた走っている。
日本草莽の崛起だけが、亡国の道を阻止する唯一の勢力だと
言ってもいい。

私たちの戦いに成算は果たしてあるのか。

はっきり言うが、現在の日本の状況は、
ほとんど絶望に近いものがある。
しかし、私たちは戦いをやめない。
勝利するから戦うのではない。
敗北するから戦わないのではない。
日本の為に、やらなければならないから戦うのである。

昭和維新の歌の一節にもそんな歌詞が記されている。

  功名何ぞ夢の跡 消えざるものはただ誠
  人生意気に感じては 成否を誰かあげつらう

戦後ニッポン総体の否定から、本来の日本の姿の復興を目指し、
私たち日本草莽運動は、いよいよ、激動の平成二十四年へと
突入してゆく。
共に歩まんことを。

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