「日本文化チャンネル桜二千人委員会」発足 南京の真実
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美しい日本について<第三部>

背戸の小藪 2004-02-01 22:13:06 No.11630
 ここは「美しい日本について話そう」をテーマにしたスレッドの第三部です。
 この庵には、投稿に関して、他のスレッドとは異なる特別のルールがありますが、今回は再掲しません。興味のある方は、<第二部>の冒頭をご覧下さい。
 見なくても問題はありません、常識をお持ちの方ならば。
 何を話すのか、については第一部である「美しい日本について、ひそひそ話」を参考にしてください。これは、ちょっと下の方に隠れてしまいましたが。

usabou 2004-02-20 23:32:42 No.14223
思い出すのは、古里の山河!!!

義理人情!!!

日本人の、美徳、人徳は国際的に通用します!!!

自信を持て!!!

佐藤先遣隊長殿!!!

DR.usabou拝


背戸の小藪 2004-02-21 10:00:17 No.14277
usabou 君よ。
 もし君に「日本人の美徳」があるなら、
次々に新しいスレッドを建てるのを止め給え。
 君は、それでこの掲示板を賑やかに
しているつもりかも知れないが、その実は妨害だ。
 何故なら、せっかくの有意義なスレッドが
どんどん下に追いやられて隠されてしまうからだ。

 もし君に本当に何か訴えたいことがあるなら、
一つのホームグラウンドを決めて、その中で意見を開陳し給え。
その方が読む方も理解しやすいし、他の人の迷惑にもならない。
 
 もし君に「日本人の美徳」があるなら、
無作法な行為は日本人として恥ずかしいと知り給え。
このスレッドでは大声は禁止だと、第二部の冒頭に書いてある。
演奏会の会場で走り回る子は、尻をたたいて追い出されるよ。
背戸の小藪 2004-02-21 11:40:02 No.14295
    ○閑話休題
 最近、韓国の研究者がヒトクローン胚からES細胞を作り出すのに成功して、大きな話題となりましたが、その中心人物黄禹錫(ファン・ウソク)氏の記事を読んでいて、感心したことがあります。
 黄教授は、研究から発生した特許のロイヤルティについて、大学や他の研究者に権利を譲って、自らは取らなかったと云うのです。
 これは、青色発光ダイオードの発明で200億円を会社から勝ち取った日本の研究者に対する皮肉なのでしょうか?
 
 朝鮮日報の記事によれば、教授は清貧を尊び、飛行機でもエコノミークラスに乗り、ホテルもわざと安宿を選ぶというのです。
 そう云えば、最近韓国の若い世代で、勤倹節約をモットーとする人たち(新チャリンコビ)が出現してニュースになったことを思い出しました。これは、やたらに格好をつけたがる見栄っ張りの韓国人には、珍しい風潮に違いないからです。金融危機からIMFの支配下に入った当時の苦しい体験が、実を結んだ一つの例なのかも知れません。
 
 黄教授が熱心な仏教徒であることも、その清貧と無関係ではないでしょう。韓国の坊さんには呆れることも多いのですが、マイナス面ばかり見ていたのでは分からないこともあります。
 
 ヒトクローン胚の研究自体に問題があることは承知しております。日本では禁止されている分野のようですし、もしクローン人間の誕生に繋がってしまっては、困ったことになります。けれど一方で、臓器移植に新しい希望を生み出す可能性がある訳で、それで助かるかも知れない命が沢山あることも事実です。私自身は研究に懐疑的ですが、本稿のテーマはその問題ではなく、あくまで「清貧」であります。
 
 
背戸の小藪 2004-02-21 15:33:49 No.14320
    ●良寛のための弁明
 昨日図書館に行った際、良寛の詩歌のアンソロジーを見つけましたので、立ち読みしていましたら、良寛は「座禅も組まず、説教もしなかった」と解説に書いてありました。これには驚きました。それは、ちょっと違うでしょう。良寛自身が、
 
 昼出城市行乞食 (昼は城市に出でて 行きて食を乞ひ)
 夜帰嵓下坐安禅 (夜は嵓下に帰りて 坐して禅に安んず)
 蕭然一衲与一鉢 (蕭然たり 一衲と一鉢と)
 西天風流実可憐 (西天の風流 実に憐れむべし)
 
 夜は巌の下で坐禅を組んだと書いております。持っているものは一枚の衣と一つの鉢だけ。しかしこのインド流儀は面白い、と。又、
 
 今吾苦口説 (いま吾 ねんごろに口説するは)
 竟非好心作 (ついに好心のなすにあらず)
 自今熟思量 (今より つらつら思量して)
 可改汝其度 (汝がその度を 改むべし)
 
 と説教を垂れています。これは若い僧に向けて書いた詩の一節ですが、在家の人にとっても有益な教えでした。
 良寛は、単なる破戒僧ではありません。坐禅を軽視した人でもなく、悟りを求めなかったのでもありません。きわめて真面目な修行者であった、と思います。ですが、そこに安住できなかったのです。
 彼は、悟りを開いた禅僧を演じることに飽いていました。それは本当の自分ではない、と感じていました。脱皮が必要だったのです。ここで私が使った「本当の自分」という語の意味は、今の若者が使う「自分探し」の自分とは重さが違います。良寛は、厳しい修行の中で、否定し否定し更に否定し尽くした後に、まだ残る自分を発見しているのです。この間に、三十年以上の歳月が経っております。そしてその後に、昔の栄蔵のままの自分を発見しているのです。それは、空しさや諦めだけではありません。無明の底で見出した、命の輝きでした。
 (続く)
 
背戸の小藪 2004-02-22 09:31:15 No.14384
    ○良寛キライ
 前回の続きで極論めいたことを書きますが、良寛の人生には壮年期がない、というのが私の見方です。
 この間の良寛は、どんな心の持ち主だったのか。それは少年栄蔵が、立派な僧になろうとして努力した日々であったものの、同時に人間としての成熟を拒否された歳月でもあった、と私は感じるのです。時にはムキになって出家の正当性と仏法の有難さを主張した彼の歌は、逆にその裏に抱えていた不安の大きさを、想像させます。
 彼の純粋さは、大人になれない子供のままに、良寛という一個の僧侶を作り上げていきながら、その作り上げた外側の張子と、中身の自分との乖離に苦しむ結果をもたらしたのではないか。
 
 世の中になにが苦しと人問はゞ
   御法(みのり)を知らぬ人と答へよ

 この歌は二様に解釈することが出来ます。第一は、「法を知らぬ人」を迷える人間一般と見て、それ故にお前達もしっかりと仏の教えを学べ、と諭したものと解する。第二は、「法を知らぬ人」を良寛自身と読んで、自らの苦しさを告白したものと解する。どちらが正しいでしょうか。別の歌をあげましょう。
 
 法(のり)の道まことは見えできのふの日も
   今日も空しく暮らしつるかな

 こちらははっきりと、見えない、と言っております。
 いつかは、この僧衣を脱がねばならない、と良寛は考えていたと思います。しかし、気が付いた時は、すでに老境に入っていました。
 かくて、少年から一足飛びに老人になった良寛は、やっと自分が解放されたことを知ります。それは精神的なものであると同時に肉体的なものでもあったでしょう。彼は、まず性欲から解放されました。いや、もっと正確に言えば、欲望を理性によって押さえつける必要を感じなくなったのでしょう。酒に酔って痴の如くなったとしても、もう不安はありません。まことに皮肉な話ですが、仏僧としての悟りを放棄した時、はじめて自由で自然な人間性を回復し、かえって御仏の心に近づいたのです。
 
 こどもらと手まりつきつゝこの里に
   遊ぶ春日(はるひ)は暮れずともよし

 人生を謳歌する喜びにあふれています。良寛は少年に帰ったのです。
(続く) 
背戸の小藪 2004-02-22 16:49:59 No.14413
    ○良寛キライ
 良寛を語るには、その晩年を彩った尼僧との関係を抜きにしては完成しません。彼にとって孫のような若い女性貞心は、どんな存在だったのでしょうか。

 君や忘る道や隠るゝこの頃は
   待てど暮らせどおとづれのなき

 これはもう恋文ですね。良寛と貞心は相思相愛の恋人であった、と言ってよいと思われます。特に寂しがりやで人好きであった良寛は、厳しい修行の最中は禁じていた自らの「人恋しさ」を爆発させるように、貞心の来訪を待ち受けるようになりました。
 貞心は恋人であると同時に、仏の道の弟子でもあり、亡くなった母を思い出させる存在でもあったでしょう。生きることは、もはや苦ではない。それは喜びだ、と良寛には思われたでしょう。
 
 と、ここまで書いて、ハタと気付きました。
 私が良寛が嫌いなのは、この部分ではないか、と。そうか、これは嫉妬なのかしらん?私は俗物ですが、いささか潔癖症というべき性質があり、僧侶のくせにこんな若い女とイチャイチャしやがって、何たる破戒坊主だ!と怒っていたのかも知れません。
 私自身は、僧でもないのに頭を剃って、生涯独身を貫いています。また、酒も煙草も一切やらず、海外旅行は一度もせず、外泊すらこの十数年したことがありません。何の為にか!?
 私の家は浄土真宗で、高校生の頃から歎異抄を愛読して育った私は、この宗派の僧侶が髪を伸ばし妻帯していることに不信感を抱いて来ました。確かに親鸞上人は、そのような外形に拘らず、中身の信仰心をこそ大切にしましたが、今の坊主はそれを良い口実にして勝手し放題ではないか、との怒りがあるのです。髪の毛位剃ったって、罰は当たらぬぞ、と思うのです。加えて、宗派の中のあの醜い争い!
 私は、浄土真宗への怒りを、禅僧の良寛にまで八つ当たりしていたのかも知れません。しかし、
 
 うま酒に肴持て来よいつもいつも
   草の庵に宿は貸さまし
 
 これは別人に宛てた歌ですが、こんな酒と肴を所望する生臭坊主を、あなたは尊敬できますか?(続く)
ファンの感想文 2004-02-22 19:17:21 No.14421
お話を逸らすようで申し訳ないのですが
仏教の堕落は江戸時代幕府に手厚く保護されていたことも無縁ではないように思います。
このような時代背景の状況描写など重層的な描写も必要ではないのでしょうか。良寛の姿だけしか見えないのが寂しく思います。
だんだん読み物として期待するようになって、勝手なこと申し上げました。私は知識もなく感覚的に言っているだけですので無視して頂いても結構です。

梓弓 2004-02-22 20:00:01 No.14428
>背戸の小藪 様

いつも興味深く、楽しみに読ませていただいております。私は禅を少しばかりかじっており、良寛様の論考を感心しながら、読ませていただいております。

>まことに皮肉な話ですが、仏僧としての悟りを放棄した時、はじめて自由で自然な人間性を回復し、かえって御仏の心に近づいたのです。

小賢しい言い方になるかも知れませんが、この境涯こそ、禅では「悟り」というものではないでしょうか。
「心が無ければみな、こころ」「私が無ければみな、わたし」
 僧でも俗でもなく、ただひたすら「いのち」であることに「なりきった姿」、そのような気がします。 
 
 確かに、良寛様の晩年は、女性や酒等、生臭坊主ではありますが、しかし、生臭いという「観念」そのものが消失し、ただ「いのちの風光」としてあったような気がするのです。

 良寛様は「在家」仏教徒の理想的姿像ではないでしょうか。妙好人の皆様も、同様ではないでしょうか。

 道元禅師の「永平広録」を夜っぴて読み、感動の涙で本を濡らした良寛様、引用なさっていた

 摩頂して 独り立ちけり 秋の風

の句を詠んだ良寛様の姿は、いのちを一杯に生き、「仏も我もなかりけり」の境涯を得ながら、限りあるいのちと限り在る衆生と共に、「ほとけのいのち」として、無常の世を共振しながら生きる姿だったような気がします。
 
 私は在家の者ですが、人間「本来の面目」に「なりきった」在家の究極の姿として良寛様を「好き」で尊敬いたしております。

背戸の小藪様の素晴らしい論考の続きを本当に楽しみにしております。
背戸の小藪 2004-02-22 23:51:55 No.14471
ファンの感想文様。

 背景の状況描写が足りないとのご指摘ですが、たしかにその通りですが、二つの理由があります。一つは、良寛を江戸時代の人間として考えるのではなく、現代にも居る人間の一人として考えることに主眼があります。二つめの理由は、江戸の話を始めると、終わらなくなってしまうからです。私としては寧ろそちらの方が専門ですので、江戸の話は別の機会に譲りましょう。

梓弓様。

>小賢しい言い方になるかも知れませんが、この境涯こそ、
>禅では「悟り」というものではないでしょうか。

 そのように考えられるのも無理からぬ所と存じますが、何しろ私は禅僧ではなく、在家の信者ですので、何が悟りか分かりません。自分自身に悟りの体験がないからです。そういう立場から見ての良寛さんですから、専門家の眼から見ると、的外れの描写になっていることだろうと思います。敢えて的外れになるよう願っている部分もあります。筆者の視点の違いにこそ、書く意味も生じると信じるからです。

>良寛様は「在家」仏教徒の理想的姿像ではないでしょうか。

 これは、同意出来ません。もし在家なら、良寛さんも働かねばならないでしょう。働く能力があるのに働かずして食べる人を、私は在家とは考えないのです。この意味で、良寛さんは最後まで出家であったと思います。
 ただし、このことで論争するつもりはありません。人は皆それぞれの良寛像を持っているのであり、私は私の良寛を描くしかないからです。
 ご指摘ありがとうございました。
 ご不快に思われる記述も多々あると存じますが、どうぞ大目に見てやってください。
piro 2004-02-23 00:50:06 No.14472
背戸の小薮さま

拝見していて不思議な気持ちでした。

江戸時代を背景に反目するようにあえて気楽を装い、
権威や階位に我が身で鐘を打ち鳴らす良寛様と、

現代を背景に良寛様をたとえて文章を書かれている、
背戸の小薮さまが、共通して生きている時代の価値観をとても心配していらっしゃるお気持ちが同じくしていらっしゃるように思います。

お二人とも全く違う個性でそれでいて同じ疑問を生きている時代にお持ちになってるように感じます。

宗教とは何か、信仰とは何か、信じて叩いた扉を開けられた其の日から、他を救うためか、自己が救われるためかというするどい葛藤を感じるような気がします。
同時に自分にできる事、そして自分に人が救えるだろうかという疑問と不安。自分自身救われるのだろうかという迷いもあったのかもしれません。

良寛様の晩年は喜びと幸せに満ちた生活だったのでしょうね。自分が幸せを知らずして幸せが語れぬように、晩年の良寛様が民衆の営みを見つめるまなざしは、若かりし頃のよりあたたかく、包み込むような喜びの眼差しだったのではないでしょうか。
それだけでも人に与える幸せは大きいでしょう。

自分のために修行をされる方はたくさんいらっしゃいますが、自分を捨てて、人が望むままに一生を演じて生きる方は数えるほどでしょう。
「我」を捨て民衆に答える事に一生を捧げた方のように思います。
梓弓 2004-02-23 01:46:57 No.14477
>背戸の小薮 様

>ご不快に思われる記述も多々あると存じますが

とんでもございません。一点たりとも、不快などという気持ちはございません。ただただ、素晴らしい論考と、胸にしみる文章に、敬意を表したかっただけです。

私こそ、ご不快な点がございましたら、お詫び申し上げます。

また、私も論争などしたいとは全く考えておりません。
「日本の心」と「仏性」に貫かれたこのスレッドは、「論争」の次元を超えたものを目指していると、私も思っております。
 
引き続きの論考を楽しみにしております。
失礼を申し上げました。
背戸の小藪 2004-02-23 10:53:55 No.14503
    ○良寛キライ
 酒を飲み、肴を食い、女弟子と遊んで、それで立派な僧侶と言えるでしょうか?
 こんな人物を尊敬できるなら、誰だって尊敬できる。上げたり下げたりするようで恐縮ですが、私は良寛を大いに揺さぶらねばなりません。そうでないとその本質が分からないからです。

 良寛の詩歌はどうか?
 まず俳句。素人芸の域を出ません。中に傑出したものもありますが、素人だって一生のうちに一つや二つは傑作を書けるものです。
 次に漢詩。日本人の作った最高水準にあるもの、と高く評価する論者もいるようです。私に言わせれば贔屓の引き倒しですね。真面目に勉強すれば、これ位は書けるでしょう。
 和歌。万葉振りの長歌がありますが、これは好感が持てます。特にすぐれているとも思えませんが、素朴な味わいは愛すべきで、ちょっと意表を突かれたような感じがします。短歌は、中の上でしょうか。少し甘い点かも知れません。
 
 思想家としての良寛はどうか?
 僧としての良寛は、布教の実績もなく、経典の新しい解釈もなく、記すべき功績はありません。思想家といえるような著作も講義もありません。彼は日本の思想史に何の貢献もしておりません。
 
 最後に生活者としての良寛はどうか?
 ここですね。歴史的な良寛の存在価値は。良寛は多くの人に影響を与え、今もなお与え続けています。その良寛は、必ずしも僧侶としての良寛ではありません。と言って、完全に還俗した訳でもありません。中途半端な存在でした。貞心は彼を仏法の師として見ていたようですが、本心はどうだったでしょう。
 良寛は労働をしませんでした。ただ、鉢を抱えて食を乞い、生活に必要なものをすべて人から貰って生きていたのです。恵んで貰うことで、彼は人々に何かを返していたのでしょう。揮毫するだけでなく。精神的な何かを。心を返すためには、乞食として存在することが、必須の条件でした。
 人々にとって、良寛に恵むことは、仏に捧げることであり、神に献上することでした。良寛は神仏に代わって、それを受け取り生きていたのです。このような存在は、多分良寛一人だけではないでしょう。現代でも同じような役割を果たしている人間を、見ることが出来るのではないでしょうか。意識しているかどうかは別にして。(続く)
背戸の小藪 2004-02-23 20:54:02 No.14584
    ○良寛キライ
 現代でも良寛と同じような役割を果たしている人間を、見ることが出来るのではないでしょうか、と私は書きました。
 具体的に、ではどんな人か。私は個人的に知り合いであったAさんを思い出します。
 
 Aさんはスポーツマンで、大学時代はアメリカン・フットボールの選手でした。ところが事故にあって、若くしてベッドに寝たきりの人生を送ることになりました。自分では殆ど何も出来ず、食べることも下の世話も、両親の助けが必要でした。会話は出来ますが、自分の顔にとまった蝿を払うことは難しいようでした。
 私は、御両親の献身的な介護に感心し、同時にその労苦を思って、慰めの言葉をかけずには居られませんでした。
 ところが、お母さんは、にこにこ笑っておられたのです。そして仰いました。
 「この子はもう仏様みたいなものですから。」
 仏様は、お母さんの方じゃありませんか?と私は尋ねました。
 「いいえ、私は仏様に仕える召使みたいなもので。」
 
 私にはなかなか理解出来なかったのですが、お母さんは、Aさんを世話する苦労を仏様に仕える喜びに転化しておられたのです。
 良寛という存在は、ある意味でこのAさんと同じなのではないかという気がします。
 良寛は人々の求めに応じて、詩歌を書いたり、教えを垂れたりしたようですが、何よりも眼前に生きてあることが、そのままで人々の救いであり喜びであったのでしょう。良寛の声を聞き、その姿を見ることが、心の和む体験であったに違いありません。
 一方良寛は、愛される存在であろうとして何らかの努力を必要とする人間では、もうなくなっていました。これを悟りというのでしょうか?むしろ悟りを捨てた人間と、私には見えます。ラッキョウの皮を剥くような悟りの世界を脱し、そんなものは知りませんよ、と一人で踊り出した姿が眼に浮かびます。
 もう僧であるか、在家であるか、の区別はありません。けれど生身の人間であることだけは確かなのです。
 良寛は石のお地蔵様ではありませんでした。
 (次回に結論?を書きます)
 
背戸の小藪 2004-02-24 09:42:32 No.14668
    ○良寛キライ(シリーズの最終回の1)
 良寛は最後に、腸の病に侵されたようです。激しい下痢と痛みに、転々として眠れず、糞尿まみれになって朝を迎えるという有様でした。朝になれば手伝いに来て洗濯してくれる下女がいたようです。これほどの人物でも、仏様ではなく、下女の助けの方を待ち焦がれる、それが病苦というものでしょう。

 この夜らの いつか明けなむ この夜らの 明けはなれなば
 おみな来て 尿(ばり)を洗はむ こひまろび
 明かしかねけり ながきこの夜を

 また「草庵雪夜作」という詩の中で、「回首七十有余年 人間是非飽看破」(かうべをめぐらせば七十有余年 じんかんの是非 看破するに飽く)と書いています。「人間の是非」とは「世の中の何が正しくて何が間違っているか」という意味です。それを考えることにも飽いた、と言うのです。
 良寛はもう、善悪の観念さえ、うとましいと感じていました。そして、病が完治することはなく、天保二年(1831)正月、良寛はこの世を去ります。享年七十四。
 
 良寛には、辞世の歌はなかったようですが、伝説としては、こんな歌があります。
 
 良寛の辞世を何と人問はば
   死にたくないと言ふたとしてくれ
 
 これは良く出来てますね。誰の作か知りませんが、良寛の心を見事に表現しています。でも実際の良寛は何と言って、死んだのでしょうか?「死にたくない」と本当に言ったかも知れません。彼は悟り済ました禅僧としてではなく、一人の弱々しい老人として息をひきとったのではないか、と私は想像しています。
 
 西方安楽国 (さいはう あんらくこく)
 南無弥陀仏 (なむみだぶつ)
 一念又十念 (いちねん またじふねん)
 往生何所疑 (わうじやう なんのうたがふところぞ)
 
背戸の小藪 2004-02-24 09:45:39 No.14669
    ○良寛キライ(最終回の2)
 ここでようやく、二つの問いに答える場所に来ました。
 問1:良寛は何故現代の日本人に愛されるのか?
 問2:私の仮説とは何か?

 問1については、しかし、もう私が答える必要はないものと思います。皆様がご自由にお答えを出して下さい。

 問2の答。すでに論じていることの繰り返しになりますが、良寛は大人になれなかった少年だった、と私は考えています。一度は名主の職を継ごうとして果たせず、出家して僧侶になるも、それにも満足出来ず、読書好きの少年の心を抱いたまま、自分の居場所を求めて歩き回ります。努力を否定するのではないが、努力によって得られたと信じた境地も、やがて砂のように瓦解してしまう。
 結局は一切の拘りを捨て、僧侶が守るべき戒律も破って、元の栄蔵に戻るしかなかった。けれど戻って見れば、それは元の栄蔵ではなかった!歳月と修業によって、虚飾を削り取られた新しい自分がそこにいる。少年から老人へと変貌した肉体の衰えが、心の再生を助けてくれたのかも知れない。 
 僧にして僧に非ず、俗にして俗に非ず。境界線の隘路の中に、どちらにも囚われない、ひろびろとした自由な空間が開けている。そんな場所があろうとは夢にも想像できなかった、新しい境地。この広場で鞠をつき、子供たちと遊び、酒を飲み、踊りを踊って、楽しむ。 
 これこそが御仏の愛し給う自然な人間の姿なのかもしれない。同時に、日本の神々の心に添う人間なのかも知れない。長い旅路の果てに、良寛は生まれた所に還ってきたのです。

 まさしく良寛は達人として生き、凡人として死んだのです。

  〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 最後になりましたが、良寛を論じるにあたって、特に参考にさせて頂いた書籍を紹介し、両氏の学恩に感謝申し上げます。
 東郷豊治編著「良寛詩集」〃編著「良寛歌集」
 谷川敏朗著「良寛全句集」〃著「良寛の生涯」
 
背戸の小藪 2004-02-24 22:34:27 No.14730
    ○良寛余話1
 良寛さんのことを考えて来て、自分の気持ちに一つの整理がついたような感がします。
 良寛はキライだ、という思いはもう無くなりました。不遜に聞こえるかも知れませんが、彼を「哀れ」と思うようになりました。悠揚迫らぬ歩き振りの内に隠した、彼のうろたえる心が理解でき、その人間としての不安や喜びが実感できたような気がしたのです。
 
 彼は「達人として生き、凡人として死んだ」、と書きましたが、こうした評価は、多くの良寛ファンを怒らせるものだったかも知れません。私の場合は安堵したのです。彼の病中歌は、彼が凡人であったことを包み隠さずに表明しています。凡人であることを、どうして卑下する必要があるでしょう。
 良寛自身は、そんな虚飾をとうに捨て去っていたのですから。
 自分が哀れむべき存在であることは、決して恥ではありません。人から同情されることは、決して屈辱的な体験ではありません。そんな風に思うのは、傲慢だからです。同情を、弱者に対する憐憫と軽侮の混じったもの、と考える人がいるとするなら、その人は自尊心に縛られているのです。良寛さんは、何も言わず、にこにこと笑って同情を受け取ったでしょう。

 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 ここで、ある告白を。
 良寛論を書くに際し、無視できぬ問題が生じました。
 私が立論の為に引用した歌について、彼の作品ではないかも知れないとの疑いがあったのです。これは、あとになって気付いたものですが。とすれば、私の推論自体が根拠のない馬鹿げた寝言だ、との批判を免れません。
 これには本当に困惑しました。しかし歌を削除しない訳にはいきません。話の脈絡が通じなくなる恐れもありましたが、已むを得ず、大手術をしました。
 
背戸の小藪 2004-02-25 09:53:45 No.14758
    ○良寛余話2

 おほけなく法(のり)の衣を身にまとひ
   坐りて見たり山桜かな

 「良寛歌集」の中にこの歌を発見したことから、私の良寛論は始まりました。この歌を中心にして、良寛の像を描いてみよう、と思ったのです。そしてほぼ完成した頃、よくよく見ると、この歌は良寛の作品ではないかも知れない、との疑いのあることが分かりました。
 愕然としましたね。
 慌てて、代わりになる歌を探しました。漢詩も俳句も読みました。けれどありません。この歌と同じニュアンスをもった作品はないのです。私の構想は崩壊しました。そこで、別の歌を選び、もともとの文章とは少し趣の違う説明をつけ、第二稿を書きました。それが上に発表したもので、オリジナルの高揚した気分は、かなり抑えられたものになっております。結論は同じですが、意味の通りにくい部分や、突然の論理の飛躍も生まれました。ごめんなさい。

 弁解に聞こえたとしたら、・・・いや、その通り。弁解です。
 本当は、最初から書き直せば良かったのかも知れません。しかし予定を変更した時には、すでに俳句の部分を発表済みでした。私としては、妥協する以外に方法がなかったのです。
 
 ただ、苦労はしましたが、勉強の甲斐はそれなりにあったのかも知れません。自分ではそれと意識していなかった密かな願望のあることにも気付きました。晩年の良寛のような心境には、絶対になれませんが。何故なら、私は僧としての修行を積んでいないからです。
 良寛は、たしかに破戒僧ですが、云わば確信犯です。確信を得るためには、まず捨てなければなりません。家族を捨て、物を捨て、地位を捨て、希望を捨て、真っ暗なトンネルを歩き続けねばなりません。十年も二十年も三十年も。その先にもし光が見えたとしても、それは幻覚に過ぎないのです。
 良寛がトンネルを脱したのは、奇跡でした。その奇跡のまばゆさが、私を良寛嫌いにしたのでしょう。でも今は、素直に彼を愛することが出来るような気がします。私も少し枯れてきたのかも知れません。
ゆう 2004-02-25 16:58:17 No.14776
近頃は現実社会の闇に属するようなことばかり考えておりましたので、こちらに立ち寄らせていただくのは、泥沼に咲いた一輪の蓮の花の上で一休みさせていただいたくような心地です。あやうく日本が嫌いになりそうでしたが踏み止まれそうです。ありがとうございました。
次回はどんなお話をしていただけるでしょうか、楽しみにしております。
背戸の小藪 2004-02-26 10:15:56 No.14874
    ○良寛余話3
 エッ?マダ、余話ガアルノ?と驚くなかれ。
 本論より、フロクの方が面白いこともあるのです。単なる蛇足、と云う場合もありますが。

 良寛さんの資料を図書館に返しに行ったついでに、子供用のコーナーに立ち寄って一冊の本を借りて来ました。小学校三四年生向きの伝記「良寛」(小俣万次郎著・ポプラ社)です。
 さすがに貞心尼は出てきませんでしたが、泥棒の話はありましたね。衣ではなく、夜具を持って帰ったことにしています。しかし、この泥棒談は嘘でしょう、と証明するシーンが別にあります。良寛さんが引越しをした時の挿絵で、それを手伝う子供が本を頭に乗せて歩いています。そうでした。良寛さんの庵には蔵書や筆記道具があったのです。泥棒は何故これに気付かなかったんでしょう?
 この伝記を読む限り、良寛さんは一休さんに勝てませんね。毬をつかせたら俺が一番だよ、とおっしゃるかも知れませんが。どうも子供達のヒーローになるには迫力不足です。
 
 良寛さんの良さは、やっぱり大人でなければ分からないでしょう。ただし、伝説の深い霧に包まれた良寛像から、その真実の姿を探り出すことは容易ではありません。良寛さんに纏わる伝説は死の直後から作られたのではないか、と思われますが、ひょっとしたら生前に既に噂として伝播していた部分もあったかも知れません。
 良寛さんの書を所有していた人は、当然その価値を高める為にも伝説の作成に加担したでしょうし、「私はこんな話を知っているよ」と吹聴して自慢する人間も現れたでしょう。そこに真実味がないとは言えません。が、真実の度合いが何%かを推量することは甚だ困難です。

 本当の良寛さんとは、どんな人だったのでしょう?
 私の描いた良寛さんも、結局は一つの伝説に過ぎないのですが、伝説を作った人間(すなわち私)の夢と理想が、一個の人間像として結晶したものなのかも知れません。
 良寛さんは捨てることによってもっと大きなものを得た人ですが、私は捨てることも得ることも出来ない人間で、逃げることも帰ることも出来ず、ひたすらに沈潜し、埋没しております。田舎家の背戸の小さな暗い藪の中に。

 罪人の 眠る土にも 落葉哉
  
背戸の小藪 2004-02-27 17:13:08 No.15012
    ○アーレフのこと
 麻原彰晃の第一審での判決がようやく出ましたね。
 これについてはコメントしませんが、オウム真理教の後を継いだアーレフとはどんな団体なのだろうか?と思って、その公式サイトを見て来ました。
 
 その感想を一言にすると、常識的な教えだ、となるでしょうか。大乗と小乗の修行の違いを説明したところ等は、噴飯物でコジツケ的説明に終わっていますが、まあ、全体としては仏教という大枠の中に納まっている、と考えて良いと思われます。
 但し、公式見解と実際の心理や行動にはもちろん相違があります。ここに書かれていない所に、我々が恐れなければならない部分が隠されているかも知れません。
 例えば、本物の宗教の条件として五つの柱を数え上げています。
第1の柱:教義
第2の柱:修行体系
第3の柱:成就者
第4の柱:イニシエーション
第5の柱:正しい霊的指導者

 これでゆくと、神道は真の宗教ではないとなりますが、それに対する反論は略します。問題は「正しい霊的指導者」とは誰を指すかです。サイトの中には麻原彰晃の姿は見えません。しかし彼等の心の中には、まだ存在するのではないか、と想像されます。上祐史浩には、麻原の代わりが務まらないのは明らかです。霊的指導者としてのカリスマがありませんから。既に失脚したとの観測もあるようですが、真否は知りません。サイトではまだ名前が残っています。
 
 麻原の裁判は二審三審と長く掛かるでしょうが、その間はむしろ安全かも知れません。心配は、麻原の死後でしょうね。麻原は、必ず復活します。いや、復活したと信じられます。そしてその再来たる人物が名乗り出て来ます。この人物が誰で、どんな考えを持つか、私には想像できませんが、歴史の教える所によれば、彼(又は彼女)は、復讐の神となって降臨します。上祐(あるいは別のアーレフの代表)は、その時、厳かに証言するでしょう。
 「この御方こそ、疑いなき吾等の救い主」と。

 救い主は剣を持って現れます。
「われ地に平和を投ぜんために来たれりと思うな。平和にあらず、かえって剣を投ぜんために来たれり」(マタイ伝より)
 
背戸の小藪 2004-02-28 11:35:03 No.15089
 昭和が平成に変わってしばらく経った頃の話ですが、日本で英語教師をしながら日本の政治史を勉強しているアメリカ青年と話をする機会がありました。
 彼は、いつも日本語の辞書を持ち歩いているのですが、その辞書に一枚の使い古したカードを挟んでいました。そのカードには、元号と西暦とを換算する一覧表が印刷されており、日本の書物を読む時にはこれが不可欠、と話していました。
 私はそこで、安政・万延・文久・元治・慶応・明治・大正・昭和・平成の各年度と西暦との換算なら、どちらの側からでも暗算でたちどころに出来る、と自慢し、実際に彼の出題に応じてやってみせました。
 彼は眼を丸くして、
「あなたは数学の天才か?」
「とんでもない。これ位の暗算なら、小学生でも出来る。慶応は知らなくても、明治以降なら知ってるだろう。」
 と日本人の計算能力の高さを教えてやったのです。
 
 ところが、です。これは、ちょっと時代錯誤?の話だったようで、近頃は小学生はおろか大人でもこんな簡単な計算の出来ない人が多いらしい、と云うことが分かりました。
 原因は小学校の教育にあるでしょうが、もう一つは、レジスターと計算機の進歩で、日常的に暗算をする必要性が乏しくなっていることもあるようです。世の中が便利になって、人間の能力が退歩する一つの例と言えるかも知れません。
 そこで、提案です。
 小学生に元号を覚えさせて、それと西暦との換算や元号同士の年度からその差を計算させる練習を暗算でやらせるのです。
 これは算数の勉強と同時に、日本の歴史の勉強にもなり、かつ日常生活を便利にもし、同時に日本の文化を尊ぶ心も涵養できる。一石四鳥の名案であると思いませんか?
 買い物に行ってリンゴと蜜柑を何個買って、お釣りはいくら?という算数問題も結構ですが、最近の子はこれを計算機でやりますからね。機械に頼らぬ脳の訓練が、もっと必要ではないでしょうか。
 
 一見、不便に思われることも、活用次第ではかえって有効な教材となり、脳の老化を防ぐ効果も期待できます。元号を自在に操る日本人の能力は、アメリカ人の目を丸くさせる以上の価値がある、と私は思いました。
  
piro 2004-02-28 15:04:10 No.15123
背戸の小薮さまこんにちは
良寛様のお話とても素晴らしです。
病身の末までも歌を読む事を止めない、止まらない。
後世に名を残される方はみな共通していますね。

人生を歌に捧げるというよりも、歌によって人生が導かれているようにさえ思うのは私だけでしょうか。

麻原被告に判決がでましたが、これからが新たな戦いの始まりのように思います。私自身はこの年になるまで、聖書を読んだ事がありませんでした。
アーレフが新しい教祖を育てだす可能性はとっても大きいと思います。麻原被告には、妻と何人いるかわからない愛人の間に多数の子供がいます。
けれど社会通念に対して無理な教団の体制維持は今まで以上の大きな犠牲が伴うようでたまりません。

計算のお話、驚きました。流石です、私も子供達と自分も一緒に計算法に預かりたいと思いました。
これから猛勉強しなくちゃ、子供に怒られてしまいます。
ファンの感想文 2004-02-28 18:30:30 No.15150
背戸の小藪さまお疲れ様です。
私は逆にアメリカ人の目に目を丸くさせられたことが在ります。彼らはメートルとインチ、ヤードやキロメートルとマイルを使い分けるのです。現に車のスピードメータは併記表示になっています。会話の中でも
単位はどっち?と聞きながらどちらでも答えるのです。もちろん単位系が輻輳する国柄もあるのですが
日本も尺や寸が復活してもいいのかなという思いがあります。
背戸の小藪 2004-02-29 10:14:29 No.15198
piroさん。
ファンの感想文さん。
 有難うございます。

 確かにメートル法とヤードポンド法の換算は日本人の苦手ですね。もし尺貫法なら、一尺が1フート、一間が2ヤードと簡単に計算出来るのですが。
 メートルの長さは、地球の大きさから計算した人工的な数値ですが、尺やフィートは人間の大きさから体験的に決められたものですから、使い勝手が後者の方が格段に良い訳ですよね。
 私の子供の頃は、まだ体重も貫目で計っていまして、当時の横綱鏡里が丁度40貫だったと記憶しています。私はなかなか10貫(37.5キロ)に達することが出来ず、悔しい思いをしたものでした。
 
 私は工場で働いた経験もありますから、メートル法の便利さはよく承知しております。ただ、標準的なテーブルの大きさなどは、26・36など尺貫法で作られていましたから、家の中の物を作るときは、尺貫法が圧倒的に便利なのに、それを図面に描くときはメートル法で書かなければいけない、という法律の壁があって仕方なくそうしていました。まあ、現在のように世界中の工場が分業をする時代になると、メートル法での世界統一はやむを得なかったのかも知れません。
 ただ、日本人なら常識として一貫一尺がどれ位なのかは、知っておいて欲しいですね。これは元号と同様に、日本の古典を読む上で欠かせない基礎知識ですから。
 
 話は変わりますが、私は若い頃、仏教徒であると同時にキリスト教にも興味があり、教会へ通っていました。大学もキリスト教の講義がある所をわざと選んだ位です。そしてアメリカのプロテスタント系教会から毎月本を送って貰って勉強しました。(無料でキリスト教と英語の勉強が出来るという有難いシステムでしたから。)
 イエス・キリストと親鸞の教えには共通点がある、と私は考えていました。けれど、自分は本当は神道の信者である、と認識するようになってから、聖書は読まなくなり、教会とも完全に縁を切りました。
 今現在は、キリスト教は日本の神道と相容れない宗教だと考えていますが、そこから学んだものは少なくなかったと思います。
 米国の事情を考察する上でも、キリスト教への理解は不可欠です。この宗教は、今でも極めて強い影響力を有しており、政治家のみならず、多くのジャーナリストの心をも支配しているからです。
 
ファンの感想文 2004-02-29 16:10:50 No.15244
背戸の小藪さま

アメリカ人の目に目を→アメリカ人に目をでした。
わざわざレスありがとうございます。
長さや重さにかかわる単位のほか色々な単位の話しは
それぞれに歴史があって面白い逸話もありそうですね。
確かに云われるようキリスト教は生活、行動の規範になり米国の事情を考察する上で必須であると思います。
私はキリスト教の理解というより日本のキリスト教徒を理解できていません。キリスト教を体系的勉強したことがないので一度はトライしたいと思っています。
教会に行くのもいいですかね。

いつも興味深いテーマの提示ありがとうございます。



piro 2004-02-29 20:46:16 No.15284
背戸の小薮さま
キリスト教のお勉強もしていらしたんですね。最近息子が幼稚園でいただいた聖書を時々読むんですが、これは私の感想として聞き流してくださいね。

中を読んで感じた事は、キリスト様自身は神の子と表現されているのですが、仰っている事や表現されている事は人々に指し示す仏の道に共通しているように感じました。人が人として、生きている現世において歩む道、そして愛を信じぬき伝える事によって、確かなものとして神の子として存在する。そしてキリスト様にとても主体が置かれています。
キリスト様自身はご自分を「人の子」と何度も口すっぱくして書いていて、キリスト様以上の、つまり神の存在に注目する事を薦めているように思いました。

背戸の小薮さま
> イエス・キリストと親鸞の教えには共通点がある、と私は考えていました。
私も同感です。とても共通しています。ただお二人とも言の葉をいただいたのが神と仏の違いなだけで、

神道は自然を神として敬う心に重きを置いて、それに流れる動植物に対しても大変畏敬と尊敬を表しています。どちらにも行き着く先に大宇宙があります。

神様も、仏様も、宇宙からそして地球の全体と中心から常にメッセージをくださっているような気がします。素敵です。

ありがたや 神と仏は 紙一重 心に寄さる 愛の形に

ちょっと大胆な発言をしてしまいました。
背戸の小藪 2004-03-01 11:05:20 No.15344
   ○予は如何にして基督信徒とならざりし乎
 私はあと一歩の所で、キリスト教徒になれませんでした。
 理由の一は、牧師との間に完全な信頼関係を築けなかったことにあります。私は、彼等の疑いを知らぬ絶対的な信仰心に恐れを感じ、結局一人で本を読んで勉強することが多かったのですが、これではなかなか入信の為の最後の川を渡れないのです。
 理由の二は、もっと本質的な問題ですが、キリスト教の神は「嫉む神」であり、他の神への信仰を拒否している事です。有名な十誡(出エジプト記)にはこうあります。
「汝、我が面の前に、我のほか何物をも神とすべからず。」

 私が知っていた牧師は新約聖書の話ばかりして、旧約に関する質問をはぐらかす傾向がありましたが、この条項は無視できません。元旦に神社に初詣に行ったり、祖父の遺骨を納めてある寺にお参りしたりする事を、彼は認めませんでした。それは神様に対する裏切り行為である、と言うのです。
 教義としては理解できます。けれど、その妥協を許さぬ排他性は、仏徒であった祖父や父母と私の間に心の溝を作ることになり、自分に対し、神を取るか、家族を取るかという最終的な選択を迫るものでした。更に、私が靖国神社を参拝したことが批判の的となり、このような不純分子(大東亜戦争を賛美する国家主義者)を敬虔な信者と交わらせることは危険だ、と牧師は考えたのでしょう。実質的な出入り禁止になりました。

 それを幸いにして私は、一人で神と向かい合いました。これは考えて見れば、日本に初めてキリスト教が伝えられた16世紀に、当時の日本人が悩んだ事と全く同じ苦しみだったのです。彼等の多くは、基督を知らぬまま死んで地獄に落ちた父祖を見捨てて、自分だけが天国に行くことは出来ない、と言って入信を拒否したのです。イエズス会士はこの問題をローマに書き送って、日本での伝道の難しさを訴えています。
 私は、父祖だけの話ではなく、日本の神々や天皇との関係において、また阿弥陀如来や弥勒菩薩との関係において、イエスをどこに置けばよいのか分かりませんでした。基督信徒になる事で、これらのすべてを邪教の神々として否定することを余儀なくされるのなら、私はむしろイエスを捨てる方を選ぶべきだ、と考えました。
背戸の小藪 2004-03-01 11:06:22 No.15346
 [補記] 以上の話は短く、はしょった為に複雑な問題を単純化しすぎた嫌いがあります。けれど本質は動きません。一神教はつまる所、共存ではなく支配を求めるのです。
 それが宗教としての力強さを生んでいることは分かりますが、同時に不必要な争いを引き起こしていることも事実でしょう。
 イエスは「汝の敵を愛せ」と言いましたが、現実に起こって来たことはその反対のことでした。
piro 2004-03-01 20:29:59 No.15414
背戸の小薮さま
イエスキリストが生誕した当時、各国は火祭教、一神教が繁栄して、仏教はありませんでした。

仏教で祭られている仏様のほとんどが自然神から生まれた天部を元とした元来神様と呼ばれた存在です。

インドではお釈迦様の生誕によって、「仏」が生まれました。そして仏は死して後葬儀が行われる事によってガンジスと言う自然に立ち返る事が学ばれました。
はじめて供養の形があらわされた出来事でした。

こんな事は私が書かなくても全て背戸の小薮さまの熟知されている事だと思っています。けれどご自身の知識のたけをスレッドに表現してくださっている背戸の小薮さまに対してできる精一杯の事ですが、私が少ない智恵でお話させていただいていると許してください。

これは独自な見解ですがあまりにとっぴでも驚かないでくださいね。宗教宗派が違っても後世に伝えられる信仰の根本には現世での人生が終えられた時、自然にたちかえる、(成仏する)(神上がる)と言われる事が重要だと思っています。
それは決して入信しなくては地獄に落ちるとか、天国に行くとか生臭い価値観ではないと思います。

>、神を取るか、家族を取るかという最終的な選択を迫るものでした。更に、私が靖国神社を参拝したことが批判の的となり、このような不純分子(大東亜戦争を賛美する国家主義者)を敬虔な信者と交わらせることは危険だ、と牧師は考えたのでしょう。実質的な出入り禁止になりました。

これは信仰している神様に神父様自身が不敬を行っていると思います。もともとキリスト教は戦争の耐えない時代、不戦の心の強さを説いた教えだと思っています。戦うを休まない国に対しての伝道でした。

そもそも日本みたいに諸外国と鎖国が溶かれるまで戦争に無縁な国に無理やり押し付ける信仰ではないと思います。



背戸の小藪 2004-03-02 10:32:32 No.15460
 私が靖国神社へ行くことに反対した牧師は、決して例外的な存在ではありません。実はアメリカから日本に伝道に来ていた若いクリスチャンも、日本人が悪魔の神社に入ることを阻止しよう、と信者に呼びかけ、元日に近くの神社の前に立って妨害行為をし、駆け付けて来た警察官ともみ合いになって捕まったことがあるのです。
 こうした事件は日本のメディアでは殆ど報道されませんが、アメリカの雑誌には載ることがあります。その場合、もちろん悪いのは暴力を振るう警察官であり、クリスチャンは正しい行動をした勇敢な若者として描かれます。彼等の宗教を基準にすればそうなるでしょう。そして、それはイエス・キリストの教えに忠実な人間の行動なのです。少なくとも彼等はそう信じています。
 
 私が先に引用したマタイ伝の「われ地に平和を投ぜんために来たれりと思うな。平和にあらず、かえって剣を投ぜんために来たれり」は、イエス・キリストの言葉です。
 別の福音書ルカ伝には、イエスの言葉をこう伝えます。
「我、地に平和を与えんために来たると思うか。我汝らに告ぐ、しからず、かえって分争なり。今よりのち、一家に五人あらば三人は二人に、二人は三人に分かれ争わん。父は子に、子は父に、・・・分かれ争わん。」

 何故、争うのか、それは信仰のためです。正しい信仰心を持って神の教える道を行くためには、父といえど子といえども、それを犠牲にして進まねばならないのです。まさしく、神を取るか、家族を取るかの選択が迫られているのです。
 
 キリスト教を愛の宗教だとして、宣伝する牧師や神父がいますが、それは誤魔化しです。信仰はそんな奇麗事ではありません。アブラハムは独り子のイサクを燔祭の生贄として供え、刺し殺す覚悟を示すことで、その信仰の正しさを認められました。神の命とあらば子供を殺してさし出す決意が求められているのです。この話を知らないクリスチャンはいません。
 
 アブラハムの話を単なる伝説として片付けるのは間違いです。彼のような信念の持ち主は現在も沢山います。アメリカにも日本にも中東にも、恐らく世界中に。アメリカ大統領ブッシュも敬虔なクリスチャンに生まれ変わって、現在の職を得たのです。そして原理主義者とは違う穏健なクリスチャンの心の底にも、アブラハムの絶対的帰依の情熱は生きています。今でも。
 
piro 2004-03-02 20:32:32 No.15524
他主教の批判をするつもりは全くありませんが、何故自分の子供をいけにえにしなくてはいけなかったのでしょうか。不思議です。

日本の神様はどちらかというと血を嫌います。特に戦いで流される多くの血を嫌います。
信仰によって何故こんなにも教えが違うのでしょうか。けれど宗教サミットなどが行われると必ずと言ってよいほど各指導者や代表者が意見をたがう事は見受けられません。

最初から皆が代表者のような誇りとお互いを認め合う心の広さを持ち合わせていればあらゆる戦いは犠牲なくして歩み寄れるのに、それは私の理想かもしれません。

背戸の小薮さまの文章を拝見していて、あらゆる苦労と深いお心、考察に試練を重ねられてきたと知って、ますます今までの文章がありがたいばかりです。
何も知らない世間知らずですが、どうかこれからも色々な事を教えてください。お願いいたします。

一日も早く、喜びと幸せの元に心穏やかに平和な日々が訪れるのを祈っています。背戸の小薮さま、余談ですが、私も神道を信仰しております、どうか改めてよろしくお願いいたします。
背戸の小藪 2004-03-03 09:45:37 No.15589
piro様。
>何故自分の子供をいけにえにしなくては
>いけなかったのでしょうか。

 アブラハムの場合は神に命ぜられた故ですが、自らその悲運を選んでしまった男もいます。エフタという族長の息子で、彼はアンモンとの戦いに出向く時、神に誓約して、もし無事に帰ることが出来るなら、その時家の戸から出て来たものを生贄として捧げると約束しました。ところが戦いに勝利して還ってくると、独り娘が鼓を持ち踊りながら出て来たではありませんか。
 エフタは泣きながら事情を説明しました。すると娘は、「あなたの仰ったようにして下さい。」と覚悟を決め、「二箇月だけ猶予を下さい」と願って、友達と山へ出かけます。二ヶ月後、還って来た娘は、処女のまま命を終えます(士師記)。この二ヶ月の延命を願った話には、奇妙なリアリティがあります。
 
 子殺しの話は、日本にもありますね。歌舞伎の「菅原伝授手習鑑」の寺子屋の段では、主君の為に自らの子を犠牲にしてその首を差し出す男の悲劇が描かれています。松王の科白、「女房喜べ、倅はお役に立ったわやい」は、歌舞伎ファンならずとも或る年代以上の日本人なら誰でも知っている、笑いながら泣くセリフでした。
 同様の子供を犠牲にする話は、「熊谷陣屋」や「義経千本桜」のすしや・「先代萩」など、皆繰り返し上演される人気狂言です。
 
 何故こんなに子供を殺すのか?
 理由は単純です。子供ほど愛しいものは他にないからです。一番大事なものだから、犠牲にする値打ちが高い訳です。子供を愛する心情が深いが故に、これらの物語が作られたのでしょう。決して子供を虐待している訳ではありません。
 ですが同時に彼等は、子供の命に代えても果たさなければならない義務のあることを知っていたのです。そのような運命に耐えることが信仰であり、忠義であったのです。
 かくも苛烈な信仰を知らない私達は、幸福なのでしょうか?不幸なのでしょうか?私の場合は、「地獄は一定住処ぞかし」と思っていましたから、神(キリスト教の)を捨てて、家族の方を取ったのですが。日本の神々は、そのような無慈悲な要求をなさらないので、有難いです。
 
piro 2004-03-03 21:48:20 No.15714
背戸の小薮さま
やっぱり生まれ育った地形というのは大きく宗教や信仰に深く繋がっていると思います、
同じキリスト教でも、カトリックとプロテスタントはまた解釈も教えに習った行動もとても違うし、
隣国が多い国や、国土の強大な国は、戦いと宗教がとても隣り合わせにあるような気がします。
日本は世界にもまれに地形に恵まれているように思います。隣り合う隣国もなく、まとめるのに果てが見えぬような国土もなく、日本の神道が寿ぎといって、喜びごとや、祝い事を重んじる気持ちが嬉しいほど伝わってきます。
今は悲しいかな戦前戦後と国際化の波に寄って、あまりにも他国の干渉が増えすぎました。
忠義に子供を差し出す親も、また差し出される子供も、選ばれた誇りを重んじているのですね。
自分にその過酷な運命が課せられたとき私に勤められるかどうかと考えると答えがでません。産む事はできても手にかけることはできないです。
ただ一つ思ったのは、もしかしたら神様は子供の命など望んでいなかったかもしれません。多分ですが、「自分が助かるために他者を殺めるのか」と言う問いかけだったのではないかと思うのです。
けれど悲しいかなその答えを自分の心の中で見つける前に殺してしまったと、考えてしまうのは私だけなのかもしれません。教えに気がつく事が目に見えない神の言葉なのかもしれないです。信仰は信じ手によって、歩む道も幾重にも分かれているのかもしれません。
背戸の小藪 2004-03-04 11:26:42 No.15809
>信仰は信じ手によって、歩む道も幾重にも分かれている
>のかもしれません。

 確かにそうですね。個人もそうですし、教団もそうです。
 前に「神を取るか、家族を取るかの選択」と書きましたが、これにも第三の抜け道を考えた教派がありました。そこは『死後の洗礼』という儀式を作り出して、信者でなかった故両親がちゃんと天国へ行けるよう後から勝手に洗礼をしてしまうのです。新しい入信者向けのサービスですが、死んだ親にとっては迷惑な話で、自分が知らない間に信徒にされてしまうのですから、本当に天国へ行けるとは思われません。

 聖書は時代の違う沢山の文書を寄せ集めた本ですから、その中身は矛盾に満ち満ちています。唯一神ヤハウェ(エホバ)は、不公平で怒りっぽくて気まぐれで残虐で嫉み深くて、その癖人間に対する要求は過酷です。この神には正義はありません。そして、まるで父なる神に反逆するかのように、静かで禁欲的なイエス・キリストが現れます。両者の鮮やかな対照はまさしく聖書の醍醐味ですが、そこから何を選択するか、どんな教えを聞きだすか、は選り取り見取りで、自分の欲しい答えが何でもあります。聖書は神の言葉を記した書物と言うよりは、人間の醜さと崇高さを描ききった歴史書としての価値が他を絶しています。従って、日本人が旧約聖書を読むと決してキリスト教徒にはなれません。
 
 ところで最近、Mel Gibson の映画 "The Passion of the Christ"が米国で公開されて大変な人気になっているとの報道がありましたが、映画を見た新聞記者のエッセイを読みますと、普段は冷静な人が、異常に興奮している様が伝わってきます。まさに血が滾るという感じです。静かに流れていた地下水脈が突如噴出してくるように、キリスト者としての情熱が湧き上ってくるのでしょうね。
 私は、過去にイエスを主人公にした映画を何本か見ましたが、感動はしませんでした。越えがたい壁を隔てて、違う世界の話を見ているような距離を感じてしまいました。The Passion が日本で公開されても見るつもりはありません。
 最後に映画館に行ったのはいつだったか?いくら考えても思い出せません。平成でないことだけは確かですが。
 
piro 2004-03-04 17:28:33 No.15844
背戸の小薮さま
>日本人が旧約聖書を読むと決してキリスト教徒にはなれません。
とても納得しました。私自身聖書を見ていて、日本で広まっている「博愛主義のキリスト」というよりは、混沌とした世の中で唯一、人間が持っている本来の本能を不屈の意思で制御した、「不屈のキリスト」というイメージに見えました。
左の頬を・・・から始まる台詞はとても有名ですが、その言葉の中に「やるのならばやってみろ」という信念を垣間見ました。たおやかな文面の裏には激情にも似た強い信念を感じました。そして、何よりも判り易く説明しながら諭すというよりも、問答している相手が自然と考えるように導いているように思えました。

自分で考えて自分の中に答えを見出す。それは同時に心の中にある神を見つけ出すのと同じではないかと思いました。色々な宗教があらゆるところに共通点があるのはありがたくもあり、不思議と神秘を感じます。

私は以前背戸の小薮さまが仰ってくださった、「日本の神様はお喋りよりも聞き上手」という言葉が忘れられません。けれどそれは同時に神社に訪れる人々全ての願いを静かに聞いてくださっていると感動しました。言葉よりも先に感じ取ってくださるお心の優しさにありがたいばかりです。

私も映画館に行かなくなって随分になります。個人的には宗教映画はあまり見たことがありません。以前人に勧められて「空海」を見たことがあったのですが、
SFが駆使されていたり随分現実離れしていました。
「ビルマの竪琴」のほうがドキュメンタリー構成で、宗教観を描く時にはあのように、淡々と描写してくださると私でも見やすいのですが、けれど教えよりもキリスト様の処刑される前日の何日間を描いたらしいので、ちょっと残酷な気がします。
背戸の小藪 2004-03-05 11:45:07 No.15961
 "The Passion of the Christ"はなるほど恐い映画のようです。

 どんな評判だろう、と思ってアメリカの新聞のサイトを巡ってみましたが、膨大な量の批評がリンクされており、それだけでこの映画の異常に高い話題性が知られます。
 批判の第一は、過度に暴力的であるということです。それはギャング映画にも等しいレベルで、ある批評家に言わせると「映画館から出てくる客は、チャリティの心ではなく、誰かの歯を蹴ってへし折りたい気分」だそうです。
 もっと深刻な批判は、ユダヤ人の団体から出ているもので、この映画は『反ユダヤ人感情』を煽り立てるというものです。映画で描かれたユダヤ人の醜さが、彼等の迫害の恐怖を呼び覚ましたのは多分当然の反応でしょう。
 神学的な批判としては、Mel Gibson が福音書には書かれていないシーンを挿入していることで、これは Anne Catherine Emmerich という19世紀の尼僧の説を採用していることへの疑問です。
 一般人の批判としては、この映画には a lot of passion はあるが、a lot of love はない、との感想が印象的でした。

 しかし、これらの批判にも拘わらず、映画が多くの「教会に行かない信者」の信仰心を呼び覚ますであろう、との予測がなされているのはもっとも重要な指摘です。
 たかが一本の映画と侮ることは出来ません。それが大変な力を持っていたことを後で知ることになるかも知れません。教会から遠ざかっている信者も、心に秘めた、自分でも気付いていないキリスト者としての感情が呼び覚まされると、それは社会的にも政治的にも大きな影響力を持つからです。例えば、接戦が予想される今秋の大統領選挙の結果をも左右することになるかも知れません。それは即ち、米国の外交戦略の変化・継続に繋がり、ケリー候補の当選を待ち望んでいる北朝鮮の思惑にも影響し、当然日本の外交にも関係します。
 ブッシュ陣営は既に、キリスト教団体の取り込みを最優先の課題にしています。ケリー氏はそれにどう反撃するか。
 この映画の公開は、色々な意味でセンセーショナルでした。
 
piro 2004-03-05 20:16:41 No.16033
背戸の小薮さま
いつも私のレスに丁寧に親切に答えてくださってありがとうございます。お礼だけは言わせてくださいね。これだけ詳細に調べて色々な事を教えてくださる方にお礼も言わせて下さらないなんてその方が人が悪いです。
この映画の評論を見ていて少し衝撃的だったのは、かつて白人も他国にて迫害を受け続けていた事実です。
未分化の伝統にこだわりが作った悲劇なのかもしれませんが、インドの文献や他方の書物など読んでいると、古代は白人の人が奴隷として登場する事が多いです。
こうなってくるとまるで卵か鶏のような複雑な気持ちなのですが、今現在アメリカの国土が他民族の集まりなのに関わらずキリスト教徒が大半を占めているのは、キリスト教の教えの中にある、迫害に耐える勇気を感じています。信仰の教えに人種は全く関係ないのだと感じる瞬間なのですが、教会側の体制が少し間違っているだけでアメリカ本土は日本の神社を建立したり、ラマ仏教の寺院を建立したりとあまりこだわりを見受けません。きっとあの広い国土を人民をたばねるためにもキリスト教は必要不可欠になっているんですね。
一つ疑問が解けたのですが、自由主義によって階級差別を食い止めているのがアメリカならば、社会共産主義によって人種差別を食い止めているのが中国北朝鮮、けれど中を見てみると、差別もあるし階級もあるし、理想を持てば持つほど国の存在が難しいような気がします。ケリー候補はすごい人気ですね。けれども拉致被害者の方々のためにも私は是非ブッシュ大統領に当選していただきたいのです。
ケリー候補は今までの歴代大統領と同じでとてもクールな面を感じます。ブッシュ大統領はクールではないのですが、一度口に出した約束は一生懸命守ろうとしている姿が目に映ります。こんな事を書いたら反米の人は怒るでしょうが、口約束だと強気な体制で静かに経済制裁してくるのが歴代大統領でした。
拉致被害者の解決は小泉総理とブッシュ大統領のスクラムの強い今の時期じとても期待しているのです。
これを逃したら、北朝鮮と韓国統一まで待たなくてはいけなくなるような気がします。
そうなると年配の拉致被害者は北の地で人生を閉じてしまう可能性が大きくなるからです。心配です。
ケリー氏が紳士的である事を祈るばかりですが、北朝鮮が期待していると言う事は難しいです。
春雨 2004-03-06 10:01:52 No.16066
 背戸の小藪 様

はじめまして。

「良寛論」、息をひそめてうかがっておりました。
後半にいたり、ただならぬものをうかがっていることにはっといたしました。

そのときわたくしのあたまに、インド哲学の研究から政治の世界に足をふみいれ波乱の生涯をとじたひとりの人物の生涯がうかびました。いや『安楽の門』に描かれたひとの境涯が思いうかんだというべきが正しいかもしれません。

自己紹介が遅れました。
わたくしは、信仰は門外漢でございます。
ただ、親鸞をよむうちに、非僧非俗という言葉に出会い、その意味を体得できぬまま、なおその言葉に生きたいものという身のほどしらずの憧れを持ちつづけているものとでもご紹介もうしあげるのが適当でございましょうか。


今日、思いきってこの庵をおたずねしましたのは、ご面倒なつぎのお願いをしたかったからでございます。

背戸の小薮さまの「良寛論」も「僧にあらず俗にあらず」の境地で終わっていました。しかし、ここがおたずねしたいことなのですが、そこへいたる「跳躍」の過程が、残念ながら、わたくしには、なお、はっきりみえてこないのです。良寛が「僧衣」を脱ぎ捨てて子供らと手鞠をつきはじめたあと、なお良寛にのこる「非俗」性とは、いったいどんなものなのでしょうか。ひとこと、おうかがいできたらという思いでございます。

よろしくご教示をおねがいいたします。
背戸の小藪 2004-03-06 10:47:07 No.16069
 ケリー候補は、メディアのインタビューの中で、ブッシュ大統領の政策を批判して、「北朝鮮ともっと話し合うべきだ。」と言っております。
 北朝鮮は、この言葉を聞いて、六カ国協議をまとめ上げる努力を放棄したのかも知れません。ケリー氏が大統領となれば、もっと良い条件で援助を手に入れる可能性が高くなりますから、ここでブッシュ政権に屈服するより余程好都合でしょう。

 ケリー氏はどんな人物か?基本的には弱いものの味方です。銃規制の支持者で、死刑には反対。同性愛者の権利保護、妊娠中絶をも認め、最低賃金の引き上げに賛成。麻薬やアルコール中毒による生活破綻者への生活費支給にも賛成。
 こう書くと、典型的なリベラルに見えますが、彼自身はそれを否定しています。事実、新人議員の時に予算均衡法に賛成していますが、これは民主党員としては勇気のある決断で、彼が大きな政府の支持者ではないことを示しています。又彼は、ベトナム反戦運動に参加していましたが、単純な平和主義者ではありません。対イラク武力行使の是非では賛成に廻って、戦うべきときには断固たる態度を取ることも知っています。
 ケリー氏は、同じ民主党とは言っても、クリントン前大統領のような口舌の徒とは違います。非常に強い人物で、自らの経歴と活動に誇りと自信を持っています。ただ、それが欠点となって、付き合いの悪い一匹狼的要素があります。つまり友達や子分が少ない。
 対日関係での氏の態度は、ブッシュ大統領のように友好的とはいかないようです。ただ、これは変化の可能性があります。ケリー氏は東部の名門大学を出た秀才で、そうした人にありがちな日本軽視の感情を共有しているように見えますが、ゲッパート上院議員のような保護貿易主義には走らない、と私は想像しています。
 
 一口に言えば、ブッシュは愛すべき男だが、ケリーは尊敬すべき人物です。私自身は、ブッシュさんの方が好きです。が、ケリー氏が大統領になったとしてもそれほど落胆しないでしょう。彼となら交渉出来る、と思います。北朝鮮はケリー氏を誤解しない方が良い。ケリー氏は約束を守らない人間を許さない人物です。金正日は、約束を守れますかな?
背戸の小藪 2004-03-06 12:42:24 No.16102
春雨様。こんにちは。
>良寛が「僧衣」を脱ぎ捨てて子供らと手鞠をつきはじめた
>あと、なお良寛にのこる「非俗」性とは、いったいどんな
>ものなのでしょうか。

 貴方がお尋ねになったことは、多分、私自身が最も知りたいと思っている部分だと存じます。「そこへいたる『跳躍』の過程」がはっきり見えないのも同様です。私には参禅の実体験がなく、書物で曹洞宗や臨済宗の禅修業を学んだだけですから、良寛さんの境地が理解出来ないのもそこに原因があるのかな、と考えております。
 
 ただ、私の書き方に問題があったのかも知れませんが、良寛さんは最後まで「僧衣」を脱ぎ捨ててはおりません。貞心尼との関係も、出家とその弟子という形を失わず、僧という立場を放棄しませんでした。それに執着したのではなく、身についたものを変更する理由がなかったからでしょう。
 良寛さんは、自分がこんなに幸福でいられるのは、僧として仏様に仕える身であるからだと信じていたと思います。その際に、僧としての戒律に拘る心は捨て去っていましたが、僧衣を捨てようとの気持ちは全くなかった、と想像します。
 後世の凡俗の眼から見れば、中途半端な還俗の仕方とも感じられますが、良寛さんと直接に顔を合わせていた人々は、良寛さんはあくまで僧侶であり、僧侶でなければ値打ちがない、と思われていたのではないでしょうか。そして、良寛さんもそのような人々の期待の中で生きていることを、有難いと感じたことでしょう。

 僧であるか俗であるかは、仏様との関係と言うより、社会での人間関係に重点があったのかも知れません。良寛さんの生き方は同じでも、もし俗人であればそれは乞食に他ならず、僧侶であればそれは破戒僧となる。良寛さんは、どちらでもどうぞ、あなたの好きなように思って下さい、と下駄を預けていたのではないでしょうか。そして、人々は良寛さんを師と思っていた、尊い僧と見做していた、と考えられます。どのように思っても、良寛さん本人と仏様との距離は同じです。人間とは、独立した一個の人格を持つものですが、その人格は周囲の人間の人格と共有する部分を持っており、我々の仰ぎ見る良寛像もその親族や弟子や近在の人々との関係を度外視しては、存在できなかったのではないか、と愚考します。
 不十分なお答えとなりましたことをお許しください。
 
背戸の小藪 2004-03-06 12:51:06 No.16108
     ○お知らせ
 本スレッドの投稿数はまだ百に達しておりませんが、200KBを越えて、私のインターネット接続では、少し息切れがするようになりました。
 そこで、また引越しをしたいと存じます。
「美しい日本について<第四部>」とするつもりです。
 皆様のお越しをお待ちしております。

春雨 2004-03-06 15:05:16 No.16124
 背戸の小藪 様

すぐにご返事いただき、有難うございました。
いただいたご説明を噛みしめながら、これから自分なりに理解を深めてまいりたいと存じます。

比ゆのつもりでした<「僧衣」を脱ぐ>につきましては、いらぬご面倒をおかけしてしまいました。
おわびいたします。

最後に、またご質問で恐縮ですが、わたくしは、<知識にあずかるすべてのひとびと>は、いつの時代にも、それぞれに、親鸞、良寛に似た「僧のかまえ」がもとめられている。「非僧非俗」に限らず、これら先哲の遺したテーマは、ただに宗教者だけに与えられた問題とはいえず、形而上の世界に関わるものすべてのまえに提示された普遍性を帯びた問題であるというふうに一般化して認識しておりますが、この認識のどこかに問題がございますでしょうか?

ごくごくかんたんでけっこうでございます。
コメントいただければさいわいに存知ます。
背戸の小藪 2004-03-06 15:43:57 No.16129
 以後の書き込みはすべて<第四部>でおこないたいと存じますので、よろしくお願い致します。
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