「日本文化チャンネル桜二千人委員会」発足 南京の真実
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エンジンの音轟々と蘇れ

明け烏 2005-04-08 21:54:50 No.141502
みなさまここに新しいスレッドを立ち上げることをお許しください、また浅薄なる知識ゆえのお腹立ちは切にご寛容くださること伏してお願い申し上げます。

さて、昨今のシナ人や朝鮮人によるわが国に対する愚弄嘲笑はもはや我慢の限界に達しております。
なぜ日本国はかくも弱弱しくへいこら国家に成り下がったのでしょうか、自信喪失はいけません、わが日本は栄光の日本国です、私は国号を「Imperial Japan]と
改号することを心から願い、シナ朝鮮人を蹴散らした過っての栄光のあのエンジンの音をここに蘇らせたいと思ってこのスレを立てるものであります。

まずは第六四戦隊、いわずと知れた「加藤隼戦闘隊」のことから入りたいと思います。
加藤建夫中佐自身は18機撃墜の記録をお持ちであったが、加藤中佐は「個人戦果は部隊運用の妨げになる」としてご自身も部下も撃墜マークを機体に描くことを許さなかったストイックな軍人であります。

後に「軍神」と崇められた加藤中佐は昭和12年7月日中戦争の勃発時飛行第二大隊の第二中隊長でありました、ここから中国軍相手に撃墜スコアーを伸ばし後に有名な新鋭機・一式戦「隼」を装備した飛行第六四戦隊は昭和16年12月勇躍、山下奉文中将の指揮下マレー仏印、タイと「エンジンの音轟々と」翼に日の丸を輝かせわが日本の栄光と共に進撃されたのであります。
明け烏 2005-10-03 19:02:52 No.236362
STOVL型機、F-35は英国においてはどのように配備されようとしているのでしょうか。

イギリスは1913年頃から空母を製造し、また世界に先駆けて商船改造型空母を配備し、中でも画期的なのは世界に先駆けて油圧式、蒸気式「カタパルト」を実用化した技術先進国家であります。

戦後ジェット機の登場に伴い、従来のアメリカ型空母のアークロイヤルなどをイギリス型空母のスキージャンプ式小型空母に置き換え戦闘機ファントムなどの搭載にも成功しております。
フォークランド以降、イギリスは空母の製造と配備を打ち切ると発表したこともありましたが、STVOL機の新型化に伴い最新鋭の空母の建造を計画いたしました。

空母「クイーンエリザベス」2012年完成予定となっております、6万5千トン、全長284m、最大幅
39m、ガスタービン式推進9万6千500馬力、26ノット以上、搭載機F-35B36機という堂々たる大空母です、それに搭載される最新鋭機がJSF戦闘攻撃機F-35Bであります。36機ですが、世界最強の戦力の一つとみなしていいと思います。

空母は通常最低2隻単位で運用されます、2番艦の
「プリンスオブウエールズ」は2015年完成の予定です、これに鑑みて日本の現状をみると羨ましくて情けなくて涙がでます。

朝鮮人が跳梁跋扈し、シナ人が我が領海で軍艦を運航し油田を掘る、それに対抗しうる海軍を持てない我が日本国のありようは間違いです。

聞けば朝鮮人映画に5千億円もの貴重な円が流出したということです、なぜその金でイギリスを見習った空母を作ろうという気概すら無いのでしょうか。

朝鮮人は着々と日本を的にした海軍を拡充しつつありシナ人は全く日本を舐めきっております、過っての大海軍国がこんな体たらくです、靖国に行くのなら小泉は空母建造の決意を述べるべきです、朝鮮人との断絶を靖国の境内で国民に知らしめるべきです。

道路公団という売国奴の巣窟で40兆円ものお金が行方不明です、なぜこのような国家の危機にトップの逮捕、財産の没収を行えないのでしょうか。

余談に過ぎました、また戻します。
明け烏 2005-10-04 19:37:40 No.236801
STOVL機がなぜこれからの軍用機、民間機を問わず重要であるのか。
例えばF-15Eは優れた制空戦闘機でありますが、弱点があります、それは長い着陸距離が必要であるということです。

このことは平和な時代には大きな問題ではありませんが、一旦戦争になれば前進基地からの発着が出来ないこと、つまり従来の整備された滑走路を持つ基地からのみ発着が可能であり、離れた場所への攻撃は空中給油を受けながらの戦争に限定される弱みがあります。

空中給油とは戦闘機の滞空時間を一回で5倍にも引き伸ばすことができるシステムです、そのために世界中の国が空中給油機を保有する方向にあり現段階でシステムを採用している国は15カ国にのぼります、もっとも日本の空中給油能力はゼロですが。

STOVL機に戻しますが、もしもあらゆる戦闘機の能力を兼ね備えた新鋭機がSTOVL機能を備えたら、前線のすぐ側で運用が出来ることになり、空母運用も自由自在であり、着艦の制動も必要が無く主脚の強度も通常の陸上機並みでいいことになります。

イギリスのホーカーシドレー・ハリアーがその成功例です。
V/STOL機であり、ソ連のフォージャーに比べると格段に性能が上であることがわかります。
戦争に対する有効性は82年のフォークランド紛争で実証されました、このハリアーは米海兵隊では改良されより攻撃力をアップしたAV-8Bとなっておりますが、
惜しむらくは、スーパーソニックではないということです。
明け烏 2005-10-06 09:22:55 No.237445
「ハリアー」はロールスロイス・ペガサスMk104型エンジン、二軸ターボファンエンジンから四つの噴き出し口を前方ノズルと後方ノズルとにわけ、前方からはエンジン前部のファンからの風、後方からはエンジン排出の高温の排気を排出します。

「ハリアー」はこのほかに機首先端、主翼両側先端、尾部先端と高圧空気を噴出すノズルを備えており、これで微妙な姿勢制御を行います。

アメリカ海兵隊のAV-8A,Bはマグダネルダグラスが改良を行った別種のV/STOL機であります、給排気システムと主翼の構造などが異なり超音速を実現している新しい飛行機です。

「ハリアー」の運用は通常はSTOL機として使われており、常時垂直離陸を行うわけではありません。
理由はフル装備の機体を離陸させるには、やはり滑走が必要であり、また無理に垂直を行えば行動半径の大半を離陸燃料の消費で終わってしまうことです。

もちろん、F-35Bにも同様な運用が考えられており、艦上ではフル滑走をして通常の艦上機として発艦する場合と、STOL機としてスキージャンプ発艦をする場合とに分かれます、なお「クイーンエリザベス」にはこのほかに通常の艦上機の発艦も可能なように新しい電磁式のカタパルトも装備される模様です。

「ハリアー」はマッハ0.95が最大速度でありますが、それに対してJSFのF-35Bは超音速であり、ステルス任務にも行動できるようになっております。

ステルスに使用するかどうかは、携行武装を機体に懸架するか爆弾庫に隠匿するか、またその種類も異なってきますが、これは後述いたします。
V/STOL機は機構が複雑で超音速のためのシャープな機体になりにくい欠点がありますが、F-35A,B,Cはこれらを克服して超音速を実現したことも最先端の攻撃用戦闘機であるといえると思います。
また書きます。
明け烏 2005-10-07 20:31:33 No.238184
F−35も、F/A22ラプターも、F−15もF−15Eも、書きたい事が山ほどあります、が、しかし、私の心の本当のところは「エンジンの音轟々と」聞こえるわが陸海軍のプロペラであります。

靖国の遊就館で私が毎回のように、凍りつくように眺める相手があります、機体を見て、ほっと心を暖めて帰る、そんな恋人がいるのです。

「艦爆彗星」です。

私がどれだけこの飛行機に恋焦がれていたかは、零戦に会った時よりも、飛燕の写真を壁一面に伸ばして貼ったときよりも、四式戦闘機「疾風」あらば世界に敵なしと吹聴して歩いたその時よりも、私の心にある、艦爆彗星はもっと違います、戦闘機の護衛など要らぬとばかりに、押し寄せるグラマン相手に一歩も引かず、最後は硫黄島への御楯隊の艦爆特攻、天山とともに自らが爆弾と化した戦う飛行機、炎の彗星でありました。

靖国の「彗星」はヤップ島で朽ち果てる寸前に有志により掘り起こされて、自衛隊木更津基地へ回航されて
出撃の母港、海軍第503空の故郷へ里帰りしたのです、その「彗星」は多くの関係者の大変な努力によって復元され堂々たる勇姿を靖国の遊就館に残しております。

米国では復元は当たり前、復元した機を再度飛行させる技術があります、ところがわが国ではそのあたりは非常に難しく、彗星の復元が実現したことで、もって瞑すべし、私はあの艦爆、彗星に会うたびに胸の熱くなるのを禁じえません。

過日、河内屋蒼湖堂さまと二人で「彗星」の側で偶然一緒になったことがありました、わたしが一生懸命に尾輪の引き込みを覗き込んでいたときに、一緒に確かに引き込みがあるはずだと覗き込んでくださった思い出がございます。

「彗星」は11型後期から尾輪は引き込みから、固定式に代わっていたのです、日本の飛行機は初期は尾輪引き込みでありその後は重量の関係から固定になっておりました、あの「彗星」も例外では有りませんでした、しかしそんなことよりもなお「彗星」を愛することこそは、わが国の軍用機を愛するものにとってはピラミッドのような高くそびえる愛しい飛行機であるのです。
明け烏 2005-10-07 21:23:13 No.238220
昭和17年6月ミッドウエイ海戦、
「彗星」試作三号機が空母「蒼龍」に搭載されて艦上偵察機として初陣に臨んだのが十三試艦爆、のちの彗星でありました。

この彗星はミッドウエイ海戦において利根4号機(零式水偵)の示した地点へ向かったのが蒼龍201号機であり午前5時30分に母艦を発進、敵を発見できず、帰途に着く午前7時ごろ敵艦上機を発見、これを追尾し午前8時10分敵空母を発見。

この後打電するも無線機不調のため、南雲中将らに届かず午前10時31分母艦蒼龍の近くまで帰還したが
「蒼龍炎上」のため「飛龍」へ着艦します。
山口少将が敵の実態を知ったのがこの時です、その後飛龍も炎上、「十三試艦爆」彗星は飛龍から発艦できず、飛龍と運命を共にしたものです。

初陣の悲しさ!壮絶!
現在靖国の遊就館で静かに眠る機は尾翼の「鷹」マークから523空所属機と判明しております、木更津の
503空の故郷から鷹部隊への機体と解ってきました、いずれにしろ、彗星の勇姿は美しくあります。

「彗星」の標準塗装は上面暗緑色、下面灰白色(末期には塗料不足のために下面無塗装の機体もあります)、下面と上面との境界は波型に塗ってあります。

日の丸は、初期には白フチつきであったが、後期には白フチを塗りつぶしたものや、後期43型のように最初から白フチをつけぬものもあります。

主翼の日の丸の位置が形式により異なります、
12型、33型、43型は日の丸は小さく主翼先端の上方に描かれており、二式艦偵、11型、12型の初期型は主翼の先端に大きな日の丸が描かれ、33型などと比べて明らかに日の丸の大きさと位置が異なります。

「彗星」の背景としては、
昭和10年ドイツハインケル社のHe118急降下爆撃機を艦上機に改造し国産化を計画します。
翌年、愛知、中島、三菱に対して十一試艦爆の設計が指示されます、昭和14年12月に愛知に九九艦爆の制式採用が決まります。

しかしながら、この流れとは別に海軍は空技廠にて十三試艦爆の試作を開始しておりました。
このポイントは、十三試の設計内容は十一試艦爆とは比較にならないほどの高度な要求であったということです、言ってみれば十二試艦戦である「零戦」を上回る性能を爆撃機に要求したのです。
三保 平清 2005-10-07 23:08:55 No.238256
    失礼します。
「彗星」は非常に、保守点検整備に苦労したとか。しかしそれを終戦間際になっても、見事にやり遂げ敵攻撃を行った部隊があります。しかも他の部隊では、取り扱いが不可能だった新兵器まで、実用に供した。その部隊は「特攻拒否」で終戦まで、正攻法の攻撃を続けた「芙蓉部隊」。「彗星一二型」を完璧に使いこなした。

指揮官は「美濃部少佐」。
http://www02.so-net.ne.jp/~muraji/gunji/yasyu.htm
明け烏 2005-10-08 10:56:35 No.238387
三保さま、「芙蓉部隊」のお話有難うございます、後ほどゆっくり読んでみたいと思います。

さて、「彗星」艦爆です。

艦爆は急降下爆撃機であると同時に戦闘機なみの運動性、機動性を要求されます、「彗星」はその戦闘機を凌ぐ性能があることを実証いたします。

「彗星」の主翼は折りたたみ式ではありません、全長は11.5m、エレベーターに入るぎりぎりの大きさです、アスベスト比は5.6と小さく航続距離は影響を受けます、大きな翼面荷重は効率の良いフラップで着艦性能を上げております、着陸態勢の「彗星」の写真を見るとフラップが大きく開きフラップ前方には大きな隙間がはっきりと見えます。

「彗星」は爆弾を爆弾倉に収納するために主翼位置は中翼です、フラップは後ろ下方にスライドしながら開くものです、高揚力のファウラーフラップと補助フラップをエアブレーキの役目も持たせる優れたフラップシステムでありました。
補助フラップはメインフラップと主翼との大きな隙間を埋めるようにフラップの前方に位置します、これがエアブレーキの役目をする設計です、つまり隙間フラップですが効果を十分にするためにフラップ直前に補助フラップが設けられたものです。

高揚力のフラップシステムの効きで翼面荷重160という過大な大きさにも関わらず「彗星」は空母への発着艦をきわめて良好なものにしております。

「彗星」艦爆は水冷エンジンの美しい機首胴体をしております、しかしやはり水冷エンジンの生産に問題が生じ、「彗星」は33型以降「金星62型」に換装されますが上昇性能はほとんど影響は無かったものの、最高速度で苦しく20キロ程度のマイナスを余儀なくされていきます。
明け烏 2005-10-08 16:46:11 No.238477
「我に追いつくグラマンなし」
この有名な電報は「彩雲」の高速を表すものとして有名ですが、ひょっとしてこれは「彗星」の言葉ではないかと言う説もあります。

「彗星」のエンジンは水冷でした、海軍が水冷を狙った理由は速度の向上でした、当時の日本ではエンジンは空冷と決まっておりました、その理由は「整備性」と「被弾対抗性」であります。背景には液冷のよさを引き出すほどの技術の蓄積も無かったことが大きく、トータルで日本の飛行機は空冷に傾きます。

「彗星」の一号機は昭和15年11月15日に初飛行に成功します、この機体には輸入されたDB600エンジンが装備されておりましたが、間もなく燃料噴射式の「熱田12号」が完成したことで先に飛行した一号機を含めた試作機5機に全部「熱田12型」が装備されます。

当然初期の量産型である「彗星11型」には「熱田12型」が装備されていきます。

水冷エンジンの冷却はマリーンエンジンのように純粋な液冷にして沸点を20度ばかり高めたものもありますが、彗星の場合にはエチレングリコールなどの入手が困難なこと、戦場で容易に整備できるためにドイツ式の「高圧水冷」という方式を採用します。

これはエンジン系統内の圧力を高めて沸点を100度以上に高める方法でありますが、DB601系の「熱田」では最高沸点を125度にまで高めることに成功しております。(3気圧125度)

いいことばかりではありません、系統内の圧力を高めるということは水漏れが起りやすくなるということにもつながります、ドイツのDB601では同様な高圧式でも水漏れは皆無でありましたが、日独の技術の差が後に「彗星」の水冷エンジンの絶え間ない水漏れで稼動不能にまで落ち込みます。

このために「彗星33型」以降の彗星はエンジンを空冷の「金星61型」と「金星62型」に換装します。
「金星62型」になりますと離昇出力は1500hpにあがりこのため空力的な損失が20キロばかりの最速ロスにつながりますが上昇力は既述のように水冷とほとんど同じでありました。

陸軍では同じDB600系のエンジンを積んだ「飛燕」が空冷の五式戦に移行する過程と同様に、海軍の「彗星」は「33型」と「43型」に移行していきます、陸海軍が期せずして「金星」エンジンに頼らざるを得なくなる過程は決して偶然ではないのです。

明け烏 2005-10-10 14:49:11 No.239381
みなさまこんにちは、小雨の東京はどんよりと掻き曇り、物の怪の出る前のようなしっとりとした風が頬にあたります。

「我に追いつくグラマンなし」
この言葉をもう一度噛み締めてみますと、確かに高速艦上偵察機「彩雲」の発した電報であると既述されておりますが、私は独断で思いますのは、「彗星」艦爆こそ危険な任務、急降下爆撃の達成に当たり、グラマン戦闘機の追尾を振り切ることこそを「悲願」として課発されたわが国の希望の星でありました。

ならば、「我に追いつくグラマンなし」この言葉こそ「彗星」がグラマンの追尾を振り切ったときの言葉として最も相応しいと考えるものです、根拠はありませんが、私の心の中では彗星艦爆とグラマンの死闘がまざまざと眼に浮かびます。

敵艦船に対する爆撃は「水平爆撃」と「急降下爆撃」とに大別されます、このうち敵艦船に対して効果の大きかったのはもちろん「水平爆撃」であります、しかし「水平爆撃」は動く標的に対しては非常に命中率が悪く、そのために破壊力は小さくなるが「急降下爆撃」が登場します。

「急降下爆撃」の目的は敵艦船の対空砲火を沈黙させること、もう一つは空母の甲板を使用不能に陥れること、もちろん上手くいけば誘爆を引き起こして一艦を葬ることも不可能ではありません。

「急降下爆撃」とは通常の飛行高度から目標に向かって40度、50度、場合に寄れば70度の急角度をもって急降下しその間目視で照準を調整しながら上空500mで爆弾をプロペラ圏外に押し出し投下し、爆弾が機体を離れたことを確認し急激な引き起こしで撤退するきわめて危険で高度な技術と強靭な機体の全てが要求される戦法であります。
明け烏 2005-10-10 14:52:46 No.239383
訂正です。

<グラマン戦闘機の追尾を振り切ることこそを「悲願」として課発された>

     ↓

グラマン戦闘機の追尾を・・開発された

に訂正いたします。
明け烏 2005-10-10 22:08:25 No.239544
「彗星」艦爆は一歩先を行く設計思想の元に生まれた飛行機です、ただその一歩先を行く艦爆を製造する能力が愛知にも広にも備わっていなかったのです。

主脚部分以外は「彗星」では電動式を採用しております、理由は油圧の絶対的自信がなかったからです。
しかし、電動式も艦上機ゆえの湿気と塩分で故障続出、エンジンもダメだった愛知の悲哀は絶望的でした、これは「紫電改」の川西の例とは全く違います、
「彗星」は当初絶対的な技術優位に自信があった空技廠が日本の技術優位を確定すべく送り出した十三試艦爆です、当たり前の技術革新ができなかった製造側に問題があり、設計に問題があったとは思いません。

さて、「彗星」艦爆はミッドウエイで試験的に偵察機として空母「蒼龍」に搭載されます、本格的な艦上爆撃機としては空母「翔鶴」「瑞鶴」「大鳳」「隼鷹」に搭載されマリアナ海戦に臨みます。
結果はご承知の通りの惨憺たるありさまで75機出陣した「彗星」で生き残ったは数機に過ぎませんでした。

念のため「彗星」の搭載艦と記号をあげますと、
「蒼龍」B1、「翔鶴」313、「瑞鶴」312、
「大鳳」311、、「隼鷹」321、となります、ちなみに、一字目のB,3、などは所属艦隊、二字目の
1、2、は所属航空戦隊、3字目の3、2、1、の意味は空母の順位を表す尾翼表示です、実際には尾翼に記入するときには2字目、と3字目だけの記入になっております、例えば「大鳳」のケースは1航空戦、1番艦の大鳳という意味になり、通常は「11」または
「1」と記入されます、「蒼龍」の場合は開戦時の表示方式であり、他の空母とは表示方式が異なります。
明け烏 2005-10-12 20:21:35 No.240397
また横道にそれますが、シナは有人宇宙飛行を実現させ近い将来空母機動部隊を運用し、軍事大国としての一歩、二歩を着実に踏み出しております。
となりの、朝鮮人はF-15Kの導入、大型潜水艦の拡大導入、イージス艦の導入など急ピッチに海軍の拡大を急いでおります。

このシナ人、朝鮮人の目的は何でしょう、言うまでもありません、ターゲットは日本です。
わが国はそれでも専守防衛とお題目を唱え、軍備は隣国との比較でみるとどんどんとその位置を下げつつあります。

わが国にも空母をという机上の空論が横行しております、私も空母を欲しいと願う一人ですが、結論から言っていまのままでは無理でしょう、シナ人、朝鮮人の高笑いが聞こえるようです。

現在世界で空母を運用している国は9カ国、アメリカ、イギリス、フランスがA級、ロシアがB級、スペイン、イタリア、インド、タイ、ブラジル海軍がC級、しかしいずれにしろ正規空母を運用しております。
これにシナ海軍が加わればロシア並みのB級空母運用国になります。

空母の運用をわが国でも出来るのでしょうか、例えばアメリカ海軍の例であり、あまりクラスが違いすぎて比較にはならないかもしれませんが、空母運用の実態を知るにはこのポイントを知らなければなりません。

まず空母を運用するには空母を護衛する空母艦隊を運用できることが必須の条件です。
アメリカ海軍では空母艦隊を「CSG」キャリアーストライクグループと呼んでおります、最大で15隻が空母を護衛して航行します、前衛には攻撃型原子力潜水艦、空母の横方向には二隻のイージス駆逐艦1万トンクラス、ミサイル駆逐艦が空母の前後に4隻、フリゲイト艦(海自の護衛艦クラス)2-3隻、それに補給艦ですが、通常は補給艦は空母部隊とは同行しません、速度が違いすぎるためです。

これにプラスして空母搭載機、アメリカ海軍はF-14トムキャットの引退に伴い、F/A18を中心とし、今後
JSF F-35Cとなります。
各国の装備を簡単に見てみます、わが国は急がなければなりません、シナ海軍の空母は決して侮れません。
明け烏 2005-10-13 00:03:48 No.240511
「急降下爆撃」を行うときには操縦士が爆撃手を兼ねます、理由は一瞬の引き起こしの間合いを判断するには操縦士が一人で爆撃時の判断を行うことが適切であるからです。

目標を捉えると、
爆弾を選択する、日本の艦上機の場合は通常爆弾は一種類であるため爆弾選択は必要なく、操縦士が爆弾庫を開き、エアーブレーキ(ダイブブレーキ)を開く。

エアーブレーキは日本機の彗星艦爆や銀河はフラップの下側から下向きにエアーブレーキが開きます、これに対してカーチスヘルダイバーの場合はフラップと一緒にダイブブレーキが下がり、さらにその上に上に跳ね上げるダイブブレーキもついております、米軍機に多く見られるダイブブレーキの小さな穴はねじれやバフェってイングと呼ばれる破損を予防する目的です、一連の操作の後、照準器に目標の敵艦を捉えたまま急降下を開始します。

爆弾投下の設定高度、敵艦の上空500m内外で投下レバーを引きます、このとき投下アームが爆弾を挟んで回転を行い、プロペラ回転圏外で爆弾を前に放り投げるように投下します。

次に彗星の技術が多く使用された「銀河」を見てみます。
明け烏 2005-10-13 13:44:59 No.240723
私が「エンジンの音轟々と」のスレッドを書いておりますのは、かっての日本人の素晴らしさと日本国の輝きをエンジンの音に乗せて蘇れと祈願する気持ちからであります。

再三、横道にそれますが、今回のシナの有人宇宙飛行は恐るべしと謙虚に受け止めるべきであろうと思います、我々はともすると過去の例からシナを軽く見がちで在ります、国家はぼろぼろでも軍事に全てをかけて戦後60年間日本憎しで牙を磨いてきたのです、よく日中戦わばなどと面白半分のシュミレーションがありますが、私は警鐘を鳴らします。

「長征」は大陸間弾道弾がベースです、宇宙の低い軌道にカプセルを打ち上げ、それを狙った場所で回収する技術は、世界のどこにでも核弾頭を自在に打ち込める技術だと言うことに他なりません。

シナは台湾には核を使うことはないでしょう、しかし、一旦日中が火を噴けば、躊躇無く核を使用する最終戦争に向かう心理状態にあることを日本は銘記すべきです。

大陸間弾道弾は打ち上げのときは大量の赤外線が放射されます、この段階では静止衛星に探知されるでしょう、しかし、弾道コースに乗ったら一つのミサイルは10基以上の弾頭に分かれ、その中にはダミーの弾頭も数多く含まれます、どれが本物の核弾頭か地上からは見分けがつきません。

詳細は省きますが、目標に向かって突入してくる段階ではその速度はマッハ25を超えます、打ち落とせるものではありません。

シナの軍事は通常の兵器を含めて軽視しがちな日本ですが、心を引き締めて、対抗軍備を行うべきです。
日本のロケット技術など遠く及ばぬと知らなければなりません、わが国は大東亜の二の舞を避ける準備に入るときです、敵の軽視は滅亡につながります。

いくら叫んでも、未だに韓流に浮かれる日本は狂っています、隣国の軍事的脅威を脅威として受け止めるときです、再軍備は急がなければなりません。
失礼しました。
明け烏 2005-10-14 12:11:41 No.241189
「海軍航空技術廠」とは、
日本の最高の設備、技術、人材、を揃え、当時の世界でも屈指の航空機開発研究機関であり、これが有名な「空技廠」と呼ばれたものであります。

昭和15年の末に「陸上爆撃機」と海軍で呼ばれた陸上基地で運用される急降下爆撃機、「Y20]という計画が空技廠に持ち込まれます。

陸上攻撃機,陸上爆撃機という呼び名は日本海軍の独特な言い回しであり、ここで登場する「陸上爆撃機」という新しい機種は陸上攻撃機と同様に陸上基地から発進して敵艦船を攻撃するものでありますが、その主たる目的は「急降下爆撃」であります。

空技廠が目指した陸爆機は、
戦闘機なみの速度、5556kの航続距離、1トン爆弾の運用、エアーブレーキを備えて急降下爆撃の機能を有すること、さらに雷撃能力を備えること。

高速の大型爆撃機の開発はそのころ空技廠で基本設計が進んでいたY20という機体をベースにして新陸爆の開発に取り掛かります。
Y20こと十五試陸爆「銀河」は中島で量産にかかりますが、例によって空技廠から出てくる設計は当時の最先端であり量産工場の実情と合わない点が多発いたしますがこれは後述いたします。

海軍の考え方は将来大型の空母が就役した際には艦上爆撃機としても使えるもの、また種々の高性能を実現するためには第一は機体の小型化でありました。

航続距離を一式陸攻以上とする目的からパイロットは二人交代制が望ましいのですが、複操縦式にすると胴体を狭くすることが出来ないため、海軍は昭和15年当時のハイレベルの海軍パイロットの技量を前提にして「単操縦式」を可能であると考え、小型化を優先させることにします。

主翼上方に操縦席、その背中合わせに電信員座席、
機首に偵察員の三人とし、各々が機銃も担当します、
この場合に乗員一人の重量を落下傘を含んで83キロと見積もり、乗員の行動を含む胴体容積を最小限にとどめます。

航続距離の増大は膨大な燃料の搭載になります、5556キロを実現するためには総燃料は4.6トンにもなり1トンの爆弾を運ぶために4.6倍の燃料を積んで移動するという結果になります。

主翼下面に左右それぞれ1−1番から1−3番までのセミインテグラタンクがあり、防弾はされておりません、主翼下面後方に2番、3番、4番と防弾タンクが装備され、燃料消費は無防弾のタンクから使用するようになっております。

明け烏 2005-10-14 16:21:39 No.241284
「銀河」の大体のスペックを書き出してみます。

「銀河」11型P1Y1を例に取ります。

発動機「誉」18気筒x2(離昇1825hpx2)
最大速度546キロ、5千mまで8分13秒、上昇限度1万220m、航続距離5500−5300キロ、武装13mmx2(胴体銃座)爆弾800キロまたは魚雷1、乗員3名です。

「銀河」のスペックで留意すべきは、機体をぎりぎりの大きさにまで縮小してあることです、それは前面面積、主翼面積、重量、装備品などの切り詰めです。

その理由は長大な航続力で高空を飛行し急降下爆撃を行う任務にあります、「銀河」の乗員は3名であり、銃座は前方の偵察員と後部の電信員の二箇所のみです、これも高速にて敵戦闘機を振り切るということが前提になっております、それはもちろん長大な航続距離から見て護衛の戦闘機が追随できないことも前提になっております。

ぎりぎりの軽さと、胴体は3名の乗員プラス爆弾最大で500キロを二発、または800キロ魚雷を収められる胴体断面にとどめております。

また胴体の細さ、主翼の小ささは、急降下爆撃の際の650キロにも及ぶ速度と引き起こし荷重5.5Gに耐えられる機体のつくりを生み出します。

機首部の再前部の風防は回転式になっております、偵察、水平爆撃、機銃手を兼ねた乗員が座ります。
偵察員の乗り降りはプロペラ停止時には機首の下側の扉から乗り込みます、プロペラ運転時には主翼上から足掛けを使って風防の前の天測窓から出入りします。
明け烏 2005-10-15 15:53:51 No.241807
「銀河」の写真を正面からじっと眺めておりますと、時のたつのも忘れるほどの美しさを感じます。

真正面の写真でわかることは、
主翼の内側と外側とで上反角が異なっております、内翼が上反する角度と主翼中ほどから外側の上反の角度が明らかに異なるのが解ります。

真正面の写真を見てもう一つ、
エンジンナセルの極端なまでの小ささ流線型です、設計陣がナセル内部の空気抵抗にまで詳細に拘ったということですが、出来上がりをみればなるほどと頷けます、「誉」の直径が1.18に対してナセル直径が1.3となっております。

「銀河」は長距離を飛ぶことを前提にしているにも関わらず、アスべクト比は7.28と小さく、翼面荷重は大きく取ってあります。

長距離飛行の燃料を入れるための主翼の肉厚は厚く出来上がっております、米軍機であれば当然「層流翼」を取り入れたはずですが、日本の工作技術は層流翼を実現するほど精度に優れておりません。

この辺りは、設計陣は仕方なく層流翼を諦めたのではないでしょうか、その代わりに繰り返す風洞実験でベストの翼形を決定しております、翼端はかなり強い捻り下げを行っております。

機体の重心点から尾翼までの胴体は細く長くなっております、水平垂直尾翼はモーメントアームは大きく安定性は増したはずです、一部水平尾翼に上反角がつけられた機体もあったようですこれは急降下時の安定を狙ったものだと考えられます。
また書きます。
明け烏 2005-10-16 17:53:55 No.242368
先ほど日高義樹のなんとかレポートと言う12チャンネルの番組をみておりました。

番組の中で、
北朝鮮と中国の脅威をどう受け止めるかという質問をしておりました、司令官中将は「脅威とは受け取っていない」と答え、また日本の海上自衛隊のレベルはどうかという馬鹿な質問に対しては礼儀上「最高のレベルにある」と受け答えをしておりました。

私たち日本人が知りたいのは海上自衛隊の錬度の問題や隊員の質的な技術の問題ではなく、それ以上に装備がシナ、朝鮮に対抗できるのかという問題ですが、それには触れることはありませんでした。

第七艦隊横須賀は現在「キテイホーク」という61年に就役した老朽空母が主体になっていますが、もちろん様々な改修は行っておりアップグレードはしているはずですが、そのキテイホーク航空母艦群の第七艦隊でさえ、中国、朝鮮は脅威ではないと言い切ります。

アメリカから見たらそうでしょうが、日本の現状は一体どうなっているのでしょうか。

優秀な隊員と少数精鋭の海自艦隊は確かにアメリカの忠実な協力者でありアメリカはそれを守っていることは事実でしょう、しかし、それは日本の防衛の本質ではありません、アメリカにシナの脅威を聞くことなど無駄なことであります。

アメリカの強さは格が違います、空母も「キテイホーク級」8万3千トンとイージス駆逐艦、原潜、攻撃型巡洋艦で構成される最強のストライクホースです、シナを脅威と受け止めないのは当たり前です。

「エンタープライズ級」「ニミッツ級」全て10万トンに迫る攻撃型空母です、搭載機はこれからは全てF/A18−C・DからE/Fに切り替わります、ペイロードを大幅に上げた機種に替わるのです。

このようなストライクホースと現在の海自を比べることなどできません、日本はシナと南北朝鮮から強い敵意を持って軍備拡大をされ圧迫を受けつつあります、アメリカが脅威でなくても日本にとっては既に十分な脅威であること、またアメリカが同盟国として脅威に勘定しない韓国と言う朝鮮国家は日本に的を絞った軍備を拡大し続けております、つまり日本から見たら韓国は完全な敵国である事実がアメリカの計算には無いのです。


心から日本海軍の創設を祈っております。
明け烏 2005-10-17 17:41:21 No.242903
陸上爆撃機「銀河」は空技廠で試作機が出され、中島飛行機にて量産になりました。

総生産数は1千機を越える1008機が記録されており、夜間戦闘機型の「極光」97機生産をされており
銀河系の総生産数は1100機内外が記録に残っております。

ちなみに一式陸攻が2416機、九六式陸攻が1050機であり、陸海軍全体では九九式軽爆、九七式重爆に匹敵する生産数であります。

「銀河」は発動機と兵装の改造が多く,その改造型は20種類を超えます、機体の改造は殆ど行われず発動機の改造が多いのはやはり「誉」問題であります。

「誉」11型、12型、21型、23型、「火星」25甲、丙、と多種登場しており、「銀河」11型と21型が「誉」11型と12型を使用しており、「銀河」13型が「誉」23型、「銀河」33型が「誉」21型を使用、「銀河」14型が「ハ43」11型を使用、「銀河」16型は「火星」甲型、「銀河」17型が「火星」25丙型を搭載するなど、発動機で苦労をし続けたことがわかります。

「銀河」11型は、
昭和19年に制式採用された量産型であります。
「誉」11型または「誉」12型を搭載しており、この型は風防(初期には曲面ガラス使用で米軍機のような形になりますが、夜間の乱反射のために後期には平面ガラスの組み合わせで角ばった風防に替わっております、これは写真で見るとはっきりと解ります)や油圧、燃料系統を小改造し簡易化しております、また防弾鋼板の設置、レーダー三式6号無線電信機または四式6号無線電信機の設置など新装備が盛り込まれます。
明け烏 2005-10-17 20:43:13 No.242969
「銀河」部隊、第521海軍航空隊「521空」は豊橋で結成され、当初は「彗星」部隊と混成であり、後に「彗星」隊が独立して「523空」となります、そのため「521空」は「銀河」隊のみのなりのちに「522空」「524空」が誕生します。

昭和19年6月19日、米軍機動部隊がサイパンに上陸を開始、「銀河」部隊521空はグアムに11機、パラオに14機、ヤップに15機が展開しておりました、6月15日に江草少将指揮の下、彗星3機、銀河10機、零戦6機がヤップからサイパンに展開する米空母群に雷撃を敢行します。

この攻撃は犠牲が多く戦果はほとんど確認されておりません、6月18日銀河隊は彗星2機、爆装した零戦52型が20機、米空母、戦艦に対して雷爆撃を敢行しますが給油艦二隻を撃破するのみで、我がほうは殆ど全滅の憂き目をみます。

このあたりが「銀河」隊の実質的な実戦デビューです、昭和19年10月12日から米機動部隊は台湾沖に展開します、これが台湾沖航空戦です。

10月12日、501攻撃隊の銀河30機は丸山幸平少佐の指揮の下、雷装15機、爆装13機、証明2機が一式陸攻と薄暮攻撃に出撃しますが敵を発見できず引き返します、8機がエンジン不調で引き返し、6機が未帰還、6機が不時着、一機が帰還後魚雷の誘爆で火災炎上など惨憺たる有様でした。

この後、708攻、501攻、など攻撃に向かいますが戦果は確認できておりません、もはや米機動部隊に届く「槍」はわが国には存在せず、悲惨な状態に陥ります。

これからの詳細を書くことは忍びなく、彼我の戦力は圧倒的に差が有り、この時点では「特攻」以外に日本軍の全ての戦術は尽き果てていきます。

「銀河」隊は昭和19年11月20日、レイテ島沖に展開した米機動部隊に対して絶望的な攻撃を開始します、基地航空隊の可動機は全ての機種を合わせて僅かに30機であり、銀河はたった2機が健在でありました、そのうちの一機が19日に索敵に出撃し未帰還になります。

昭和19年11月14日、
「銀河」特攻隊烈風隊が編成されていきます。
以後、第五神風特攻隊旋風隊、疾風隊、強風隊、怒涛隊、第一草薙隊、迅雷隊、が編成され突入していきます。わが航空隊をこよなく愛する私はここまで書くともはや涙こぼれて字も定かならず、パソコンのキイも壊れるばかりにたたきつける鬱憤です。
また書きます。
明け烏 2005-10-19 14:54:59 No.243759
昨日の民放でアメリカ前国務副長官であるアーミテ−ジ氏とのインタビューがありました、ご覧になった方も多いと思いますが、氏の言葉で看過できない重大事が示唆されておりました。

アーミテージ氏は「日本はGDP世界第二位の有力な国家であるが欠けているものがある」と。
「それは軍事力である」氏の指摘を日本の為政者たちはどう受け止めたのでしょうか。

「日本の軍事力は世界第20位である、これでどうして自国の防衛ができようか」との指摘がありました。

私は以前から日本の防衛力は中国にはもちろんのこと下手をすると台湾にも韓国にも遅れをとる可能性がある旨警鐘を鳴らしてきました。

しかしながら、日本の現状はことさら日本の防衛費が世界のトップクラスにあり、あたかも英国に匹敵する優秀な軍事力を備えているとラッパを吹き続けております。

日本の軍事費が膨大なのは無駄が多いからであります、不必要なところへの費用が膨大だから見かけ上の軍事費が英国並みに膨れているだけです。

アーミテージ氏の指摘どおり、日本は世界第20位の軍事小国であるのなら、日本人は慄然としてその襟を正し虚心に戻り、自国を守る軍備を持つことを決断すべきであります。

世界第20位とは悲しくなる指摘ですが、そうなると
日本の軍備は常任理事国の五カ国はもちろん、スペイン、ドイツ、イタリア、イスラエル、サウジアラビア、インド、台湾、さらにはオーストラリア、カナダ、遠くは南米の各国にも及ばぬ無防備国家であるということになります。

もしもそうであるのなら、これまでの日中戦わばとかあるいは自衛隊員の錬度が優秀であるとか、小粒でも世界有数の軍備であるとか、全てが虚構だということになります。

実際のところは私にもまだよく解りませんし、なにを持って軍事力の比較にしているのか定かでありませんが、アーミテージ氏が指摘したことです、いい加減なホラ話ではありえません。

日本は自衛軍の根本を見直すべきであろうかと思いますが、軍備の拡張は一向に進んでいる様子が無いように思えます、いや、他国の拡大ペースが速いので日本が停滞しているように思えるのかも知れませんが、世界第20位の軍事力では、どうにもならないことは確かでしょう。

余談になりました、「銀河」に戻ります。
明け烏 2005-10-19 17:49:24 No.243821
「銀河」は180−210キロ/m2という過大な翼面荷重を持ち高速を実現しておりましたが当然着陸速度が大きくなります。

着陸の安定のために「銀河」では設計段階では前脚式も考えられたが日本ではまだその安全性を確立できておりませんでしたために、キャンセル。

結局主脚間のトレッドを大きく5m強にとり主脚、尾輪とも油圧引き込み式を採用を考えますが量産時には複雑性を避けるために結局尾輪は固定式になります。

「銀河」は日本海軍が送り出した最初にして最後の陸上爆撃機であり、実質的に一式陸攻の後継機となるべくまた急降下爆撃が出来る陸攻として斬新なアイデアに満ちた新鋭機でありました。

一式陸攻と同じく「銀河」の売りのひとつが長大な航続力であり、戦闘機の護衛は不可能になります。
そのために戦闘機よりも速い最高速度を要求され、「銀河」は敵戦闘機の追撃を高速力で逃げ切ることがスペックの重要な部分となっております、従って高速を得るためには胴体を小さく、機体を軽く、搭乗員や機銃の数を少なくする、即ち、高速で敵戦闘機を振り切ることが出来るならば防御も少々は犠牲にしてもかまわないという、またしても日本軍機独特の思考方向へ傾いてしまいます。

「一式陸攻」の兵装は銃座が5箇所であり「銀河」の射撃兵装は機首部と機体中央部の上側にそれぞれあり合計は2箇所の機銃座であります。
高速といっても500キロ代である「銀河」の機銃が2箇所というのはいかにも少なく防御が犠牲になっていることは否めません。

雷爆装備を見てみます、「一式陸攻」の爆撃雷撃兵装は800キロx1、500キロx1、250キロx2、60キロx2のいずれかを選択搭載するものであり、「銀河」は800キロは一発だが500キロは2発搭載できます、命中率が高い急降下爆撃が500キロ爆弾で出来るということは従来の艦爆の250キロ一発と比べると大きなアドバンテージでありました、また「銀河」の爆装は250キロ以下の爆弾の搭載は考慮されておらず、大型爆弾に集中して運用される機種でありました。
明け烏 2005-10-21 11:49:10 No.244628
「銀河」の爆弾庫は非常に凝ったものでした、高速を売り物にしているだけに空気抵抗の増大はもっとも避けたい問題でありました。

そのために「銀河」の爆弾庫は通常の観音開きではなく内側に競りあがる方式を採用しております。
即ち、下方の爆弾庫開閉扉は外側に開くのではなく、内側に競りあがって爆弾や魚雷一発分の幅だけ開きます、それは「銀河」の胴体横幅の半分でしかありませんでした。

爆弾の収納は250キロ以上の爆弾は中央に一列だけ、つまり250キロと500キロの爆弾は前後に並べて2個、800キロ爆弾や魚雷の場合は一発のみの搭載に限定されます。

ちょっと寄り道をして日本軍の他の双発爆撃機の爆弾搭載と爆弾庫の様子を列挙してみます、例えば陸軍の「九九式軽爆撃機」の爆弾庫は搭載量は通常は300キロでありました。
92式15キロ爆弾は通常の作戦では20発、最大で24発の搭載が出来る設計です。

96式50キロ爆弾の場合には通常作戦では6発、最大で8発を爆弾庫に収納します。
94式100キロ爆弾の場合は通常は3発、最大で4発の搭載であり、爆弾庫の開閉扉は「胴体の外側」に沿って外に回りこむように開きます。

面白いことに普通は陸軍の爆撃機は爆弾は胴体の下か主翼に懸架する方式が採られておりましたが、「九七式」「九八式」は全搭載爆弾の半分だけは胴体内に収納できる方式であります。

通常の爆弾扉を開いた形は真下に垂れ下がる形式が普通でしたが陸軍の爆弾庫扉は「九九式」を含めて左右の扉を半分に二分割して折りたたみそれを胴体側面に巻き上げる形式です。

「九七式重爆撃機」は通常は100キロ爆弾を7発、最大で9発爆弾庫に収納します。
250キロ爆弾の場合は通常は3発、最大で4発爆弾庫内に収納します、500キロ、15キロ、50キロ爆弾などバリエーションは豊富です。

爆弾庫扉の開閉は「九七式」の場合も同様に扉を一旦二つ折りにしてコンパクトにして胴体の外側に巻き上げる方式であります。
また書きます。
SQH 2005-10-22 12:47:41 No.245107
明け烏様
お久しぶりです。
彗星と銀河に関する書き込みを懐かしく拝見しておりました。
40年前の航空情報に山名正夫氏が設計者として彗星を語っておりましたが、彗星試作5号機の急降下試験で空中分解を起こし、この原因として、急降下制御板から発する渦流が水平尾翼の震動を誘発するのではないかと推定された時期があったようです。
銀河も同じ位置に急降下制御板がありますので、水平尾翼との上下位置を大きく取りたいために、中央翼の上反角を減らし、その分、翼端部の上反角を大きく取る、いわゆる二段上反角となったと考えます。
水平尾翼をこれ以上高くすると、Bf109のように支柱が必要となり、抵抗が増えるので、あの位置しかなく、水平尾翼に上反角を設けて、急降下制御板の干渉を逃げようとしたのでしょう。
その後、彗星の空中分解の原因が垂直尾翼の強度不足とつきとめられ、銀河で水平尾翼の上反角を取りやめたと思います。

銀河は、最も洗練された爆撃機と戦後に英国の航空誌が評価したとのことで、晴れがましいところですが、戦局の極めて厳しい時期に完成したために、大きな活躍が出来なかったのは残念です。
しかしながら、日本の航空機設計技術の昇華を見るような、見事な造形美を残してくれたことは、一航空機ファンとして嬉しいことです。
一つだけ疑問に思うのが、偵察席の位置なのですが、ここからは後方の視界が極めて悪いのではないか心配です。
真珠湾の淵田中佐のように、大きな編隊の総指揮は偵察配備の士官が敵・味方の全容を把握できるので好ましいと聞いており、銀河の機首偵察席は後続機の状況を把握する上で不利ではないかと考える次第です。
民間会社でない空技廠の設計故、思い切った用兵思想が採用できたとも考えられます。

これからも、明け烏様の書き込みに期待しております。
明け烏 2005-10-22 17:55:45 No.245203
SQH さま

ご無沙汰いたしております、ご活躍のこと拝見いたしております。

「彗星」の技術が使われた「銀河」ですが実際に多くの場面で共通することが解ります。
主翼の二段上反角のこと水平尾翼の上反角のこと、まさにその通りですね、うなずきながら読ませていただきました。

「銀河」が登場した昭和19年以降は敵の対空砲火が尋常ではありませんでした、双発の大きなボデイで急降下する「銀河」は殆どが対空砲火に包まれたと思います。

実際に銀河隊の攻撃方法と敵の対空砲火について、このような記録が残っております。

攻撃目標の近くまでは高度は3千メートルを基準または雲層の直下を巡航速度で飛行し隊形は極力散開して進入する、目標を発見すると3千メートルの高度または雲層の直下から編隊は増槽を切り離し単縦陣で肉薄する、というものでありますが、昭和19年ごろからの米艦隊は優秀なレーダーで185キロー200キロの距離で銀河編隊を捉えることが可能であり、当然待ち受ける戦闘機とその後の猛烈な対空砲火で爆撃の成功は非常に難しかったようです。

対空砲火の犠牲は爆撃隊については機数の25−50%が失われ、雷撃機は機数の50%−75%が犠牲になったということです、これに敵戦闘機の攻撃が加わりますので、犠牲は極端に多く、目標に到達できる可能性は「夜間」でさえ危うくなっていきます。

「銀河」隊の戦果は台湾沖、レイテ沖は犠牲が多く出撃機の殆どが帰投せず敵艦船の被害は未確認が多かったのですが、沖縄戦では陸軍の「飛龍」60機が「銀河」80機と合流し、「T−部隊」となり、一回の出撃数が100機を越える壮大なものであったそうです。

沖縄戦では「銀河」隊の機首レーダーが陸軍機を誘導し先に「銀河」次に「飛龍」の突入を繰り返し、このときは沖止めの米軍輸送船や巡洋艦、空母などに損害を与える戦果を記録しております。

ただ、やはり犠牲は多く、殆ど消耗されて行きます。

わが航空隊の不屈の戦いは胸を打ちます、圧倒的に不利な状況で出撃を繰り返し、最終的には800キロ爆弾を固定しての特攻へと。

しかし「銀河」は美しい、「彗星」も美しい、
私は空技廠は好きですね。

有難うございました。
SQH 2005-10-22 22:31:49 No.245312
もう一つ、山名博士の話ですが、操縦の出来ない設計者にとって、復座の艦爆に同乗するのが小型機の実際の機動を知る上で重要とのことでした。
99式艦爆では、戦闘機が出来る全ての特殊飛行が可能であり、様々な速度と姿勢で飛行機がどのような動きをするか研究するために相当の飛行時間を体験したそうです。
特に、99艦爆の不意自転(これは山名博士の命名だそうで、急旋回や宙返りの頂点で突然に片翼が失速する現象)を克服する為に厳しい急旋回や宙返りを繰り返し試験した結果、大迎え角で方向安定が不足して、横滑りが始まり、これにつれて自転が誘発されることを突き止めて、翼端前縁のキャンバーを増加するとともに、背びれを増設してこのクセを除去することに成功したとのことでした。

若い設計者達の情熱と努力も賞賛されるべきものと思います。

尚、銀河のノーズ形状は新幹線の0系に採用され、長く親しまれたのですが、鉄道車両に飛行機のノーズを持ってくるあたりが、欧米と異なった日本の技術センスであろうと思います。
明け烏 2005-10-23 17:09:51 No.245716
「銀河」には数多くの新装備が盛り込まれておりました、例えば風防ひとつ取っても書き出せばたくさんありますが、例えば操縦席と電信席などの間には風防隔壁と呼ばれる仕切りが取り入れられました、一つの風防をあけた場合に風の吹き込みや空気抵抗を避ける目的がありました。

そのほかにも「暖房装置」が各搭乗員の席に取り入れられておりました、これは左側のエンジンの排気で過熱された空気の流れをパイプで各席に導くものでした、調節弁は操縦席にありました。

「酸素吸入装置」は胴体後方に4本の酸素ボンベが装備されており各席に通じるようになっておりました、やはり開閉弁は操縦席についております。
通常の「銀河」の巡航高度は酸素の要らないぎりぎりの高度である4千メートルを巡航速度約370キロで飛行するように定められておりました。

そのほか、「プロペラ坊氷装置」としてエチレングリコール液を電信席から手動ポンプで送り、スピナの各プロペラの根元にあるノズルから噴霧する方式でした。

防弾は他機種に取り入れられているものと同様な鋼板を装着するものであり、燃料タンクは搭載燃料の約半分については防弾設備があります、消化装置としては炭酸ガスを使用しボンベは偵察席の右側後部に設置してありその操作はやはり操縦席にありました、なお消化装置はエンジン火災にのみ有効でありました。

「銀河」陸上爆撃機はSQHさまご指摘のように実に洗練されたデザインと日本のトップの航空技術が取り入れられた記念すべき素晴らしい飛行機です。
ただ英米が実現したような四発の大型爆撃機や高空を飛行する爆撃機は実現が難しかったようです、もちろん「銀河」と英米の爆撃機の種別は異なりますが、詳細は今後機会があれば述べるとして、概略の爆撃機の比較を簡単に記しておきます。

日本の双発爆撃機は例えば陸軍の「呑龍」は百式重爆撃機とされており、「飛龍」も四式重爆撃機と仕分けされておりましたが、英米との比較では、純粋な意味の重爆撃機はアメリカとイギリスのみが実戦に使用しており、日本軍やドイツ軍の爆撃機は四発を運用できておりません。(ドイツには四発は存在していたような記憶がありますが定かでありませんいずれにしろ爆弾搭載量が少なく、あくまでもドイツ、ソ連も双発軽爆撃機が中心であったと思います)。
明け烏 2005-10-25 17:07:06 No.246529
昭和18年の4月に山本連合艦隊司令長官の強い意志により「い」号作戦が行われ第三艦隊の空母搭載機が陸上決戦に転用されます。

これが有名なガダルカナル、ポートモレスビー空戦でありラバウル航空隊の激戦であります、結果は優秀な空母搭乗員と機材の損失と山本長官の戦死という結果を招いたことは皆様の良くご存知のことであります。

作戦終了後、第一航空戦隊はそのままトラック島にあり、その年の10月にはブーゲンビル島に連合軍の攻撃が始まります、ここで古賀峯一連合艦隊司令長官は再度第一航空戦隊を陸上攻撃に使用します、これが「ろ」号作戦であります。

同年11月初旬から中旬に掛けて見かけ上の大戦果と引き換えにわが航空戦隊は壊滅的な打撃を蒙ります。
トラック島の放棄からパラオに移動した連合艦隊は起死回生を願った「雄」作戦も古賀長官の死亡により頓挫し、それに関連して起こった海軍「乙」事件も上層部の無理解により省みられず、このままマリアナ沖海戦から台湾沖大空戦に突入し、歴戦を誇った海軍の航空戦力は事実上終焉を迎えます。

「起死回生」は続きます。
海軍空技廠は昭和13年ごろから研究を行っていたジェットエンジン機を昭和18年、昭和19年には「TR10」「TR12」後の「ネ12」の開発に成功をしております。
無論のこと粗悪な材料のためにエンジンタービン翼車に亀裂が生じその改良に手間取る中航空燃料の不足が追い討ちをかけます、このころ伊29潜水艦によりメッサーシュミットMe262の資料が持ち帰られますが、惜しくもシンガポールで沈没、残ったわずかな設計図を頼りに空技廠は「ネ12」を放棄し新たにBMW003Aの情報をたぐって「ネ20」を開発します、これが「橘花」の出発点になっていきます。
SQH 2005-10-26 13:18:35 No.246940
明け烏様

話題が前後して恐縮ですが、彗星に関する逸話をもう少し書きます。
空技廠の役割の一つに先端技術の追求があったために、その設計は斬新であり、意欲的であり、試作と改良に重点が置かれ、反面、量産や整備・運用には難があったようです。
本来であれば、試作機によって確認された性能を生かして、量産や整備性を考慮して再設計し、実用化するべきだったのでしょうが、そのような余裕もなく、いきなり実用機にせざるを得なかったところに傑作機が活躍出来なかった原因の一つがありそうです。
彗星では、脚、フラップ、ダイブブレーキの操作を従来の油圧から電動に代えました。
山名博士は、軽量化と操作性を追及したと書いておりますが、特殊なギヤーやカムを手作りすることになり、新たな問題を背負ったと述べております。

私の体験で、航空機搭載レーザープロファイラーをテストしたことがあります。
八尾から上がって豊橋のテストサイトでデータ収集の途中、電流計が大きくマイナスに振れだし、バッテリーの電圧も下がって通信が怪しくなってくるので名古屋に緊急着陸しました。
どうやらプロファイラーの電力負荷が仕様より相当に大きく、オルタネータ(交流発電機)をやられた様子で、親しくしていた航空会社にお願いして機外バッテリーを繋いでもらってある程度充電し、八尾に戻った思い出がありますが、途中でバッテリーが尽きたらどうなるか、肝を冷やしたものです。

ミッドウェイ海戦で、蒼龍搭載の彗星試作機が艦偵として使用され、ヨークタウンを発見するも、その電信が届かなかった話がありますが、彗星の脚引き込みは非常にトラブルが多かった様子で、艦上で数回引き込みのテストをするとバッテリーが上がってしまうという話が残っておりまして、私の体験とオーバーラップして、油圧を電気に代えたことにより、予想外の電力消費となり、電圧低下を起こしたようなことは無かったか、推察する次第です。
この機は唯一隻残った飛龍に着艦して、エンタープライズとホーネット以外にヨークタウンが居ることを報告する訳ですが、この電信が敵発見と同時に届いていれば、又違った展開も考えられ、彗星の初陣としては残念な結果となりました。
明け烏 2005-10-26 15:09:08 No.246957
SQH さま

CG画像の件お世話になりました、これで楽しみが一つ増えました、改めてお礼を申し上げます。

さて、ご指摘のように「彗星」は主脚、尾輪(後に固定)、フラップ、補助フラップ、爆弾倉扉、に電動を採用しております、ただしこれもご指摘のように歯車を多用しており、これが整備性、稼働率の問題に少なからず影響を与えたことは否定できないと思います。
ただ、この電動の脚引き込みは「雷電」でも散々苦労をした実績があるはずなのになぜまた「彗星」で、という思いはありますが。

前にも言いましたが、機体の設計側の考えと、整備側や製造側の能力との差が噛み合っていないと思われます、実情にあったものを設計するのも一つの国家のため、それとは別に絶えず先進のアイデアを盛り込んで技術を磨くのも国家のため、私は空技廠の考えは支持しますが、結局以前に零戦の項で申しましたように、全てのことを狭いサークルで処理しなければならなかった当時の日本の技術の限界と資材の限界が見えた、ここらの思いは山名技師も同様であったろうと推測いたします。

ミッドウエイ海戦の「彗星」偵察の報告が電信の不備で司令部に届かなかったことは、残念ながら日本軍に常時つきまとったハンデイでありました。
その後の小沢中将と栗田艦隊との連絡も電信の不備で届かず、あの悲劇を生んだことなど例は多くあります、ソフトと言うよりは基本的なハードの不具合が常時発生したのが電子関連です。
「蒼龍」といえば、空母の建艦技術は多少電子関連とは異なりますが、私は日本の空母建艦は優れていたと考えております、蒼龍、飛龍で世界の先端的中規模空母を実現し、その改良発展型である翔鶴、瑞鶴は当時エッセックス級が登場するまでは世界に冠たる、素晴らしい空母であったのです、ハードの単品と兵器としてのハーモニイまで考えると、いや長くなるので又にしましょう。
明け烏 2005-10-27 12:43:49 No.247342
「橘花」は昭和19年9月に海軍から中島飛行機に対して開発要求が出されました。

同時期、陸軍も中島に対してジェット戦闘機「火龍」の開発を指示いたします。

ここで参考にされたドイツのジェット戦闘機「Me262」について概略を抜き出してみます。

遡るとジェットエンジンの構想は1910年代に既にヨーロッパでは芽生えており、1937年には最初のジェットエンジン試作、試運転に成功したのがイギリス空軍であり、その後のイギリス空軍内部のもたつきでその間隙をつき世界最初のジェット機として初飛行に成功するのがドイツ、ハインケル社の「He178]であります。

この当時ドイツはハインケル博士とメッサーシュミット博士のジェット機開発競争であり、共にロケット機から最終的にはジェット戦闘機への道を開いていきます、日本軍が参考にしようとしたのがメッサーシュミット「Me262」世界初のジェット戦闘機であり、第二次大戦中にドイツは実に1400機もの「Me262]を生産し連合軍との空戦を繰り広げていたのでです。

「Me262]は当初BMWのエンジン軸流式ターボジェットエンジン「BMW003]の搭載を予定しますが、推力があがらず結局はユンカース「JuMo004]に落ち着き1942年の7月18日開発以来三年余をかけてドイツは世界初の実用ジェット戦闘機「Me262V3]の飛行に成功いたします、そのときの最大速度は870キロを記録しますが、ドイツ首脳部の完全な理解は得られないまま現有のレシプロ機に重点を掛けたまま補助的な扱いを受け続けます、ドイツが既に開発に成功していた世界最高の戦闘機のデビューはさらに2年も遅れるのです。
明け烏 2005-10-27 16:56:25 No.247414
ユンカース「JuMo004]は圧縮過程に遠心式を採用せず、技術的により難しい軸流式を採用した点で大きな先進性を持っていたといえます、ただし日本のジェット機開発において、ドイツ機をコピーしたのは後退翼を持たないタイプの「Me262]<Me262は後退翼>の機体だけであり、エンジンそのものは中島の苦闘により開発された日本オリジナルと言ってもいいものであります、わが国の技術的な底力を示す一つの例であるといっても良いでしょう。

「橘花」は昭和20年6月25日に試作一号機が完成し、同年8月7日にわずか11分間という短い時間でしたがわが国初のジェット機が飛行に成功をいたします、二回目の試験飛行は昭和20年8月11日に行われますが、離陸に失敗し機体は損壊します、そのために2号機の準備に取り掛かる途中で、終戦を迎え日本の戦いは終わってしまうのです。

「橘花」に搭載される予定であったエンジンは「ネ20」であり、ドイツの「Me262]のユンカースエンジンとはやはり性能差がありカタログ上のスペックを見ましても、「橘花」の最高速度は680キ、6千メートル上昇時間は12分6秒と計算されております、一方のメッサーシュミットは最高速度870キロ、6千メートル上昇時間は6分48秒であり、これは紛れも無く日独のエンジンの性能の違いであるといえます。

海軍は特攻機としても「橘花」を考え、その後の量産機を防空戦闘機としても考慮中でありました、もしも「橘花」が迎撃に舞い上がっておればその時点では未だジェット機を確実にしておらなかった米軍にとっては非常なる脅威を与えた可能性は大きかったと思っております。
SQH 2005-10-28 11:54:12 No.247791
明け烏様

お楽しみ頂けて幸いです。
美しい飛行機の図面や写真を見るのは楽しいものですが、飛行中の姿がやはり躍動感があり、名機の魅力を存分に鑑賞できますね。

震電は地上姿勢の写真では何やら異様な姿ですが、シミュレータで飛ばして、脚を納めると見違える程モダンで、現代の戦闘機に劣らないスマートさを発揮します。

橘花、烈風等、飛行中の写真にお目にかかれない機体を様々な角度から眺めるのに、シミュレータは結構な道具と思っておりますが、私が一番感動したのは流星ですね。
この飛行機は、どこから見ても非常に均整がとれていて、完成された美しさがあります。
ご希望であればスクリーンショットを撮りますよ。

最近は、烈風でヘルキャットを追いまわしたり、震電でB-29を攻撃したりして遊んでいます。

明け烏様はじめ、皆様のコメントを拝見しながら、名機のシミュレーションモデルをネットで捜すのが楽しみになりました。
銀河の弾倉扉や紫電の脚の動きを忠実に再現しているモデル設計者が居て、感心します。
アメリカのモデラーには、時々勘違いして変な動きをするものもありますが、これもご愛嬌なのでしょう。

これからも、楽しいお話をお聞かせ下さい。
SQH 2005-10-30 21:06:41 No.249066
航空測量会社の事業も、最近はレーザープロファイラーやディジタルカメラを使う機会が多くなり、センサーの価格が搭載機体価格の10倍となるようなケースも出て来ましたが、肝はGPS/IMUという機器でありまして、これはセンサーの空間位置と姿勢をトラッキングするのが目的です。
ご想像の通り、誘導弾に搭載すれば、確実にピンポイントで目標にブチ当てられるので、米軍の軍事機密に属する技術であり、一定の制約の中で民間機で利用しているのですが、これがなかなか微妙な機器でして、出発前の調整に時間がかかったものです。
ハンガー(格納庫)では、通常大型機を奥に入れ、小型機をエプロン側に置いてあるのですが、機器の調整が終わらない内に、一番奥の大型機が出動するような事態になりますと、すべての作業を中止し、小型機を全部エプロンに出し、大型機を押して運び出し、再びハンガーに乗機を戻して最初からIMUのセッティングというような苦労がありました。
貧乏会社では自前のハンガーが有りませんので、契約で借りているのですが、どこも満杯で、それこそ他社機の主翼と尾翼の間にこちらの片翼を滑りこませるような状態で、ギシギシに格納されております。
一機を出すのに数機を移動する必要がある訳で、当日飛行予定の機は早々とエプロンに出してしまうのですが、天候の悪い時期や、電源とか計測器の関係でハンガーの中で整備せざるを得ないような状況もしばしばありました。
古参の整備員が他社の状況も勘案して上手く捌いてくれましたが、ハンガー内部の機体の移動はなかなかやっかいで、これがもたついて出発が遅れることも多々ありました。

空母の中での発進準備(整備、装備)は、更に条件が悪く、狭い上に揺れと震動を伴う訳で、その中で限られた時間中に全ての準備を行い、発進の順番を考慮して飛行甲板に上げるという作業は、つくづく大変なものだと思います。
ミッドウェイ海戦の兵装転換の話が有名ですが、私はいつもこの場面を想定すると、必死で作業する整備員の姿が浮かびます。
指揮官、搭乗員もさることながら、整備の力量というものも戦力の重要な要素であると考えます。
尚、兵装転換時に、爆弾と魚雷がそこいらへんにゴロゴロしていたという説がありますが、これは少し変だなと思っております。
これについては後述します。

明け烏 2005-10-30 22:44:01 No.249133
SQH さま

書き込みを有難うございました。実は掲示板改編によりスレッドが消失したものと考えておりましたので見るのが遅れました、粗忽をお許しください。

さて、いつもながらSQHさまの現場の経験に即したお話は私のような人間には実に勉強になることばかりで大変に感謝しております。
ところで、「IMU]とは計器飛行の機器のことを指しておられるのでしょうか、米軍の戦闘機にこのような用語が使われておりますので、そのように解釈しましたが、もし間違っておりましたら教えてください。

なるほど、格納庫の出し入れやぎゅうぎゅうづめの飛行機を取り出す様子は私も本や映画で見たことがありますが、まさにそのような職人技があるのでしょう。

旧軍の華々しい一線級の活躍の影ではおっしゃるとおり、整備兵の戦いという別の戦争があったことは陸海軍を通じて記憶すべき事柄だと思っております。
ミッドウエイの装備換えの緊張は裏方の整備、兵器の担当兵のご苦労を想像にあまるものがあります。

あのときの様子は戦後様々な書物で語られておりますが、実際にどの程度の飛行機がどの程度の爆装で甲板にあったのか、戦後の聞き取り調査でも赤城艦上には数機の飛行機しかいなかった、それも弾薬と燃料を補給に舞い降りてきた零戦であったとの話もあり、全機轟々と爆装のまま甲板に並んでいたとの話もあり、さだまりません、興味のある点ですのでまたご存知のことがありましたら教えてください。

特に米軍の証言がどのようであったか、知りたいものです、いづれにしろ、再びこのスレッドでSQHさまと会話を継続できること嬉しく思っております。
それでは。
SQH 2005-10-31 00:55:55 No.249230
明け烏様

IMUは慣性航法装置でして、ジャイロでXYZの加速度を測り、時間を掛け合わせてXYZの変位量を計算する自律航法装置です。
ハンガーの地上座標を入力すれば、そこからどちらの方向にどれだけ動いたかを計算できます。
空港のボーディングブリッジに着きますと、操縦席から見える壁面に数字が書いてありますが、それが自機の位置でありまして、出発時に機長が入力します。
慣性航法装置は累積誤差が発生するので、GPSで補正することを繰り返せば、空間位置で2CM位の精度が得られます。
IMU単独ですと、東京からロスまで飛んで500M程度かと言われております。

私の中学時代の恩師は99艦爆の訓練で終戦をむかえたのですが、多くの事を教えて頂きました。
例えば、25号(250Kg)爆弾が投下器の故障で離脱しない場合は、引き起こし操作をしても海面に叩きつけられるのは必至で、このことから訓練時から、爆弾の搭載に際して投下試験を綿密に実施したということです。
すなわち、整備兵が模擬爆弾を横から押して横滑り状態を想定して、それでも確実に投弾可能かどうか確認して出発したと聞いております。
その様子は、爆弾搬送車(トロッコのよなもの)からジャッキで爆弾を持ち上げ、爆弾懸架装置に押しつけて投下索を引き、戻して装着が終わるのですが、ここからジャッキを降ろすと、250Kg増えた重量で脚のオレオが10cm位沈むそうで、ここから1〜2cm下に搬送車をあてがって、”投下試験””用意、テッ!”で投下の確実性を確保していたと聞いております。

魚雷は800Kgの重量があり、艦上で投下試験はしていないようですが、非常に高価かつデリケートな兵器であり、プロペラや舵を触っただけで照準が狂うことが考えられ、決してその辺にゴロゴロ転がされていたことは無いと考えます。
恐らく、通常の保管庫に戻される暇が無く、狭いスペースに搬送車に載せられて放置されていたというのが実情でありましょう。

戦後60年、色々な記述が出ておりますが、航空従事者の端くれとして、ちょっと変だぞという記事も多く見られるのが現状です。
本当のところはどうなんだ。 それを語れれば幸いです。
珊 島 2005-11-07 11:06:31 No.250422

新板がありますが旧板にて書き込み失礼します。
NO.1
明け烏様が「自分が一番好きな戦闘機は隼で次が飛燕だ」と仰っていたのには以外な感がしました。スレッド題からすれば当然な話しなのですが私はこれまでの語りからしててっきりゼロ戦とばかり思っていた。隼を挙げる人は少ないのではと惟うだけにやはり玄人だなと感じ入ったものです。コクピット等の戦記マンガ家の松本零士氏は九七戦を挙げていました。

私は零戦よりも飛燕が好きでした。その理由は液冷エンジン特有のスマートな機体と機銃が強力だったことです。特にドイツから輸入したマウザー20mm機関砲を搭載した飛燕の活躍には痺れたものです。確か雄一郎様も飛燕が好きだと仰っていたと思います。親戚か従兄弟にB29に馬乗りになって撃墜した人がいるからと聞いていました。私は中野伍長かなと思っていますがB29を体当たり攻撃で撃墜した人は結構います。

今から25年程前でしたか群馬県館林近郊の水田2m下から飛燕の残骸が発見されたというニュースがありました。搭乗員は沖縄県南風原町出身の新垣安雄少尉と判った。彼は昭和20年2月16日館林上空で僚機の鈴木伍長とともに軽空母「サン・ジャシント」を発進した第45戦闘飛行隊F6Fのロバート・R・キッドウエル少尉に撃墜されたと言われている。

遺品か遺骨が遺族の妹さんの所へ届けられた。NHKはそれをもとに本土防空震天隊人間模様のドキュメンタリー番組を放映した。冒頭そのニュースと妹さんが出ていて毛糸の緑色のマフラーを見てそれは私が編んだものですと泣いていた。番組は部下の遺族を訪ねて香を手向けて行く戦隊長を中心に進行する。私はこれまでその隊長が小林照彦氏とばかり思っていたが最近三保平清様のスレッドで間違っていたことが判った。

珊 島 2005-11-07 11:10:00 No.250425
NO.2
小林戦隊長は昭和30年代に亡くなっていたのである。とすればあの隊長は誰なのか?実に物静かで凛々しくその佇まいに惚れ惚れするような人だった。その番組ではまたB29を体当たりで撃墜したという強者も出ていた。B29 撃墜においては新垣安雄少尉と同じく沖縄県出身の古波津里英少尉もB29を体当たり撃墜している。氏は後に知覧で特攻隊の援護に当たる。番組の最後はどの様な形で終わったか定かではないがあの戦隊長が去ってゆく後ろ姿で終わったような気がする。今でも御存命だろうか。

中京防空の飛行第17戦隊は台湾へ進出し台湾の第八飛行師団の隷下に入る。同師団の隼、飛燕の10機は昭和20年4月22日米軍グラマン40数機と宮古島上空で壮烈な空中戦を展開している。このことも次回語りたい。終りに幼き頃母にせがんで歌ってもらった加藤隼戦闘隊歌を歌います。

4.千戈交ゆる幾星霜
七度重なる感状の
いさをの蔭に涙あり
ああ今は亡き武士の
笑って散ったその心

5.世界に誇る荒鷲の
翼のばせし幾千里
輝く伝統受けつぎて
新たに興す大アジア
われらは皇軍戦闘隊

どなたか1,2,3番をお願いします。    珊島 拝








憂 児 2005-11-07 11:36:03 No.250433
珊島様  スレ主、明け烏様

 それでは、当スレの一旦の締め括りを惜しみつつ、珊島様のお求めに僭越ながら、私、憂児がお応えして、「加藤隼戦斗隊」の歌の一、二、三番を掲出させて頂きます。
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 加藤隼戦斗隊(加藤部隊歌)
作詞 田中林平/朝日六郎・作曲 原田喜一/岡野正幸

1. エンジンの音轟々と 隼は征く雲の果
  翼に輝く日の丸と  胸に描きし赤鷲の 印はわれらが戦闘隊

2. 寒風酷暑ものかわと 艱難辛苦打ちたえて
  整備に当る強兵が しっかりやって来てくれと 愛機に祈る親ごころ

3. 過ぎし幾多の空中戦 銃弾うなるその中に
  必ず勝つの信念と 死なばともにと団結の 心で握る操縦桿
.

 スレ主様初めご参加の皆様、ご苦労様でございました。

 新掲示板での当スレの益々のご隆盛をお祈り申し上げます。
.
明け烏 2005-11-07 11:48:10 No.250438
みなさま方 へ

みなさまこの旧スレッドも今日でお別れでございます、ご支持くださった方々に心よりお礼を申し上げます、本当にこの旧掲示板は去りがたく、みなさまがたのコメントの一つ一つを思い出します。

最後の最後まで、珊島さま、有難うございました。
飛燕のお話、感動的です、私もぜひそのドキュメンタリーを見たかったものです。

そういえばもともと珊島さまはこのエンジンの音でお目にかかった方でした、すっかり日本映画のほうとばかり思い込んでおりました。
大変な知識をお持ちです、貴重な方と知り合えて嬉しく思います。

憂児 さま

本当に心の優しい方です、私の新スレッドにも一番に書き込んで下って、私の日ごろのご無沙汰にも関わらず必ず節目節目には元気付けてくださる、できることではありません。

有難うございました、みなさまがた。

これにて幕引きでございます。
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