【巻頭エッセイ】

「日本国憲法はグローバリズムの教典」

                 日本文化チャンネル桜代表 水島 総

以前に番組でも紹介したが、元民社党委員長の塚本三郎氏から聞いた話で
ある。

「人たらし」と呼ばれた竹下登元首相は、選挙が終わると、次点で落選した
社会党の候補者の許に自ら赴き、二百万円程の「見舞金」を渡して、
「良い時は、必ず来るからね」と慰めて回ったそうである。

失意のどん底にいる社会党候補者たちは、涙を流して喜び、竹下氏に感謝し、
帰っていく後ろ姿を、土下座せんばかりに見送ったという。
当時は、中選挙区制だったから、次の選挙では「次点バネ」が働いて、彼らの
多くが当選を果たした。
そして、国会で与野党の国会対策問題が起きた時、彼等は一人残らず、
竹下氏の意向を受け入れたそうである。

「人たらし」の面目躍如たるものだが、ここから得られる教訓は色々ある。

ひとつは、人は辛い時、苦しい時、孤立を感じた時に、手を差し伸べてくれる
人に、本当の友情や人情を感じ、その「恩」を決して忘れないという事だ。
極めて日本的な話であるが、納得出来る。

もうひとつは、いざとなった時、人はお金に弱いという事だ。
この「人情」「金」の力によって「今太閤」と言われたのが田中角栄氏だった。

では外国人には、このやり方は通用するのか。
確かに、通用して、理解しあえる民族や国も世界には数多くあるだろう。

しかし、通じない国も確実にある。

お隣りの支那人には、こういう「人情」は、全く通用しない。
少なくとも、中国共産党には通用しない。
ただし、金が使えるうちは通用する。

支那人と同じように、朝鮮人にも、このやり方はほとんど通用しない。
ただし、支那人と同じく、金を渡す時だけは通用する。

この二つの民族は、恩を仇で返したり、忘れるのが、普通であるようなのだ。

いや、そんなことは無いだろう、あんたには民族差別的な意識があるんじゃ
ないかと言われるかもしれない。
しかし、それは違うので、敢えて言っておく。

私は「民族差別」的な意識などほとんど持っていない。
ただ、現実の姿は、残酷なまでに前述したとおりだと冷静に認識しているだけだ。
無論、支那朝鮮民族の人々の中にも、大変立派で尊敬すべき個人や素敵な
家族がいることを、私自身、体験で知っている。

私はただ「事実」を述べているだけだし、それが良い悪いと道徳的に判断して
いるわけではない。
各民族の歴史観や価値観が異なるのは当然であり、それに善悪の判断は
つけにくい。

つまり、そういう人達はそういう人達なので、しょうがないのである。
自分達の規範で、他民族の良い悪いを判断すべきではないのだ。

従って、両民族に、私たち日本人の親切や人情が通ぜず、恩を仇で返されるの
は、元々そういう民族だから、仕方ないし、自分達の思いが通じないから、彼等
が悪い、駄目だ、劣等だと言っても栓無い事なのだ。
そのように私達は冷徹に考えるべきである。

私たちの道徳観や正義観とは全く異なる民族で「しょうがない」人達なのだから、
私達があれこれ彼らの規範や考え方を「裁く」筋合いのものではないのだ。
同時に、彼等の歴史や価値観で、私達にあれこれ言われる筋あいも全く無い。

問題なのは、各民族には、異なる価値観や歴史観、道徳観があるという、
当たり前の事実と現実を本当に理解している人が少ないという事だ。

「人類は皆、兄弟」だと思ってもいいが、事実、私もそう思っているが、相手は
そう思っていない可能性が極めて高いという認識だけは持つべきだ。

曽野綾子さんがエッセイで、アラブの砂漠の民ベドゥインと日本人の違いを
砂漠の井戸の使い方で比較している文章がある。
日本人は砂漠にたったひとつ井戸がある場合、皆で共同使用しようとするが、
砂漠の民は、全く異なる。
誰かが独り占めするまで、戦い争うというのだ。
それを私達の基準で、良し悪し、優劣を決める筋合いのものではない。

私達は、私達の国の周囲の隣国では、私達とは全く異なる世界観や価値観を
抱いた人々が暮らしている事を、もっともっと、しっかり自覚すべきである。

それが出来なければ、彼等と冷静に、対等に、喧嘩をする事なく「お付き合い
する」事など出来ない。

例えば、朝鮮人や支那人をあからさまに罵倒、罵詈雑言を浴びせている人々
や団体がある。
私が言いたいのは、なぜ、日本人なのに、朝鮮人や支那人と同じようなやり方
をするのかという思いである。

そして、日本人の自分達と支那人、朝鮮人の価値観が一緒だと考えているから、
彼等と同じように相手に非難を浴びせるのだと考えている。
つまり、人権、ヒューマニズム、自由、民主といった近代主義イデオロギーの
産物であり、言いかえれば、グローバリズムである。
だから、「人情も、恩義もわからぬ」人達に、「人間」としての人情や恩義を期待
して非難しているのである。
土台、無理な話なのだ。

今、日本に起きているのは、その厳しい世界認識を持てない人々が、戦後日本
社会の指導層になっており、その人々が戦後日本社会の政界、財界、官界、
労働界、教育界、マスメディアの中枢を占めている現実である

彼等は、左翼リベラルイデオロギーの持ち主と言うよりも、日本国憲法前文の
「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持
しようと決意した」という言葉に能天気に安住し、国防安全保障を他国(とりわけ
米国)に任せ、本気で国連中心主義が成立すると思っている「ルーピーさん」達
なのである。

彼等の特徴は、頭の中に、「日本」という意識がほとんど無いという点だ。
その裏返しの「国連中心主義」という言葉に象徴されるように、腐臭を放つ
「グローバリズム」が頭の中に満ちている事だ。

彼等は「日本」を主語とする事が出来ない。
日米や日中はあっても、日本が無い。

この思考スタイルが、「日米関係の深化」「戦略的互恵関係の日中友好」
「東アジア共同体」「TPP」と言った言葉を生み出している。

一例を挙げれば、国家主権の最も重要な要素である「関税自主権」を放棄
しようなどという「気違い沙汰」を簡単に行おうというTPP賛成論者である。
それが民主党政権であり、マスメディアであり、財界であり、戦後保守と呼ば
れるグローバリスト達である。

関税をゼロ、または限りなくゼロに近づける事と、関税自主権を放棄する事
とは、根本的に異なる。
それは「国家主権」の放棄である。
自由貿易の促進を目指す事(私も賛成だ)と、経済に「国境」「国家」をなくす
事は、全く本質的に異なる事なのだ。

日本国憲法のグローバル精神を骨の髄まで沁み込ませ、「日本」を失ってしま
った戦後日本の「敗戦利得者」達が、今、現在の日本の指導層である。
彼等にとって、日本は金儲けの拠点でしかない。

彼等は、我が国の歴史や伝統文化がかけがえの無いものであると、夢にも
思いつかないグローバリスト達である。
極端な言い方をすれば、戦後日本人は、反共だろうと容共左翼だろうと、皆、
多かれ少なかれグローバリストだった。

戦後日本とは、日本の長い歴史の中で、「日本」が消えた時代だと言える。

戦後日本は、グローバリズムの流れの中で、大東亜戦争がアングロサクソン
世界支配と世界秩序に抗する、『異議申し立て』の戦いだった事を忘れた時代
であり、「日本」が消えてしまった時代なのだ。

その証拠に、日本の歴史上、六十数年間以上も外国人の軍隊が、我が国土に
駐留した時代は一度も無かった。
私達戦後日本人は、日本の歴史上もっとも恥かしい時代を生きている。
しかも、それに気づく人間がほとんど皆無という、より恥かしい時代なのだ。

私が映画「南京の真実」第一部の終わりの部分で、教誨師に「……日本が
消えた」と台詞で語らせたのは、「A級戦犯」と呼ばれた人々の雄々しい最後の
姿に、「人道に対する罪」とか「平和に対する罪」といった「グローバル近代思想」
に抹殺された「日本」の姿を見たからである。

また、「南京大虐殺」なるでっち上げ歴史捏造に、大東亜戦争を戦った日本
民族の高い理想と意義が、無惨に抹殺される姿を見たからである。

私は人類の歴史の中で、これまで主流を占め、世界を支配して来た白人種
(欧米)世界の価値観を認めるものである。
ただし、支那人や朝鮮人にも独特の価値観があるのを認めるのと同じ意味で
ある。
しかし、それに従いたいと思ってはいない。

日本には唯一無比の建国の理想と価値観がある。

それは「八紘一宇」と言われる「家族のような国家」の理想と、自然と先祖と
神々と共生しながら、生きとし生ける者たちが、皆、兄弟のように、家族の
ように生きるべきだという価値観である。

私自身は、我が国の世界観、価値観こそ、これからの人類の普遍的価値観
となる可能性があると考えている。

私達はこの「日本」を失ってはならない。
経済や軍事のグローバリズムなど、人間の本性を考えれば、取るに足らない
みみっちいヨーロッパ近代主義思想に過ぎないのである。

冒頭に取り上げた竹下元首相は、田中角栄元首相直系の側近だった。
「人情」と「金儲け」は、田中角栄を象徴するものだ。
また、戦後日本を象徴する要素である。

人情と金権体質を象徴する田中角栄が、台湾を棄て、日中国交回復を行った
のは、戦後日本が、文字通り「日本が消える」きっかけとなる事件だった。
私達日本人は、「アジアはひとつ」という幻想のグローバリズムによって、日中
国交正常化を行い、「日中友好」を御題目のように繰り返し、国民の税金を
六兆円以上も支那共産党に渡し、悪魔の帝国の形成に力を貸した。
日本の責任は重い。

支那人は、日本人が金をくれるのは、支那人に悪い事をして申し訳ないと思って
おり、自分たちも金が儲かるから、くれるのだとしか考えない。
実際、六兆円のODAの金を中国に注ぎ込み、そのおこぼれのバックペイを受け
取った「親中派」国会議員も沢山いた。
日中貿易の拡大の中、中国進出日本企業も巻き込んで、この構造は今も変わ
っていない。

中国という国は、チベットも、ウイグルも、モンゴルも、満州も、皆、侵略併呑して
「中華」と自称するグローバル帝国(合衆国)となっている。

見逃してはならないのは、アメリカ合衆国と酷似している点だ。
左右のイデオロギーや民主主義と全体主義との違いはあっても、本質的な共通
点がある。
アメリカも中国もグローバリズムを本質とする国という事だ。

このグローバリズムは、冷戦崩壊以後、イデオロギーの対立を包含し、経済面で
の世界無政府状態を生み出した。
グローバリズムの危険は、単なる経済に限らない。
日本の国防軍事、教育、情報等々、各分野で是非とも克服すべき重要課題で
ある。

その為には、まず、私達日本国民が「日本」を取り戻す事だ。
そして、なるべく早く日本人の「正気」を取り戻し、支那や朝鮮の人々とは価値観、
世界観が異なり、一緒にはやっていけないという現実を、真正面から引き受ける
事だ。
べったりと仲良くしたり、共同で事業をする事など、出来るだけ控えて距離を置く
事だ。

そして、あくまでも、「日本」を主語にした姿勢で、冷徹な国際関係の協調や親善、
出来る限りの自由貿易を目指すべきなのである。

「日本」が帰って来た時、本当のアジアの平和、日本の再生が可能となる。

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