「日本文化チャンネル桜二千人委員会」発足 南京の真実
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日本人が被害にあったという話。

ゾルゲシットルケ 2005-05-09 18:28:22 No.157918
中国、韓国など排日運動の活発な国の活動家が排日材料の集積と歴史に残そう、残しているということは皆様すでにご存知のところであります。
こうした相手の史実には多分に捏造されたものが多いということは諸兄のご提示の資料で明らかであります。
こうした努力によりまして、私たちはわが国を悪意的な意図から守ることが出来るのだと思います。
桜掲示板に資料を提供し愛国のご意見をお聞かせくださいました諸兄に深く御礼申し上げます。
わたくしは、四十代の半ばの年齢です。これは、戦後、わずか十数年の生まれであるという世代となりますが、物心がつき小学校に入学するころには社会は立派に大復興途中でありました。この年齢になりまして、こういったことを思い人生の先輩諸氏のご努力に大感謝の気持ちを抱く毎日であります。私の世代ですと戦争のことで他国にとやかくいわれることは非常に耐え難いことであります。
ここに私が提示したきことは、相手が国家をあげて行っているように日本人も被害にあったという出来事を掲示板上にまとめたらどうかということです。そうすると、弁護と
責任追及ができるように私たちもなれると思います。
日本人もこんなめにあったのだということを後世に伝えないといけないと思います。徐々に歴史は遠ざかっていきます。桜掲示板でそういうことを広く伝えることは有意義だと思うのです。ただ、こうした試みがより一層の愛国心と日本人の団結と幸福に役立つことを願います。
桜運営スタッフの皆様には、当レスが運営趣旨にそぐわないと判断した場合、処分よろしくお願いいたします。
ゾルゲシットルケ 2005-05-10 20:12:41 No.158333
私の父親は徴兵を免れて青春時代を過ごしています。
父の話ですが、志願兵として応募し海軍への入隊が一時決まっていたそうです。ですが、祖父が父が家の跡取りであることと、大家族のたった一人の働き手であることを軍部の方に訴えて入隊を取り下げてもらったそうです。父は学徒動員で某軍事工場で働いておりましたし、そうした関係などから入隊手続きを取り消してもらえたそうなのです。
軍隊経験のある他の人のお話をあと一ついたしたいと思います。子供の頃からとても病弱な人が徴兵で軍隊に入隊したというお話です。その方は入隊後訓練についていけず、発熱して軍事練習に参加できない日も多かったそうです。ただ、お国のために役立ちたいという気持ちは強く、病弱な自分は生きていてもろくなことがないだろうからこの戦争で死のうと決心していたそうです。そんな人でしたが軍隊の人たちはとても、自分に親切だったとこの方は話されました。
途中除隊されて、民間人に戻されるのでありますがその時の将校さんが帰って病気を治してから出直せといったといいます。お国への奉仕は他にもあるがんばってくれともいったともいいました。
わたしはこの人の話も好きであります。
国民総動員の考え方は国民が一致団結し、一人一人が自分のできうることを国家の受難に対し、力添えとなるという考え方です。私の父の妹は軍事工場への爆撃で亡くなっています。終戦間際の出来事だったそうです。戦後、私の家に米を売りに朝鮮人が出入りしていたそうで祖母はそれを買って他の村の人のところに売りに行っていたそうです。こうした行為が
正しいのかどうか知りませんが戦後のヤミ米は朝鮮人
はおおぴらに行ってよかったのです。
ゾルゲシットルケ 2005-05-10 20:30:08 No.158334
ふと、私は何が言いたいのだろうと思います。わたくしたちはその軍隊の実態について史実で知ることができますが、軍隊を実体験した人のお話はとても貴重であります。わたしは、こういったお話も桜掲示板に投稿されること、皆様と共有する歴史として希望します。日本の軍隊というのは血も涙も無かったように伝えられますが、決してそんなことはなかったのです。
軍律は厳しいものだったのでしょうが、弱者へのいたわりというものを置き去りにした組織ではなかったと私は思います。戦中教育にしても、今のゆとり教育より優れていたのではないでしょうか。
こういう教育で育った世代の方が戦後の大復興の屋台骨となって今日の日本があるのですから、このことは忘れてはならないと思うのであります。




ゾルゲシットルケ 2005-05-13 05:11:14 No.159175
スレをたてさせていただいて、いきなり、つまずいている。う〜む。
このスレについては、わたしのお部屋ということで桜掲示板でホームページを持たせていただいたというような感じで、それを光栄に思いつつ、少しずつ歩んでまいることにいたします。

今回は、趣向を懐かしい音楽にいたしました。
わたしはちょこちょこ、聞いたりするのですが、
よろしければどうぞ、一度お立ち寄りくださいませ。

無法松の一生。歌  谷 真酉美

作詩:吉野夫二郎 作曲:古賀政男
昭和33年 ご存知
村田秀雄の十八番の曲でありますが。 
http://norimitsu.cool.ne.jp/uta/muhoumatu.html


皆の衆

作詞 関沢新一  作曲  市川昭介  唄 村田英雄 

http://www5e.biglobe.ne.jp/~anjyu/new_page_374.htm

おやじの歌
ページを下へスクロールさせてごらん下さい懐かしい歌がたくさんあっぷされています。
軍歌もたくさんアップされています。無料ダウンロードのページでございます。
http://www.biwa.ne.jp/~kebuta/Frame/JapaneseTraditionalSongs.htm
ゾルゲシットルケ 2005-05-13 05:32:02 No.159178
おやじの歌ページ利用の仕方

タグの利用は桜掲示板管理規約に使用の禁止とありますので、URLのご紹介にとどめさせていただきます。http://www.biwa.ne.jp/~kebuta/Frame/JapaneseTraditionalSongs.htm
おやじの歌のページは、好きな曲目上で左クリックで
歌詞と曲演奏のページにジャンプします。
ページが開いたら、これをプラウザ右上ボタンで最小にします。桜掲示板にページを戻してもこの場合、音楽は聞き続けられます。
曲目はたくさんございます。軍歌を初めといたしまして演歌とか流行歌もございます。



キン 2005-05-14 13:58:58 No.159661
金完燮『親日派のための弁明』の未翻訳部分

私は生粋の韓国人だ。でも,韓国人というものがあまりにも情けなく,えいっと殺してしまいたいときがある。なぜ日本の蛮行は暴くのに,自分たちの汚い利己心と低劣な鍋根性には目をつぶるのか? 日帝時代,朝鮮に移り住んだ日本人の中には,明らかに立派な人々も多かった。ところが,和夫一家殺害事件のように,韓国人は自分たちの間違いを,日本がやったから俺たちもやったんだというふうに弁明し,事件を矮小化,隠蔽しようと躍起になっている。和夫の亡骸は,釜山に大切に移葬され,毎年,日本人の墓参りが絶えない。以下は,和夫夫婦が死んだ日,ふだん彼から深い恩を受けていた金ソンス君が見聞きしたことを記録した証言だ。事件当時,金ソンス君も加害者だったが,殺害行為には同調しなかったそうだ。
 和夫氏は,日帝時代によく見られた,慶尚道地方の日本人地主だった。地主とはいうものの,和夫の家族は日本政府の朝鮮移住政策にしたがって,乗り気ではなかった朝鮮生活を始めたものだ。公務員だった和夫は,政府の命令にしたがって仕方なく朝鮮へ赴任したのだ。そのころの日本は,一種の軍事独裁体制で,政府の命令に従わなければすぐに売国奴として排斥されそうな雰囲気があったという。

 当時,朝鮮にいた日本人地主のなかには,朝鮮人の小作人たちから,法の規定以上の小作料を取り立てる,怪しからぬ人々もいたが,ふだんから人情味の厚かった和夫は,小作料を収穫全体の十分の一とし,村人たちを家族のようにみなして喜びも悲しみもともにした。自分たちの生活が困らなかったので,総督府の法令にしたがって,やむをえず受け取らなければならない最小限の小作料だけをとったのだった。貧しい小作人が食料がないと泣きつけば,喜んで食べるものを分けてやったし,村で誰かの葬礼があれば,家族総出で駆けつけ,食事の支度はもちろん,自ら慟哭して,悲しみを分かちあうこともあった。このように,和夫は人間への温かい愛情をもった,真の人間だった。
キン 2005-05-14 14:01:55 No.159662
また,和夫は近くに行き場のない孤児がいると,連れ帰って面倒を見ていたが,その数は,一人,二人と増え,四,五年たつといつのまにか私設孤児院規模にまで増えてしまった。けれども,和夫夫婦はこれら孤児たちを家族のように愛し,自ら喜んで彼らの父,母を称した。和夫の家族は,ふだん,このように朝鮮人を愛し,日本軍国主義の簒奪に憤慨するような人々だった。しかし,彼らは,日本の天皇が降伏宣言をした1945年8月15日,自分たちが育てた朝鮮人孤児たちにより,凄惨に殺害されたのだ。

その日,まさに万歳の声とともに,太極旗が波のように風になびきつつ,朝鮮人の世がやって来た。育て,東京帝国大学に留学までさせたAの主導下に,彼の家で教育を受け,育ち,成人した青神は,自分が受けるべき朝鮮人の愛を横取りしたと,和夫君に嫉妬したのか? 彼がわが子のように年たちが,斧と鍬,スコップを手に,和夫のもとに押しかけた。そのとき現場にいた金ソンス君は,次のように証言している。

和夫:(穏やかな目で)なんでこんなことを,子どもたちよ。

A:チョッパリ! 日本へ失せろ,失せちまえ。

和夫:(怒ったような声で)私が,お前たちにどんな間違いをしたというんだ。お前たち,みなが私の息子だ。私はこの家の家長であり,お前たちの親だ。お前たちの祖国が解放されたことは,私もふだんから待ち望んできたことだ。踊りでも踊りたい気分の日に,なんだって凶器をもって私の所に詰めかけたりするんだ。私は決してお前たちをそんなふうに教育したおぼえはない。(涙を流しながら)ほんとうに悲しいことだ。朝鮮の息子たちよ。私が愛を傾け,育ててきた結果は,つまるところ日本人と朝鮮人は融和できないということなのか。お前たちが望むなら,帰ってやるわ。

キン 2005-05-14 14:02:50 No.159663
また,和夫は近くに行き場のない孤児がいると,連れ帰って面倒を見ていたが,その数は,一人,二人と増え,四,五年たつといつのまにか私設孤児院規模にまで増えてしまった。けれども,和夫夫婦はこれら孤児たちを家族のように愛し,自ら喜んで彼らの父,母を称した。和夫の家族は,ふだん,このように朝鮮人を愛し,日本軍国主義の簒奪に憤慨するような人々だった。しかし,彼らは,日本の天皇が降伏宣言をした1945年8月15日,自分たちが育てた朝鮮人孤児たちにより,凄惨に殺害されたのだ。

その日,まさに万歳の声とともに,太極旗が波のように風になびきつつ,朝鮮人の世がやって来た。育て,東京帝国大学に留学までさせたAの主導下に,彼の家で教育を受け,育ち,成人した青神は,自分が受けるべき朝鮮人の愛を横取りしたと,和夫君に嫉妬したのか? 彼がわが子のように年たちが,斧と鍬,スコップを手に,和夫のもとに押しかけた。そのとき現場にいた金ソンス君は,次のように証言している。

和夫:(穏やかな目で)なんでこんなことを,子どもたちよ。

A:チョッパリ! 日本へ失せろ,失せちまえ。

和夫:(怒ったような声で)私が,お前たちにどんな間違いをしたというんだ。お前たち,みなが私の息子だ。私はこの家の家長であり,お前たちの親だ。お前たちの祖国が解放されたことは,私もふだんから待ち望んできたことだ。踊りでも踊りたい気分の日に,なんだって凶器をもって私の所に詰めかけたりするんだ。私は決してお前たちをそんなふうに教育したおぼえはない。(涙を流しながら)ほんとうに悲しいことだ。朝鮮の息子たちよ。私が愛を傾け,育ててきた結果は,つまるところ日本人と朝鮮人は融和できないということなのか。お前たちが望むなら,帰ってやるわ。

キン 2005-05-14 14:04:20 No.159664
A:意味深長な目配せをBに送る(財産をすっかり処分して帰ったら,おれたちはどうやって食っていくんだ?)

B:死ね,チョッパリ,シッパルノマ。

 間髪入れず鍬が,和夫の後頭部に振り下ろされたのと同時に,数多くのスコップと斧が彼の体をずたずたに引き裂きはじめた。このとき,和夫の妻が我慢できずに飛び出してきた。それまで黙っていたCは,和夫の妻を見て,彼女の長い髪をつかみ,庭の奥まったところに引きずっていった。そしてなんと13人がかりで,ほんの一週間前までお母さんとして恭しく仕えていた彼女を,強姦しはじめた。(金ソンス君は,この期に及んで自分が止めに入ったら,自分も殺されただろうと言った)。強姦に耐えられなかった彼女は,行為の途中で死亡し,Dは,ふだんお母さんと呼んでいた彼女の全身を滅多刺しにするだけでは足りず,内臓をひきずり出して,まき散らした。

 和夫には,一人の幼い娘がいた。ふだん模範的でいい子だったヒミコさんは,放課後,家に帰ってきて,両親の身に起こった惨状を見,気が触れてしまった。ヒミコが何日間も慟哭する声に,近隣住民たちは眠れなかったそうだ。その後,孤児になったヒミコは,食べ物を乞おうと,その付近をさまよったが,朝鮮人は誰一人彼女に目もくれず,知らないふりをした。結局,彼女は9日後,村の橋の下でやせ衰えた死体となって発見された。当時,ヒミコは小学校6年生の幼子だった。和夫の財産は,勇猛で愛国心に燃えたつ朝鮮の青年たちの手にそっくり渡り,この事件は村人たちの沈黙の中,しだいに忘れられて行った。
キン 2005-05-14 14:07:22 No.159665
この文章は,ある読者からの手紙にあったものだが,冒頭,韓国人が反省し作成したものと書かれているものの,「和夫君」,「和夫さん」などの日本的な呼び方が混じっており,最後の部分に朝鮮人に対する軽蔑に満ちた文章(削除した)が含まれていたことなどを勘案すれば,韓国語ができる日本人が書いたものではないかと思う。いずれにせよ,この事件について聞いたことがあるという韓国人も多いことを見れば,実際に釜山地方で発生した事件のようであり,また韓国による植民地被害の主張に対する,日本人の対抗論理をかいまみることのできる珍しい例として,決して重みが失われない文だといえよう。

 振り返って考えてみれば,日本の敗戦後朝鮮半島では,このような殺害劇がたくさん発生しただろうと思われる。日本の無条件降伏以後,北韓地域にはソ連軍がすばやく進駐し,軍政を敷いたが,南韓に米軍が上陸したのは9月中旬だった。したがって,約1カ月程度,南韓地域には無政府状態が続いた期間があった。韓半島には,さまざまな理由で日本人とそれに加担した者たちに恨みを抱く朝鮮人たちが多かったろうし,彼らは日本人を殺し,財産を強奪し,日本女性を強姦しただろうと思われる。

 そして,朝鮮人たちが8月15日,日本の降伏を喜んだいちばん大きな理由は,おそらく,日本の一部として敗戦国の暗澹たる未来をともにするのが嫌だったためではなかろうか。日本統治の最後の期間,特に大東亜戦争が始まった,最後の4年間は,日本人はもちろん,日本の統治を受けていた地域の住民たちも,大きな苦痛に見舞われた時期だ。それゆえ,朝鮮人たちにとって8月15日は,忌まわしい戦争の苦痛から脱することのできたという点で,また日本人たちを殺し,財産を奪える機会が与えられたという点で,とても喜ばしいことだっただろう。

キン 2005-05-14 14:09:19 No.159666
問題は,韓国社会において,朝鮮人によってほしいままにされたこのような虐殺と残酷な行為はまったく知られておらず,また調査されたこともなく,われわれが受けた被害だけは,繰り返し強調されているという点だ。そして日帝統治の期間に受けたとされる被害なるものも,事実よりずっと膨らまされているだろうことは,容易に想像がつく。

朝鮮は日本の統治を受け,未開な農業社会から短期間に資本主義工業国へ発展し,高い生活水準を享受してきた。しかし,日本が戦争に負けるやいなや,素知らぬ顔で,まるで自分たちが戦勝国にでもなったかのごとく,日本を呪詛し,彼らの財産を奪い,虐殺した行為は,明らかに人倫に悖る犯罪行為にほかならない。このようにして日本人をすべて追放したあと,南韓国と北韓国の政府は,強奪した日本人の土地と工場を「敵産」と呼び,堂々と山分けした。

もし日本が戦争で勝利したり,少なくとも領土を保全され,休戦にでもなったなら,はたして朝鮮人たちはこのように振る舞えただろうか。おそらく,前よりもっと自発的に日本人であることを主張しつつ,忠誠を尽くしただろう。ところが,戦争に負け,くっついていても別にいいことがないと判断した瞬間,彼らは態度を急変させ,日本に仇として接し始めたのだ。
ゾルゲシットルケ 2005-05-14 15:44:15 No.159694
キン様

貴重な資料提供ありがとうございます。
わたくしがこのスレを立てさせていただいて以来、軽率なあらし行為など、皆無だったことに対し実に気分良くしていたと、皆様にまずは感想を述べさせていただきます。このスレは日本人被害ということを中心的資料におきまして戦争と民族同士のいろんな問題について論じていこうというものでありますが、わたくしとしましては日本人が犯したという戦争の罪科の真偽を正すこと以上に人間の心情を好戦的にしてしまうではないかという不安を感じておりました。
わたくしのここでの趣旨は、すでに述べさせていただきましたが日本人が戦争の被害について知ることは大切なことであるということであります。
単純に他国人の加害行為について知る、資料をまとめるということもありますが戦争というものを知る、あるいは不幸な時代を知るという点で大切な教訓があるはずであるという考えからであります。
提示された資料に人それぞれの感想というものがあるわけですが、そこのところについてはわたくしには責任の持てるところではなく、それが桜掲示板の読者諸氏に害毒となるとしたら、責任の持てない事はすべきことではないと言えるのではないかと思考します。
なんらかの問題点を感じつつそれを明白に示せないのはわたしの不勉強なところであります。
ただ、歴史というものに真摯な立場を持ちつつ、すべての事柄がさらなる社会の前進に貢献することを願いたいと思います。続く

ゾルゲシットルケ 2005-05-14 16:09:11 No.159700
日本人もいろいろな戦争被害というものに遭遇したということは事実であり、大なり小なりの被害体験というもが当時の日本人にはあるものでありましょう。
ですが、わたしの考える所によりますと、実に不思議なことに日本人は被害というものについて、大抵の場合において雄弁に語りたがらない民族のようであります。これは別のところで考えなければならないと思いますが簡単にいいますと特殊な美徳があるように感じられます。キン様ご提示の歴史についても、今の多くの日本人は知らなかったという人がほとんどであろうと思います。日本人は加害者としての歴史に詳しく、被害者としての歴史には疎いという、どういうわけなのかそういう歴史の認識者になっているという現状があるように思います。歴史というもは、史実からいろいろなことが学べるわけでありますが、民族の性質やその精神構造なども知ることができるようであります。
ゾルゲシットルケ 2005-05-14 16:36:39 No.159707
こういった日本人の被害者意識を強く持たないという
特質は戦中戦後日本人は特に、その傾向が強かったのではないでしょうか。もし、被害者意識を強く残すという国民性であれば他国にあるように戦争被害の自国民被害の記録についてもっと、詳しい人がたくさんいるはずだと私は思考します。この民族性について知る
には他に研究なり知識が必要であろうと思います。
さて、キン様ご提示の資料についてでありますが、金完燮『親日派のための弁明』は桜チャンネルの無料視聴ビデオコーナーに先日の訪日公演ビデオとしまして、一般に広く公開されていますね。
時間の関係でわたしはまだ一部しか拝見させていただいていませんが、投稿を読ませていただいてあとも、続けて見てみたいと強く思いました。
民放のつまらない娯楽番組を見る時間があればこういうものをわたしたちは歴史の勉学のためによく見ておく必要があることを感じました。
キン様におかれましては貴重なお時間なか多大に資料提供いただきまして、大変ありがとうございました。
当時敗戦国となった本土も大変な混乱があったようですが、植民地領土開放時には予想以上の混乱があったこと、そこで悲劇があったことを知ることが出来ました。わたしたち日本人は亡くなられた方々のご冥福を
心より祈りつつ、その歴史を忘れてはいけないということを思います。それは、復讐という愚かな決意ではなく、いろんな意味での歴史的教訓として受け継いでいかなければならないと思いました。
ゾルゲシットルケ 2005-06-02 19:00:07 No.168138
同じ趣旨のスレが乱立しているわけで、大変失礼しています。しかしながら、せっかく投稿いただいておりますので
眠らせておくのも、スレ主といたしまして無責任でありますのでさらに投稿を続けさせていただきます。
わたくしといたしましては、同様のスレがある中、いろいろなスレを拝見させていただきながら、桜掲示板に参加させていただく意義をよく考えながらこのスレを育てつつ、マナ場させていただこうと思考いたします。
稚文、愚説について諸兄のご意見たまわりますれば、わたくしとしましても幸いでございます。

さて、犯罪の増加などとオレオレ詐欺に見られますように、犯罪自体の手口も変わってきております。
各市町村における犯罪への取り組みは、未成年者への保護活動を中心にかっての治安安定国家をめざして、今後より一層取り組んでいかなければならない課題であります。
そこで、このスレッドでは、犯罪の防止策ということについても考えていこうと思います。
犯罪の手口などからしましても、外国人犯罪などは複数犯の共同行為として犯罪が行われており、これは、従来の日本人の犯罪行為とは異質の犯罪であります。
また、先日のニュースによりますと農場トラクターなどがねらわれているとか。三十年前は古い印刷機でありますとか工業機械の窃盗団が現れておりました。
まさに、どこぞかの国で必要となれば日本で盗めばよいという風潮が世界にはあるのであります。
こんなもの誰が盗むだろうというものでも盗んでいくのであります。さらに、天才的にして餓鬼的物欲を持った犯罪者がわが国で多数たむろしているという状況です。
実態として、犯罪自体変化してきておりますので、犯罪発生率を低下させるとともに被害を未然に防ぐ努力と注意が
民間においても非常に大事なことであると思います。
このスレではそういう投稿もしていきたく思いますので皆様よろしくご教示ください。
ゾルゲシットルケ 2005-06-03 20:32:18 No.168777
著者の趙甲済氏は韓国の新聞記者であった)1970年代、釜山で警察詰めの記者生活を送りながら、私は、シャブ(覚せい剤)がもたらす途方もない利ザヤに目がくらみ、灯火に飛び込んでくる虫のように密造・密輸に群がる数多くの犯罪者たちと出会い、興味を抱くようになった。そして、日本の組織暴力団が背後勢力としてからみ、国際的な規模と機動性をもったシャブ犯罪の取材に興味をもちながら取り組んでみて、初めて問題の深刻さに気づかされた。

私は1984年1月、シャブ問題を取材するため日本へ出向いた。当時、日本で流れているシャブの大部分は韓国から密輸入されたものだった。日本の警察はシャブ犯罪を最大の社会問題として考え、その対策に総力を傾けていた。わずか数十名の専従員をもって、数千人のシャブ犯罪者たちを追いながら、泥沼にはまりこみ、犯罪者たちの誘惑に乗ってもがき苦しんだりしている韓国の捜査の実情はあまりにも安易だった。当時、韓国の政府やマスコミは、シャブ問題を「対岸の火事」を見物するように見ていた。数百万人にものぼる日本の常習者たちが常用しているのは、ほとんど韓国で作られたシャブだったが、韓国では、常用者が少なく、日本への密輸出で多額の外貨を稼いでいるのではないかという安堵感が広がっていた。当時の韓国のシャブ対策はあまりにも心もとなかったのである。シャブ事件の被告人の弁護を担当して「シャブ密造者は外貨を稼いでくる愛国者だ」と語る弁護士さえもいた時代である。
(中略)
ゾルゲシットルケ 2005-06-03 20:34:04 No.168778
70年代の韓国社会でシャブ密造・密売が巨大な"犯罪産業"に成長した背景は何だったのか?(中略)次にシャブ犯罪に対する「罪の意識の欠如」をあげざるを得ない。70年代、釜山で社会部記者としての生活を送った筆者は、こんな話を大真面目に語る警察官や公務員と多く出会った。
「率直に話そう。ヒロポンの密輸がなぜ悪いのか?日本の奴らに目いっぱいヒロポンを送りつけ、奴らみんなヒロポン漬けにすれば胸の内がスッキリするではないか」
「密輸といえば、密輸入を思い浮かべるのがわれわれの実情だ。だから、われわれも密輸出できるものをもっていれば自慢すべきことになるではないか。ハハハ。ヒロポンだって密輸出して貿易の不均衡を改めなければ」
「ヒロポン製造者愛国者論」を展開する弁護士の例をあげるまでもなく、こうした考えをもった人々が当時相当いたことは否めない事実である。日本人が50〜60年代、対馬を対韓密輸基地として幇助・育成したことを思い起こせば、また、その対韓密輸のもとで育まれた韓国の密輸組織が、今度は逆に日本に向かってシャブをまき散らすようになった「ブーメラン現象」を確認するなら、そのことを内心、小気味よく感じる人々が現れもしよう。シャブ犯罪に対するこうした「民族感情」が犯罪者と捜査官の行動に相当な影響を及ぼした可能性がある。この「民族感情」は、シャブ犯罪者を庇護する人々の罪悪感を薄れやすくし、取り締まり自体をを緩慢にさせる要因にもなっているからだ。
(中略)
ゾルゲシットルケ 2005-06-03 20:34:59 No.168779
コリアン・コネクションの根本を掘り起こすのも今回の取材の重要な目標だった。田村研究員の背景説明はかなり説得力があった。すなわち、第一次シャブ乱用時代に、在日韓国人が数多く関係したという事実である。1954年のケースをみれば、検挙されたシャブ事犯のうち、韓国人は14%(在日韓国人は日本の人口の0.5%)だった。密造犯のなかでは55%、密売犯のなかでは21%が韓国人だった。鄭銀宗ら多くの韓国人密造技術者たちが韓国に逃げ出し、密造技術を広めた史実は第一章で述べたとおりである。暴力団の世界にも韓国人は多い。民族差別の問題を刺激するおそれがあるため、詳しいことは書き控えるが(中略)彼らは親戚のある韓国によく行き来することができ、シャブの密輸ルートを構築するのに有利な立場にいたというのが田村研究員の説明だった。


北朝鮮の国家犯罪である日本人拉致や覚せい剤によって引き起こされ社会不安・人格破壊はテロ行為である。
ゾルゲシットルケ 2005-06-03 20:53:01 No.168789
前頁No.168777〜No.168779までの記事は下記ホームページ
より引用拝借しました。



http://didisama.tripod.com/didi/index.html
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