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保守と革新について

JARAMU 2005-05-04 12:33:57 No.155556
右翼と左翼、保守と革新、資本主義と社会主義など、思想や制度の違いがありますが、この事は現在に於いてもその様な捉え方が当て嵌まるのでしょうか?

もともと日本という国は、役人が民に対して様々な干渉を行なって来た国であり、民もそれを受け入れ従い、制度が大きく変わる事無く今日まで続いて来た国であります。

その様な事から、世界で最も成功した社会主義国家と揶揄されてもまいりました。

確かに表面上は資本主義国家でありましたが、社会制度そのものは社会主義的な要素を多分に含んだ社会様式を持った国となっておりました。

その様な事から考えれば、日本の保守というのは社会主義者という事になりますが、そうなのでしょうか?

また、保守は変化を認めない姿勢を正しいとするため、現在行なわれている構造改革は、国家を崩壊させるだけだとして反対を叫ぶ人達がおります。

民間の知恵や行動力を認めず、郵政民営化に反対している様ではこれまでの様に役人の管理下に居たいという事になりますが、はたしてそういう事なのでしょうか?

確かに、日本の役人は他国の役人程大それた悪事を行なう事はありませんので、その様な意味では信じられるとはいえますが、しかし、様々に複雑化し、大きくなり過ぎた日本の社会は、もはや役人的体質ではコントロールが出来ない為、制度疲労を発生させているのだと考えます。

また、社民党や共産党の議席数が大幅に減少した事からも、彼等はもはや革新とは呼べなくなっている筈で、古典とでも言い表す方が良いともいえ、既に保守及び革新と云う事からは、はみ出てしまった存在とも考えます。
(無視すべき存在)

そのため、あくまでも保守であり革新に反対の立場と、保守でありながら革新を目指す立場とでは、あきらかに違いがあるものと考えますので、従来からの保守は社会主義者であり、保守でありながら対する立場にいる人達は革新となるのでしょうか?

この事について、ご教示戴きたくお願い致します。
最上寶刀 2005-05-11 10:21:55 No.158523
>>さて、「共同体」についてですが、答えから言うと、存在します。しかし、これが日本的共同体だと定義することはできません。(定義できるのはコルホーズ・ソルホーズみたいな公式組織に限ります)
現実に、家族、郷土、会社、お寺のお掃除会、犬の散歩仲間、リトルリーグ、だんじり、阪神ファン、もちろん日本国家、その他、帰属意識を感じるあらゆるものが共同体です。
>私の考えは天皇を頂点とする「日本共同体」は、人間宣言によって瓦解したと、考えております。その底辺の「村落共同体」も「大家族」も瓦解しました。それに代わったのが「利益集団」である「会社組織」です。
 ここに日本の不幸があります。この件、まだ、結論出しておらず、勉強中であります。
最上寶刀 2005-05-11 10:26:00 No.158525
多聞様:
>>共同体の和の部分だけが協調されますが、個人と共同体の矛盾を吸収する行為こそが日本では最大の評価されてきたのも事実です(神風特別攻撃隊は、その最たるものです)。
>ここの部分、よくわかりません。お時間あるときに、詳細な説明をよろしくお願いします。
xxxxxxxxx 2005-05-11 17:45:38 No.158619
「村落共同体」が破壊され、企業内共同体がその替わりをなしてきた面があるだが、そりも、昨今の「改革」でもって破壊されてきた。
 E.フロム「自由よりの逃走」とかの見方でわ、ファッシズムってのわ、「共同体」が壊れて、帰属意識(アイデンティティ)が消失、でもって民衆わ「束」ファッシになったんだと。
 なんだが似たようのご時勢になっとりゃせんか?
多聞 2005-05-12 09:45:12 No.158838
最上寶刀さん、おはようございます。

資本主義下での所有の概念は、排他的なものであり、貴方のおっしゃる通りですが、果たして杓子定規に全てに当てはめることができるか?と言うことを考えていただきたい。
また、そう言う資本主義原理教で、日本人は幸せになれるか?競争力を保てるか?と言うことについて、疑問を感じませんか?資本主義と言う言葉はマルクスが考案したものですが、このシステムに忠実であることが、本当に良いものでしょうか?日本では、企業は株主のものか?従業員のものか?が論争になっていますが、法律論で言えば明らかに株主のものです。だからと言って、それでカタがつくのか?と言うことを考えていただきたい。
私の結論を先に言えば、自由経済は何より大切ですが、その運用を西欧式にする必要はないと思います。
日本は法制度上、資本主義と言うことになっていますが、その運用面の工夫で、日本的価値観との両立をはかってきました。例えば、終身雇用であったり、株の持ち合いであったり、土地本位制などです。現在、これらの意味を考えず、どんどんと手放していることは、非常に愚かだと思います。

西欧的な個人と共同体の関係とは、個人が集合→共同体を形成ですので、共同体の中で個人同士が対立するわけで個人の自立が求められるのですが、では、日本では共同体→個人かと言うと、そう言う側面もあるが、それが全てではない。単純に共同体が個人を規定するとしてしまうと全体主義です。
日本では、個人⇔共同体となります。個人と共同体に連続性があるのです。
これを理解しようとすると、陰陽論が便利です。陰と陽は不可分であり、互いを規定する。陰とは物質であり、陽とは機能である。例えば地は陰・天は陽、肉体は陰・精神は陽、津液(体液)は陰・気は陽。
日本では個人と共同体の関係は陰陽の関係なのです。実体としての個人は陰・機能としての共同体は陽。互いに不可分であり、互いが互いを規定する
多聞 2005-05-12 09:49:04 No.158843
国家や共同体を、天皇陛下を頂点とするピラミッド型の公式組織のように考えるのは、硬直しすぎだと思います。一人の人間が複数の組織に属しているのは当たり前ですし、非公式組織の場合のほうが多い。実態は、天皇陛下を中心として複数の共同体が重なり合って集合し日本と言う国家を形成していると考えるべきだと思います。
また、天皇陛下が生物学的に人間であることは当時から国民的常識で、人間宣言が共同体の解体に影響が、それほどあったとは思いません。(GHQは天皇陛下にすら命令するのだと言うショックは大きかったでしょう)日本人は、天皇が人間であり神であると考えていたのです。現神人とは、まさに読んで字の通り。
共同体自体は日本に星の数ほど存在しますが、問題は、国家と個人を繋ぐものが喪失したことです。共同体に貢献することは最終的には天下万民に貢献することであること(例えば、企業のためにつくすことは国家の発展に貢献すること)でありました。ところが戦後民主主義なるものは共同体と個人を引き離し対立するものにするため、個人と共同体は対立し、個人と国家は対立すべきだと煽りつづけ、国民は、かなり毒されいます。
多聞 2005-05-12 09:51:14 No.158844
共同体と個人の間には必ず矛盾が発生します。個人が共同体に所属する誘引には感情と義と利がありますが、利が対立した時にモノを言うのは感情と義で、これを日本では義理と人情と言います。そして日本人は義理を人情より重んじることを良しとしていました。
義理の代表格は「忠臣蔵」ですが、あれは正確には仇討とは言えません。幕府が浅野内匠頭に切腹を命じ吉良上野介に御構い無しとしたことを不服として、赤穂浪士が言はば私刑として吉良を討った。幕府の裁きと言う法と主君への忠義が矛盾したことは武士道の論理矛盾の危機でした。義士たちは吉良を討ち切腹することで、身を挺して武士道を守ったのです。
和を重んじるだけであれば穏やかにすべきだったでしょう。実際、赤穂藩士だった者の大多数はそうしています。ところが、討ち入りと言う一番過激な行動をとった四十七士は、今も直、惜しみない賞賛が贈られています。
人情の代表格と言えば、曽根崎心中などの心中ものです。
単純に言えば、男女の愛情と言う人情と社会的制約と言う義理が両立しないとき、それでも人情を完遂するならば、あの世でと言うことです。(この世のルールは義理>人情と言うことの裏返し)
和を重んじるのであれば、心中などもっての他です。
これらの物語が古典芸能で繰りかえし語られ現代でも愛されているのは、共同体と個人の矛盾を、義理と人情で、より高いレベルに昇華することが、日本では評価されると言うことです。
余談ですが、メグ・ライアンとトム・ハンクスの「めぐり逢えたら」のように、ハリウッド映画では、婚約者がいるけれでも運命的出会いをして、結局、婚約破棄して運命の人と。。。てなパターンが多いのですが、それを見るたび「うそくせー」「なんて我侭な女だ」「どうして、こんな女に惚れるんだ?後で不幸になるだけだぞ」と思ってしまうのは私だけでしょうか?どうやら米国では人情>義理のようです。

繰りかえしが多くなって、申し訳ありません。
最上寶刀 2005-05-12 10:53:22 No.158851
多聞様:貴重なレスありがとうございます。
>>日本は法制度上、資本主義と言うことになっていますが、その運用面の工夫で、日本的価値観との両立をはかってきました。
>実は、私はこれが問題だと考えております。すなわち、多様な思考・哲学が現在渦巻いている中で、「法律」の厳格な運用なしには、総意がとれなくなってきているんです。そこへ、「運用面の工夫」なる官僚が細則・運用を決定できるシステムが全ての癌であると断罪したい。
 細則や適用を官僚の専権事項にしてきたことが、敗戦後の日本をここまでダメにしてきました。いや、戦争中から、その萌芽はありました。
 例えば、「身内に甘く、外に厳しい」その体質です。JR西日本や日航の不祥事で、監督責任官庁の一体、誰が責任をとったのでしょうか!? 北側なる国土交通省のトップからして、彼らを非難・糾弾するばかりでしょう。そこに、監督「責任」の「せ」の字も見えない。彼には責任こそあれ、非難する権利は豪もない。
最上寶刀 2005-05-12 11:03:21 No.158854
>>西欧的な個人と共同体の関係とは、個人が集合→共同体を形成ですので、共同体の中で個人同士が対立するわけで個人の自立が求められるのですが
>ここのところ、もう少し詳しくご教示いただけますでしょうか。正直、共同体の件、勉強不足です。
>>共同体自体は日本に星の数ほど存在しますが、問題は、国家と個人を繋ぐものが喪失したことです。共同体に貢献することは最終的には天下万民に貢献することであること(例えば、企業のためにつくすことは国家の発展に貢献すること)でありました。
>話が核心に入ってきました。そう、「国家と個人を繋ぐ」共同体は、少なくとも喪失したということは、意見の一致を見たようです。質問ばかりで恐縮ですが、多聞様は、その「国家と個人を繋ぐ」共同体の再現は必要と考えていますでしょうか?叉、そうであれば、如何なる形で再現可能でしょうか?
 以前、別スレにて『新・新共同体』の創設が不可欠であることを論じました。しかし、私の「共同体」に対する勉強不足で、具体性なく尻つぼみに終わってしまい、いずれスレ立てしようと考えております。
最上寶刀 2005-05-12 11:10:41 No.158857
 敗戦後、企業が「共同体」の主な受け入れ先となりました。しかし、企業とは「利益集団」であります。数々の法律違反を伴う不祥事は、まさにこの悲劇であります。すなわち、「共同体」の利益を優先するあまり、法律違反なんのその、「共同体」の外のことは預かり知らぬ、「共同体」の「法律」が日本の法律に優先するという事態こそが、「利益集団」が「共同体」になってしまった悲劇を生み出し、それは「共同体」の論理から云えば当然であったのです。
 時間ないので、あとで、叉書き込みます。
最上寶刀 2005-05-12 11:17:48 No.158859
訂正(No.158857)
誤)「利益集団」が「共同体」になってしまった悲劇を生み出し
正)、「利益集団」が「共同体」になってしまった悲劇がかかる不祥事を生み出し
最上寶刀 2005-05-12 13:25:34 No.158889
多聞様:義理の例に、赤穂浪士の件も持ち出されましたが、実はこの「仇討ち」の例は非常に少ないのが「事実」です。恐らく、数えるほどしかない。私は「仇討ち」だと思っております。
 「武士道の論理矛盾の危機」というよりも、藩という「共同体」の論理が、幕府への忠誠に勝ったということではないでしょうか。
 曽根崎心中の件を、「人情」の例に出しておりますが、「男女の愛情と言う人情と社会的制約と言う義理」というよりも、「共同体」の論理に反する個人の愛情をどうするか、という問題と捉えております。
>>これらの物語が古典芸能で繰りかえし語られ現代でも愛されているのは、共同体と個人の矛盾を、義理と人情で、より高いレベルに昇華することが、日本では評価されると言うことです。
>この問題の核心に入りますが、私は心情的には理解しても「現実には実行できない」羨望のようなものが、日本人の心の中にあると考えます。すなわち、こういう事件は現実には稀有なケースなのです。裏を返せば、義理も人情も希薄なんです。「思っているだけ」なのと「実際に行動する」ことは、天と地ほどの違いがあると愚考します。
xxxxxxxxx 2005-05-12 18:38:22 No.158994
最上どんわ。流行に弱ぃとゆぅ愚者の見本のよーでおじゃりまするな(^^
 たとぃば以下のようなもんく:
<企業とは「利益集団」であります。数々の法律違反を伴う不祥事は、まさにこの悲劇であります。すなわち、「共同体」の利益を優先するあまり、法律違反なんのその、「共同体」の外のことは預かり知らぬ、
  −−−−
こりゃ極端な言い方であって、ただいまご流行の改革派の言い分とそっくし。馬鹿じゃにゃぃにょ。
 共同体を破壊したら、砂社会だ。従業員は利益を上げるための道具になっちゃう。日本的経営の戻るべきだある。
  ったく馬鹿なやつ。
 
最上寶刀 2005-05-12 19:09:55 No.159008
xxxxxxxxxx様:貴方ごときに、馬鹿呼ばわれる筋合いはない。共同体を破壊せよ、などと私は書いていない。日本的経営!?なんですか、それは?説明していただきましょうか。まぁ、貴方には無理でしょうが...
xxxxxxxxx 2005-05-12 20:02:54 No.159030
ぁ おこったにょね(^^
多聞 2005-05-13 09:18:06 No.159206
最上寶刀 さま おはようございます。

AとBと言う個人が集まって、Cと言う共同体を形成したとします。
西欧的自由主義の場合、AとBの利権は必ず衝突します。その時AとBはお互いの要求を、自由に交渉または競争した結果、C全体の利益が最大になり、AとBの利益も最大になると考える。
西欧的社会主義の場合、AとBの利権は必ず衝突するので、Aに全権を委託し、利権の調整をするとことにより、C全体の利益が最大になり、AとBの利益も最大となると考える(こうやって、単純化するとマヤカシであることがはっきりしますね)。
では、日本の場合、個人と共同体は一体のものの其々の一面(陰陽)なので、AとBは其々、Cの利益が最大になるよう行動することにより、Cの利益が最大になり、AとBの利益も最大になると考える。
反共と言うことは、20世紀において、正解であることが証明されました。
では、反共=資本主義(アメリカ的自由経済)かと言うと、それだけが正解ではない。日本式は反共であるし、日本の文化風土では、こちらが正解ではないか?と言うわけです。

法の厳格な適応が、現状の日本の問題の解決になると言う考えには賛成できません。
(このヘンの話は、今週のほめ殺しで小山先生がおっしゃっていましたが)
法とは最低限のモラルであって、高度なモラル(例えば企業文化)を法で定めると言うと、極端なファシズム・社会主義になります。
法を厳格に適応すれば、今回のJR西日本の列車事故で、現在報道されている事故原因通りだとしたら、業務上過失致死罪に問われるのは、安全規定を無視した運転手本人(死亡のため不起訴)、もしかしたら車掌、さらに少ない可能性で直属の上司(安全規定を無視するよう命令したことが証明された場合のみ)ぐらいでしょう。また、勤務時間外に社員がボーリングしようが宴会しようが自由です。法的責任はありません。
多聞 2005-05-13 09:20:58 No.159207
ところが、実際の世論は、JR西日本により高いモラルを持つことを求めている。これは社員がJR西日本と言う共同体の構成員であるから、言い変えれば会社は従業員のものだと考えているからだと言えます。(その意味では、当事者でありながら被害者面している組合関係者には反吐がでます)
また、国土交通省は、新型ATSの設置を求めていますが、これは法的根拠があるものではく、運用で行っているものですが、事故再発防止には効果的でしょう。
官僚の無責任体質を改善したければ、責任を問える制度にしなければなりません。具体的に言えば、政治家が官僚の首を切れるようにすることです。法の厳格な適応と言う問題ではないと思います。
私が必要と考えるのは、共同体に属するものは、その活動を通じ、天下万民に尽くすものだと言う個人の認識と、そういう個人を育てる共同体文化(企業風土)の形成だと考えます。

共同体と個人は、互いを規定し合うので(例えば農村に育てば個人は保守的になり、保守的な個人が農村を構成するため、農村は保守的になる)、愛国心を持った国民が育てば、現在でも山ほどある共同体は自然と愛国化します。そして愛国化した共同体は愛国的な国民を育てます。
伝統的な共同体が崩壊したからと言って、人工的な共同体をつくることは、副作用ばかりが大きくなるでしょう。

忠臣蔵が単なる仇討ちだとしたら、数ある仇討ち話の中で、特別愛されている説明がつきません。また、単なる幕府への異議申立てだとしたら、いくら時代設定を変えているとは言え、江戸時代に公演できないでしょう。幕府も認めざるをえない武士道の見本がそこにあったからではないですか?
芸能と言うのは、象徴化というか特化したものですから、レアケースであるのは当たり前ですが、だからと言って日本人は義理も人情も希薄ですと言うのは、あまりに単純化したものの見方だと思います。長い時間を超えて伝わるものは人の心の核心を捉えたものです。聖書に「汝の敵を愛せ」「右の頬を打たれたら左の頬をだせ」とありますが、あきらかにレアケースですが、キリスト教徒に対し、「あれは口で言ってるだけ」と言ったら、どうでしょう?
日本人が義理人情を重んじないのであれば、どうして大東亜戦争後も2000人以上の日本兵士がインドネシア独立後のために戦い1000人以上が命をおとしたのでしょうか?
最上寶刀 2005-05-13 11:30:37 No.159235
多聞様:丁寧なレスありがとうございます。私は、どんな主義であっても「共同体」の論理は同じだと考えております。どうも、現在日本での具体的な貴方の考えている「共同体」が見えてこないんですよ。できれば、具体的な「共同体」の例を上げていただくことができますでしょうか?
>>法の厳格な適応が、現状の日本の問題の解決になると言う考えには賛成できません。
>「法の厳格な適用」は民主主義の最低限のルールであると考えております。それを、役人の裁量で細則・適用がなされることが、現状の日本の最大の問題であると断罪したい。
>>法とは最低限のモラルであって、高度なモラル(例えば企業文化)を法で定めると言うと、極端なファシズム・社会主義になります。
>誤解があるようですが、私が述べている法とは「法律」であり、政府・地方政府が定めたものを指しています。よって、企業の会社細則などは含んでおりません。モラルを法律で定めることになってきたのは、人間の道徳が落ちてきたのでしょう。
>>また、勤務時間外に社員がボーリングしようが宴会しようが自由です。法的責任はありません。
ところが、実際の世論は、JR西日本により高いモラルを持つことを求めている。
>当然、ありません。私は世論の横暴だと考えております。問題は、何故こんなに懇親会とか、飲み会とか、ゴルフがJR西日本は多いのか、ということです。

最上寶刀 2005-05-13 11:43:43 No.159239
>>官僚の無責任体質を改善したければ、責任を問える制度にしなければなりません。具体的に言えば、政治家が官僚の首を切れるようにすることです。法の厳格な適応と言う問題ではないと思います。
>現在でも、大臣は官僚の首を切れる制度の筈です。ただ、それができる器量の政治家がいないのです。要は、政治家が官僚を使うのではなく、官僚が政治家を使っているのが現状です。
 法の厳格な適用を望まないのでしょうか!?私には、この考えが全く理解できません。だったら、極端な話、法律はいらないでしょう。
>>私が必要と考えるのは、共同体に属するものは、その活動を通じ、天下万民に尽くすものだと言う個人の認識と、そういう個人を育てる共同体文化(企業風土)の形成だと考えます。
>貴方の云われる「共同体」とは「企業」でしょうか?そうだとしたら、前回も述べましたが、企業は利益集団ですから、「天下万民に尽くすという個人の認識」は不可能です。
最上寶刀 2005-05-13 12:00:15 No.159246
多門様:仇討ちの件は、忠臣蔵以外に、殆ど例がないと申し上げているのです。他に、例がありましたらご教示ください。あっても主君の為ではなく、親兄弟の仇討ちであると思いますが。
 私の主張したいのは、敗戦後伝統的な村落共同体や大家族制度が崩壊し、それに代わるものとして企業という「利益集団」がなってしまった、ということです。人類に「共同体」が必要であるならば、「利益集団」に代わる「共同体」が必要なのでは、ということです。恐らく、その萌芽はできているかと思います。それが、人工的なものかどうかは、私にもよくはわからないのですが...
xxxxxxxxx 2005-05-14 01:16:42 No.159496
流行カブレの最上くんわ、今や消滅寸前の企業内共同体を徹底ぶっ壊して、成果主義だの競争主義だの効率主義だの、やりたぃわけだにょね。
 日本人の大多数わいちんちのほとんどを企業内ですごすわけだあって、そのそとに共同体とか、馬鹿じゃなやぃにょ。
xxxxxxxxx 2005-05-14 01:19:44 No.159498
資本主義の前提わ利益集団だ そり、ぶっ壊したら社会主義だんべ。
最上寶刀 2005-05-14 14:36:10 No.159668
x9個様:資本主義の前提が「利益集団」なのは当然です。それをぶち壊せなどという妄言は一言も申しておりません。
 「利益集団」が「共同体」となっていることの問題点を指摘しているのです。一日の大部分を企業内で過ごすとか過ごさないとかいうことを話している訳ではありませんよ。他人を批判する以前に、自分の論はないのですか?叉、文章をよく読んだ方がいいですよ。
衰退なくして改革なし 2005-05-14 14:36:23 No.159669
最上寶刀様

日本の資本主義〜スレでは失礼致しました。

>人類に「共同体」が必要であるならば、「利益集団」に代わる「共同体」が必要なのでは、ということです。恐らく、その萌芽はできているかと思います。

No.158453 に関連しますが、少なくとも日本では既に一つの共同体が成立しています。それは少子化家庭・パートタイマー・フリーター・派遣社員等を中核とする「運命共同体」です。

企業という「利益集団」の一翼を担っているのは、この「運命共同体」に他なりません。そして企業という「利益集団」から「運命共同体」へ何れは移らざるを得ないと考えている人々が存在することも忘れてはなりません。

この「運命共同体」を構成する人々とその予備軍は、自らを非凡であるなどとは考えずに平凡な生活を送っています。自分のことを少なからず非凡であると考えている人々は、少子化家庭・パートタイマー・フリーター・派遣社員とその予備軍に感謝するべきでしょう。
最上寶刀 2005-05-14 16:46:20 No.159710
衰退なくして改革なし様:その折は、ありがとうございました。
 さて、貴方の云われる「運命共同体」なるものは、私の述べている「共同体」とは異なるものだと考えますが? もう少し、詳細をお聞かせください。
xxxxxxxxx 2005-05-14 18:49:08 No.159761
共同体論ってのわ左翼がよくやってるんだょね
わしも良くわ知らんが、ともかくねアタの共同体認識ってわごく幼稚なもんだつーのわ分かるけどね。
衰退なくして改革なし 2005-05-14 22:20:56 No.159826
最上寶刀様

仰る通り、最上寶刀様の言われる「共同体」とは異なるものです。私が述べている運命共同体とは「未来の境遇が同一の方々」と言う意味だけです。

勿論、この方々が「共同体」を認識されている訳でもありません。言葉が足りず申し訳ありません。
多聞 2005-05-15 01:09:31 No.159891
最上寶刀さん、こんばんは。

共同体とは、特定の目的を持たない集団、逆に言えば、参加すること自体が目的の集団を指す場合が多いのですが、では共同体によく引き合いに出される家族や村落に本当に目的がないかと言うと、そうではない。例えば家族に組織論的な目的を定義しろと言えば難しいのですが、教育、娯楽、宗教、住など其々の場面に応じて多面的な目的を持っていると言うこともできます。
そもそも、組織の機能と目的を分離すること自体が無理ではないか?組織を還元的に分析しても本質を捉えれない。産まれもって選択の余地がなく帰属し離脱することができない集団以外の集団が目的を持たない所謂純粋な「共同体」足り得るないのではないか?(だから、それを人口的につくるとヒットラーユーゲントのようなものにならざるを得ない)
企業内共同体の場合、組織の目的は利潤だが、社員はそれ以外の要素も誘引となって企業に参加していることを共同体的だと表現されているわけですが、組織の目的以外のものが構成員の誘引になる、そう言う例は山ほどあります。(組織論として組織の目的と構成員の誘引とが一致することが望ましいのが当然ですが)
ですので、公式、非公式を問わず全ての組織が共同体の受け皿になり得えると考えます。国民が愛国心と言う欲求を持てば、そう言う誘因を提供できる組織が必ず求められますし、現れます。
多聞 2005-05-15 01:11:38 No.159893
企業が利益集団であるから「天下万民に尽くす」ことが組織の目的にならないと言うことにはならないと言う論理は成り立ちません。富国強兵政策下の国策企業は明らかに国益と一致する存在ですし、松下幸之助の経営理念は企業の活動を通じて国民の生活文化の向上に寄与することとハッキリ述べています。そして、事実として当時は産業を発展させ外貨を獲得することが国益であり企業の目的と一致していた。ところが企業が多国籍化したり、外資になったり、または企業と個人をの対立を煽る戦後民主主義によって構成員の意識が変化したり、一致しない場合も出てきたと言うことです。国益と企業の利潤が一致しない時に問題があるわけで、利益集団であることが問題なのではないと思います。
JR西日本の懇親会やゴルフが多いこと問題だと言うのが理解できません。企業に複合的な誘引を持つこと自体が悪いと言う意味ですか?企業が利益のためだけに存在するかのような見方も問題で、あらゆる組織は多面的な側面を持ち、その構成員に対する誘引は多面的になものです。経済的な側面だけを強調するのはマルクス主義の裏返しとも言えます。現代組織論で通用する話ではありません。(小山先生も取上げていたアメリカ経営学の大家C・バーナードの「経営者の役割」を読むことをお勧めします)

話の本筋ではないのですが、JR西日本の事故について、もう少しだけ。
JR西日本を共同体とみなすとき「身内が事故起こしてるのにヘラヘラしてるんじゃない」と言う国民感情は、ある意味自然なことです。(法的責任は別の話)
しかし、一番大事なことは、事故の原因を追求し再発を防止することで、そのためには事故原因の究明と対策であるはずなのですが、これについては事故調査委員の発表を待たなければなりませんが、それが待てないため、こう言う感情面ばかりを煽りたてるマスコミの仕事振りには呆れるばかりです。
多聞 2005-05-15 01:12:50 No.159895
「法の厳格な適応」をどう言う意味で使っているか、よく分からないのですが、法律に書いていないことは行政はやっては行けない、行政が法令や命令を制定すること自体が問題だと考えているんですか?もし、そうだとしたら机上の空論でしょう。
刑法で「○○罪は××円以下の罰金とする」と規定されていても、では、その罰金はどう言う集金の仕方をするのか、どう言う管理をするのか、などなど決めなければならないルールが山ほどあります。もし、そのルールを決めないと、それこそ役人個人個人のやりたい放題です。行政がそのルールを決定する権限を持つのは当然ではないですか?問題はその決定に対して責任をとらない体制になっていることではないのですか?
それとも、そんな細かいところまで議会を通せと言うことですか?

レアケースであるから、そのモラル自体もレアであると言う主張は、誤まっていると思います。
自衛隊員は「任務遂行にあたっては自らの危険を顧みず・・・」と宣誓し、それが明らかに彼らにとっての根本的なモラルになっていますが、任務遂行上犠牲になる自衛隊員というには非常にレアけースです。だからといって「あれは口で言っているだけで、言うと実行するのじゃ大違い」と言うのですか?
最上寶刀 2005-05-16 11:34:52 No.160416
多門様:貴方云われるところの「企業内共同体」と、「共同体」としての企業の認識に相違が見られるかと思います。私の述べている「共同体」とは、戦前の天皇陛下を頂点とする「村落共同体」の受け皿であります。ここで組織論をやっているつもりではありません。
 私が述べているのは、利益集団としての企業が「共同体」となったことの不幸を問うておるのです。
>>JR西日本の懇親会やゴルフが多いこと問題だと言うのが理解できません。
>そうですか。役所であるときからの、悪しき習慣を引きずっているのではないかと、考えただけです。
>>しかし、一番大事なことは、事故の原因を追求し再発を防止することで、そのためには事故原因の究明と対策であるはずなのですが
>それはそうでしょう。ただ、JR西日本の体質が、事故の遠因となっているのも確かでしょう。いや、最近の運転手の証言では、かなり、近因かもしれないと考えております。
最上寶刀 2005-05-16 11:45:29 No.160423
法の厳格な適用:これは、単に法律を守る、ということです。例えば、憲法9条です。自衛隊を解散するか、憲法を改正するか、ふたつにひとつです。「自衛隊は軍隊ではない」なんていうまやかしが、どれだけ欺瞞に満ちたもので、教育的に悪いものか計り知れないものがあります。
 例えば、死刑判決は6箇月以内に執行することが決まっているわけですから、それを粛々と実行すべきなのです。それを「人権」などというものが突然出て来て、法務大臣がサインしないという、法務大臣自ら「法律違反」を犯して何も罪に問われないことが、問題だと申しております。
 上記2例をもって、「法の厳格な適用」の例とさせていただきます。

 叉、行政側の判断で「法の適用」が大幅に変わることは、由々しき問題と考えております。飽くまでも、立法時の精神で、最終的には司法の判断が求められます。ここまで、官僚をのさばらせた原因は、立法をさせ、適用の細則をも行政に判断させていることだと、断罪したい。日本の三権分立こそ、机上のものに成り果てているのです。
多聞 2005-05-17 20:39:58 No.161016
最上寶刀 さん、こんばんは。

保守とは?革新とは?と言うテーマから大分ずれてきたので、手短に。

戦前の天皇陛下を頂点とする村落共同体と言う認識自体が、私は違うと思うので、受け皿も何もと思います。村落共同体は生産と生活が分離していなかった、当時はマルクス的権力VS民衆の虚構に染まっていなかったので皇室と臣民は一体であった、と言うことで、目的も定義も機能もカッチリとできるものではないでしょう。
現代では生産と生活が分離している(ことが多い)だけのことで、皇室と臣民の一体感を取り戻せばそれで良いと考えます。

人間、仕事か子育てに一番時間を費やすわけで、それ以外の共同体を新たに設立することを考えても、机上の空論でしょう。みんな忙しいんです。それから、経済と言うのは人間に対する誘因の一つであって、社会的、宗教的、生理的、その他もろもろの誘因とは違う特別のものだと言う認識が、マルクス主義的で、私には理解しがたい。

法の厳格な適応について。官の横暴を抑えることは重要だと思います。しかし、その方向を目指すのは良いとして、現実として、政の貧弱さを補うシステムなので、政のレベル=民のレベルが上がらないことには難しいでしょう。時間が掛かります。それが待てないからと言って、法を厳格にすることが、生活より大事だというのは、恐ろしく楽観的な法に対する感覚だと思います。

保守と革新に関連して。
今までの貴方の発言を私なりに整理すると、共同体としての企業は営利集団だからダメ→個人と企業の分離→その受け皿として非営利の人工的共同体を創設。これって、そのままナチズムですね。後ひと押しで共産革命です。
貴方は、共同体としての企業を破壊したい(私はその認識自体が幻想だと思います。企業内共同体は存在すると思いますが)と言うことですが、それを破壊したら何が残るのですか?
貴方の守りたいものは何ですか?
最上寶刀 2005-05-19 19:45:13 No.161761
多聞様:誤解があるようですが、私は「企業を破壊したい」なんて、一言も申しておりません。寧ろ、利益集団としての企業の存続を願っております。つまり、私の守りたいものは「資本主義」なのです。
 貴方とは認識が異なるようですが、昔の「村落共同体」とか「大家族制度」が失われ、日本人が拠り所とする「共同体」が企業という利益集団しかない、ことが問題だと愚考しております。すなわち、「共同体」なしでは不味いんではないかと、考えている最中で、まだ、結論が出ていないんです。また、よろしく。
xxxxxxxxx 2005-05-19 23:20:34 No.161845
企業への忠誠心の度合いをギャラップが調べたところ日本わ最低になったそーな。以前わ逆で日本わ世界に誇る企業への忠誠心だったんぢゃけんどね。小泉竹中らアメリカ信仰主義者が、個人主義だの自己責任だの自立だのゆった結果が企業崩壊、失業、犯罪、社会崩壊をもたらしておる。

http://www.pluto.dti.ne.jp/~mor97512/C01034.HTML
トマト 2005-05-19 23:43:45 No.161851
企業の従業員が、四分五裂で、職能だけで活動してれば、お互いは無機物である。ましてや、誰が、何処の会社から派遣されておるのかも分からん。テナントもおる。果たして、その会社の中核となる者は誰か?
xxホテルの株が上がったそうだが、飯の味はどうなのか?拙い事になっていないか。XX会議の何周年記念の時は、まだ良かった。しかし、それでも、まあ、庶民が感謝する様なもんじゃない。ケトウの料理を血したたるもんを食う。事情通は云ふ。食うもんが拙い徒。何故か?って。作る人が総入れ替えになりゃ、味も違う。

正社員だけがが働く企業は、きょうび、潰れる。格差と差別を放置しておいて、怨嗟だけが増殖する。これは、日本の戦前の企業よりも酷いものだ。社員同士が、労働法の扱いを巡って、使用側被使用の側で対立がある。利益を出すには、違法をせにゃならんが、違法はまかりならんぞ!と言いながら、違法を放置してる。大宝律令の如し。

資本主義は、究極は、人間の生命を破壊するのだ。強制労働をしたのは、シベリヤだけではない。そういう歴史書が出来る。資本は、利便性の追求手段であって、目的でない。而るに、目的になってしまっているから、資本の横暴に人間は無力になった。
上海の高層ビルは、まともに動いておるのか疑問だ。4,000棟も稼働させる人材が居ないだろうに。表層の現象は見えるが、コンクリートの中で進む脆性破壊は見えない。

有機体でないものは、滅びる。絶対の法則である。再生のプログラムが無いのだから。
xxxxxxxxx 2005-05-19 23:54:36 No.161861
ともかく小泉竹中って悪ぃやっちゃね。
衰退なくして改革なし 2005-05-21 00:56:31 No.162257
「階層の二極化」や「格差の拡大」は社会の要求水準が高くなったために起きたのである。昔は「普通」と評価された能力も、現在では「普通以下」に評価されてしまう。「普通」というハードルが高くなったのだ。

教育によって能力を高める。これが有効な人はいる。しかし、多くの人には無駄ではないが有効でもないだろう。これから松下幸之助が生まれ、二股ソケットを発明しても松下電器は興せない。社会は高度化したのだ。

教育による高度化社会への適応。「階層の二極化」や「格差の拡大」は、それが不可能であることを立証している。個人の能力差が拡大したのではない。社会の維持が困難になるほど個人の優劣が顕在化したのだ。

未来の選択肢はいくつかある。

・戦争や革命で社会をリセットする
・社会の高度化による人間の淘汰を続ける
・社会の高度化そのものを修正する

本当の問題は、誰でもこの程度のことは考えつくことだ。それほど社会は進んでしまった。何を守り何を改革するのか。何を選択しても大変なことは誰もが解っている。解っているから決断できないだけかもしれない。
xxxxxxxxx 2005-05-21 01:41:38 No.162268
小泉竹中の新自由主義政策がこーゆーご世の中をつくっておるます。人為的。
保守を自認するもの 2005-06-04 20:42:25 No.169341
「保守」の名の下で、自分が利害関係を持つ諸集団を「守」りつつ、結局自分一身の利害を「守」ることが最終目的なっている連中はたくさんいるのですよ。これは「保守」ではなく「保身」。


おっと、「言ってはならんこの一言」かな。



私は日本の過去に存在した私の理想(に近いもの)を「守」りたいので、その意味で「保守」を自認しておりますが、「保身」ではありません。


みずからの「保守」が「保身」ではない、といえる人間はどれほどいるんでしょうか?

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