「日本文化チャンネル桜二千人委員会」発足 南京の真実
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江戸時代について語ろう

山桜 2004-03-09 22:01:36 No.16364
日本の歴史の中でも、江戸時代は、しばしば注目されることが多い。これは、江戸時代が明治維新に直接先行する時代だからであろう。

「維新」によって始められた日本の「近代化」ないし「西欧化」を可能にした条件は、江戸時代の中でどのように形成されていたのであろうか。「江戸」の知られざる側面をご紹介ください。

他方、「明治近代」は「江戸封建」を打ち倒すことで成立した側面をもつ。その意味で、「佐幕派」は、新撰組も奥羽越列藩同盟も、歴史の歯車を逆転させる「保守」「反動」として、進歩史観から軽視ないし無視されてきた経緯がある。だが日本の文化伝統の復興、保守を願うものにとり、「江戸」の重みは「明治」に劣らず大きいともいえる。

いや、「明治」は「江戸」の嫡出子なのであろうか?
  山 桜 2004-03-16 21:32:06 No.17279
「何おか言わんや」では、全く、「何をかいわんや」ですね。お恥ずかしい。
Minerva梟 2004-03-16 22:23:12 No.17288
ここで,ゆうさまのコメントに感想を述べるタイミングが来たようです。

ゆうさまのコメントとは,

ゆう 2004-03-13 04:28:03  No.16831
明治新政府が武士階級を完全に壊滅させてしまった背景に
長州征伐を初めとする各戦いに大村益次郎率いる百姓軍に幕府軍が敗北してしまったことが原因だと思うのです。


なぜ,武士が百姓兵に敗れたのか。
一つの極端な回答例として私見を述べたい。
これは,『西洋かぶれ』の『江戸武士道』に対する勝利であった。
西洋かぶれの大先達,蘭学医,村田蔵六は近代兵法を独修していた。

さらに、維新戦争(1867年)に先立つ数年前,薩摩も長州も西洋と戦い(薩英戦争1863年,四国艦隊下関襲撃1864年),こてんぱんに惨敗していた。
江戸時代式武士道では戦に勝てないことを知った西方雄藩は,西洋かぶれの兵制改革を行っていた(奇兵隊など)。

もっとも近代化されていた佐賀藩の兵器を例にとると,それは,アームストロング砲やスペンセル銃であった。
彰義隊はアームストロング(12インチ)砲により潰滅した。
アームストロング(12インチ)砲は,後の三笠搭載の砲と同系列である。

奥羽鎮撫の救援隊,佐賀隊約9百名の装備は後込スペンセル銃,特に精兵にはスペンセル七連発銃(当時の最新兵器),弾丸は円錐弾で,丸玉より長距離を直進,命中精度が高い。しかも,弾丸の装填時間が短い。
近代式教練による歩兵の一糸乱れぬ斉射とあいまって,火繩銃装備,弾丸は丸玉の東北の諸藩の江戸式武士道は敗れたのである。
村田蔵六については,小生の熱き想いを,以前,別スレッドに書いたのでここでは省略する。

ここで,東北諸藩を軽んずる意思のないことをお断りする。小生の曾祖父も東北の田舎の藩の藩士であり,戦を生きのびた。

江戸武士道は精神修養に傾くきらいがあり,戦場での生き残りを目指す実利的戦国武士道ではない。事前に敵味方の火力の計量的比較なぞ頭にない発想なのだ。
ちょうど,帝国陸軍が明治38年に制定した歩兵銃をもって,米軍の小火器の事前研究もせずに開戦したのが,江戸武士道(精神修養主義)であったように。

戦国武士道は功利的であり,計算高く,彼我の火力の研究も盛んで,あっと言う間に火繩銃(当時の新兵器)が全国に広まったのとは対照的である。
以上
紳士日記 2004-03-16 22:38:18 No.17289
山桜様

>>歴史の進歩に加担したものが「善玉」で、その歯車をとどめたものは「反動」であるという「進歩史観」では、もはや、歴史の豊穣さから何かを掬い取る可能性は少ないと考えるからです。

>この言葉に心からの賛同を致します。私も「戦後」生まれの「戦後教育」育ちですので、ここに陥らぬよう気をつけたいと思います。

 今一度、頭から皆さまのレスを読み返しました。読むだけでも一苦労なのに、力作が多く大変でした(笑)。何度か読むうちに、山桜さんとMinerva梟さんの遣り取りが、少し見えてきました。その上で、山桜さんの

『それは貴殿(Minerva梟さん)が未来志向的「政策論」の傾きにあるに拘わらず、小生(山桜さん)がどちらかと言えば「過去」に重心を置いているという「スレ違い?」によろうかとも考えられます。』

 に思わず微笑んでしまいました。同時に、数ヶ月前、山桜さんやMinerva梟さんと意見しあった「日米同盟」の議論が思い浮かびました。私も、まず“現在の政策(状況)ありき”と言う意味で、やはりMinerva梟さんに近いのだろうと感じました。

 その上で、山桜さんの「奥羽越列藩同盟」を読み、ようやく以前の“問い”の真の意味が理解できたような気がしています。以前の問いとは、言うまでもなく、“保守と日米同盟について”の問いです。

 もちろん、今でも答えは出ておりません。ところで、私はこの問いを、「靖国の英霊は日米同盟をどう考えるのか」と読み替え、折に触れて考えてきました。いずれ、山桜さんとこの話をしてみたいと願っています。
紳士日記 2004-03-16 22:39:24 No.17290
Minerva梟様

 ここまでの貴方の論旨の大筋に賛同、共感しております。何より、上記に書いて通り、現代政治を軸とし、ぶれない貴方の姿勢を尊敬しております。その上で、ぜひ、お聞きしたい設問があります。
 
>>村田蔵六に結実する蘭学の系譜

>村田蔵六は医者であり、私は医学が蘭学をもたらすきっかけであったと思っています。前野良沢、高野長英、林子平、こうした江戸の開明派(怒られそうな用法ですね)はすべて医者です。

 もちろん、これは医学がその性質上、「鎖国(輸入制限)」を逃れたということもあるでしょう。そして、維新から昭和(戦前)を考えても、医学の最先端が科学を発展させ、それは様々な技術、もちろん軍事的なものも含み、国家利益に結実してきました(アンモニアから爆薬など、あるいはビタミンによる脚気治療など)。

 昨今の生命倫理に関わる、技術を国家として行うべきかどうか、Minerva梟さんはどうお考えになりますか。

 例えるなら、遺伝子治療などは、生命倫理を犯しますが、巨万の富と医療の可能性を秘めているとも思います。

 日本やアメリカが人間の倫理を重視し、これらの政策を国家的に抑制しようとも、これに踏み込む国は後を絶たないでしょう、そして、その医療が必要な人間はそこへ行き、治療をするでしょう。

 一体、日本はどちらの道をとるのが正しいのでしょうか。このような「自分自身が解を持たぬ問い」を発するのは失礼なことは承知ですが、一言頂ければ幸いです。

 また、あまりにもスレッドと関係のない質問であることを、山桜さん、皆さまにお詫び申し上げます。
紳士日記 2004-03-16 22:41:58 No.17291
青葉の笛様

 初めまして、過分なお褒めの言葉、恐縮です。「進歩史観」にも「西欧史観」にも囚われない非常に興味深い内容でした。私は個人的にこういう斬新な考え方が大好きです。

 同時に、君主制と共和制の問題が頭を過ぎりました。つまり、世襲的指導者階級と、選抜式(?)指導者階級とも言える問題です。

 そして、これはMinerva梟さんもおっしゃっていたと感じますが、腐敗しない、或いは腐敗速度が遅い世襲的指導者階級、つまり武士の問題です。

 私見を述べれば、天皇は腐敗しない権威に最も近い存在であると思います。「武士とは何ぞや?」「それを支えた理念(武士道)とは何ぞや?」そして、騎士と騎士道との比較。疑問はつきませんが、己の知識の限界に歯痒いばかりです。

 今後も、どうか宜しくお願いします(ちなみに、他掲示板とはどこか聞いても差し支えませんか)。
追記:Minerva梟 2004-03-16 23:07:17 No.17292
皆さんもすでにお読みと思いますが、別のスレッド

愛国心を求めるなら、「日本の景観」について考えよ。 士魂

は、すばらしい。

緑深き人口百万都市、江戸の景観に、当時の外国人は驚嘆したそうです。
その美しいガーデン・シティを失ってしまったわれわれの近代化とは何だったのだろうか。
今からでも、取り戻せるものは取り戻さなければならないと思います。
ふらくたる 2004-03-16 23:24:14 No.17293
・・はい、私もあのスレッドは気になってました。
興味あるテーマなので論が熟してから参加しようと思って
いたのですが、書き込みが少ないですね。
  山 桜 2004-03-16 23:42:27 No.17295

奥羽越列藩同盟のなかに薩長藩閥政治打倒を目指し、列藩同盟の志を天下に初めて知らしめた人物がいる。旧南部藩士の末裔の原敬である。南部藩が武装解除で引き渡した銃器は、砲323門、小銃1万400挺というから戦争参加者もかなりの数に上るのだが、その南部を率いた人物、楢山佐渡が反逆罪で逮捕、処刑されることになった。佐渡の刑執行のとき、原は15にも満たない少年だったから、実際に彼がその処刑の現場で(盛岡郊外の報恩寺)場面を目撃していたか否かは知らない。だが、彼はその無念さを生涯忘れなかった。

盛岡に「原敬記念館」がある。そこに一幅の書がある。それは、原が、大正六年九月、政友会総裁として報恩寺で挙行された「戊辰戦争殉難者五十年祭」に出席したときの一文と俳句である。

盛岡にて戊辰戦争殉難者の五十年際を営みける時祭文に求められ、余は戊辰戦争は政見の異同のみ、誰か朝廷に弓を引く者あらんやと云ひて、その冤(ぬれぎぬ)を雪げり。
    焚く香の烟のみたれやあきのかぜ  一山

「一山」とは、薩長政府顕官の言葉であろう「白川以北は、ひとやま百文」という侮蔑を自らの俳号にした原敬の「ビショウ」である。五十年祭の日、原敬は、南部藩主南部利淳に続いて祭壇に進み、名高い上記の祭文を堂々と読み上げた。翌日の岩手日報は、「南部二十万石の名声天下に普かりし旧南部藩が、決然義の為に佐幕して、眼に余る大軍を引き受け、南部藩士の腕の続く限り戦ったが、遂に利あらず、勝てば官軍、負くれば賊軍の汚名を被せられ、遂に千秋の恨みを呑んで報恩寺の一間に割腹した楢山佐渡を筆頭に、各所で戦った勇士の英霊、今は来り集いてこの仏前に在るであろう」と、英霊たちを称えたという。
Minerva梟 2004-03-17 07:11:31 No.17329
紳士日記様

紳士日記様から提起されたご質問に答えることができません。
遺伝子と医療の問題について,ただ,とりとめのない感想を述べるだけで,お許しください。

まず,二つの問いを発してみたい。
1)生物の進化には予定された方向があるのか。
  進化には,宇宙的意志が働いているのか。
2)優生学的立場から見て,医療は必要か。
  そもそも優生学的発想は許されるのか。

まず,最初の問いについて。
生物の発生以来,少なくとも2回,地球は大カタストロフィに襲われ,地球上の生物は絶滅に瀕しています。
最初が,古生代の終わり,アンモナイトの消滅であり,次が中生代の終わり,恐竜の絶滅です。
恐竜の終わりをもたらしたものは,イリジュウムを含む大隕石(あてずっぽうに言って小豆島くらいの大きさ?)の衝突によるとの学説が有力だと聞きました。
アンモナイトの方はなぜ絶滅したのか原因がつかめていないと思います。恐竜と同じ原因なのでしょう。
アンモナイトの化石を追っかけて行くと,種がだんだん大型化していき,完成度の高い形に達した後,次第に渦巻きに乱れが生じ,正常ではない形のものが増えた後,滅んだという説を読んだ記憶があります。
もし,ある生物種が進化の極大点に達した後,外部要因によらず,進化のさらなる過程の結果,内部的要員で自滅していくのだとすれば,進化とは何であろうか。
文明の進化過程にも同様の疑問がありますが。

現在,生物学界では進化を巡って哲学的な対立があるやに聞いています。
一つは,遺伝子の転写(トランスレーション)の過程で,エラーが発生し,突然変異が起こり,変異したもののうち,環境に適合したものだけが生き残り,新種となって繁栄する。これが進化であり,進化とは完全な偶然の産物に過ぎない。これが一つの立場。

他方,擬態の見事さなどを見ていると,進化を単なる偶然の積み重ねと割り切る事はできず,進化の背後に,宇宙意志の様なものが作用しているとしか思えないとする,やや神憑りな学説もあるようです。

仮に,進化の背後に我々の感知し得ない意志が働いているとして,その意志は,遊びで新種を地球上に生み出し続けているのか。それとも,ある目的をもって,そこへ向けて進化のドラマが展開しているのか。

これ以上,この問題を考えて
2004-03-17 07:12:34 No.17330
これ以上,この問題を考えていくと,科学ではなく宗教的な話になってしまいます。
僕は,神話学は好きですが,宗教は得意ではありません。
ただし,国際政治における謀略の道具としての宗教には,非常に興味がありますが。(爆笑)

さて,ご質問の遺伝子治療について考えましょう。
もし,進化の背後に意図があり,その意図が目的性(方向性)を持っていると確信できるなら,人間が遺伝子を触ることは自然の摂理にたいする冒涜になります。
しかし,偶然の積み重ねが進化であるなら,極めて限定された範囲で,個人の不幸(病気)を救うために,遺伝子を操作して治療を行うことが許される(?)。
答えは見えてきませんね。

次に,第2の設問に移ります。
医療は,どの程度必要なのか。
ナチズムの世界観に立つと,
『忌まわしき砂漠の宗教(ユダヤ教,キリスト教,イスラム教)が規定している「唯一つ神」なんてものは,存在しない。
宇宙は,神々の遊び場である。八百よろずの神々が遊んでいる。(ヒンドゥー教でいうリーラ)
その中で,人類は進化の過程にある。言い換えると,人類という生物種は,未だ不完全な状態にあるが,さらなる完成型へ向かって進化の途上にある。
その途上で,一番先頭をきって完成型に近づいているのがアーリア人種である。
一層の人種としての進化を推進するには,過度の医療を避けなければならない。
もし,弱者をできるだけ多く残そうとすると,自然界の掟に反し,その人種全体が劣化してしまう。
自然淘汰の原則が機能する範囲に,医療の努力を限定すべきである。』
この見解(Social Darwinism)は,非人道的であり,現代人の感覚では許しがたい。
しかし,遺伝子治療と,ナチスの優生学的発想は,密接に関連しております。これ以上の深入りは,小生の手に余ります。

医療が目指す究極の目標の一つに『老
2004-03-17 07:13:27 No.17331
医療が目指す究極の目標の一つに『老化からの解放』が,あります。
もし,遺伝子改造の結果,人類が若さを保ったまま千年生きられるSF的な世界が到来したら,世の中はどうなるでしょうか。若々しい秀吉公も家康公もご存命の世の中です。(爆笑)
冗談はともかく,メフィストフェレス殿と契約を結び,七〇歳の叡知と知識を持ちつつ,二〇歳の肉体を得たファウスト博士は,やりたい放題やりまくり,真の自我実現を達成していきます。
小生,現世指向の人間であるので,DNA操作というメフィストフェレスが,もし若い肉体を与えてくれるなら,もう一度,下界に降り立ち,やりたい放題やりまくりたいと夢想してます。

非常に深刻な問題提起に対し,最後は不謹慎な冗談(実は本音)で締めくくることをお許しください。
ククロウ拝
  2004-03-17 07:57:41 No.17333
医療の話題ですので私もひとつ。
米国では胎児の段階で脊椎が二又に分かれる原因不明の
奇形が二千人に一人の割合で発生するようになったとの
ことです。もちろんそのまま出産すれば半身不随等の
身体的な大障害を被ることとなるため、危険はあれども
産前に母体内で除去手術を行うことで五体満足の子供に
することができるということです。(ただし腰や尻に
大きな手術痕を残す)しかしそういった情報はしっかり
と記録され、米国で流行しつつある遺伝子差別の的に
なる事はあきらかであり、さらにその子供が成人し
子供を設けたときに五体満足で生まれる保証などどこ
にもありません。あるいは産前手術による奇形の解消が
一般化しないとも言い切れず、ただでさえ危険を伴う
人間の出産という難事がさらに危険性が上がりなお
難しくなっていく。奇形を回避する術を持ち、自分の子が
奇形であるとわかったなら…どちらにせよ生きて、可能性
に挑戦していかねばならないのが人間です。引き返せない
楔をたくさん打ち付けて今まで生き延びた人類文明で
あります。きっとこれからも引き返せない楔を打ち続け
なければならないでしょう。楔を打ち込む手が止まり、
人類の挑戦が終ったとき歴史と文明が終り滅びるものと
思います。長くなりましたが、今現在も食品や医薬等
相当に人の手が入り込み、常に益得の陰の害毒に気付かぬ
まま運用し続けなければならない時代にあっては
良し悪しもなくひたすらに挑戦という名の鑿と槌を
振るい、引き返せない楔を打ち続けていくしかないものと
思います。

以上。
  山 桜 2004-03-17 11:16:31 No.17356
「江戸時代について語る」はずが、明治維新、昭和史と降り、未来医療の話になってしまっている。

どうやら「スレ主」の鼎の軽重が問われているのだろう。議論というのは脱線するほど面白いなどということも言えなくはあるまいが、折角のご議論がこんなスレッドに埋もれているのに気づかぬ方も居られると思うともったいない気がする。

すでに小生は「スレ主」ではないが、元「スレ主」としての見地に立てば、新規のスレッドで語り合うほうが、お読みくださる方のためにもいいのではないかと思います。


M・梟殿、ご尽力方、お願いします。
あきのり・T 2004-03-17 11:29:15 No.17357
山 桜さま

 江戸を語る時に、科学(特に医学)そして未来に話がそれるのは自然な感じもいたします。
 江戸は中世でなく近世といわれます。
日本人のいい意味での科学精神が、中世的な悪い意味での旧勢力の支配を脱却したのが江戸であると思えます。

 世俗の武家政権が、仏教界や古代朝廷の権威また諸大名を押さえ込んだ良い面もあったのではないでしょうか?

 私は幕臣の末ですが…。
奥羽越列藩同盟のお話ありがとうございます。
Minerva梟 2004-03-17 11:33:29 No.17359
仰せごもっとも。
まことに申し訳なし。
訂正:Minerva梟 2004-03-17 15:13:02 No.17386
山桜様
仰せごもっとも。
まことに申し訳なし。
『江戸時代について語ろう』という本スレッドの趣旨を基軸に投稿を続ける所存。
請うご容赦。
  山 桜 2004-03-17 19:13:35 No.17406
  Minerva梟 殿

くどいお願いをお聞き入れ頂き感謝しています。
貴殿に接するとなぜか愉快になれるのは、こうした「大らかさ」のためであり、それにより漂ってくる名状し難い「爽快感」のためであります。

人は言葉を聞いて信じるのではありません。
貴殿の議論のどこかに、仮に粗雑な部分があったとしても、貴論に承服する人間は少なくないと思います。
ひとは、古来、これを「人徳」と呼んだのでしょう。

がっぷりの四つ相撲に相応しいテーマの出現を期待しています。
夕雲 2004-03-17 20:31:54 No.17412
山桜さま

お初に御意得ます、スレ主殿のお人柄に惹かれ立ち寄りました、Mineruva梟氏を「人徳」と呼ぶはさもありなんと納得いたす部分が多く、要するにお二方ともに
ほのぼのとした暖かさがこのスレの魅力です、岬に揺れる赤提灯のようなほっとする、いやこれは失礼。

江戸の武士道はどこを通って平成の我らに到達いたすのか、明治天皇は乃木希典を寵愛なされた、世に有能な人材は多い、しかしながら「有徳」なる人材は得難く乃木はまさにこの有徳なる人材であるとことのほか
実直一筋の乃木にお目をかけられた。
皇孫の教育は乃木にと委ねられ学習院の院長になされた大帝の御心は、まさに的確に人を見抜いておられました。乃木は国家を愛し、天皇を敬愛し、帝国陸軍を愛しました。乃木の武士道は激しく純粋を貫くものでした、帝国陸軍を尊ぶのはそれが尊いからではなく自らの命を捨てることで尊いものになすとの決意は静謐な武士道の極みでありました。
昭和天皇もことあるごとに乃木の名を挙げられ自らの道徳的な範となされた由。

話は変わるが、報道では千人を超える中国人の不法入国を斡旋した日本語学校の経営者が逮捕されたの報。
福岡の四人殺しの中国人留学生事件が、もしも反対に中国で日本人留学生により引き起こされていたならば、反日暴動どころでは済まぬであろう、一方的な戦争になる可能性すら秘めた、日本国のこの情けなき地位低下を明治の先人たちはいかに思われ平成の世を見ておられるのだろうか。

小生は江戸から明治、昭和へと続いた日本人の心を信じます、先の戦争は負けたが悔やんではいないのです。ああなるから、こうなるなどは小賢しきことよ、
止むに止まれぬ大和魂ではござらぬか。

突然のスレ参加で失礼をいたしました、山桜さま、梟さま、それにお見かけいたした、紳士同盟殿、にあきのり殿、みなさまに感じるはほのぼの暖かき人徳でございます、以後よろしくお願い申します。
  山 桜 2004-03-17 21:29:17 No.17421
 あきのり・T 様

>江戸は中世でなく近世といわれます。

気にかけながら、小生は「江戸封建」「明治近代」という表現をつかって参りました。貴殿のご指摘を機会に「時代区分」の問題に触れてみたいと存じます。

ご承知のとおり、明治に西洋史学が入ってから、日本でも「古代・中世・近代」という「三分方」が一般化しました。これはマルクス主義の「発展段階説」における「古代=奴隷制」「中世=封建制」「近代=資本制}という見方に呼応し、戦後しばらく、この発展法則を証明するための倒錯した努力が歴史学研究会の学者を中心に流行したわけです。しかしその系統の学者の間でも、今は「三分法」ではなく「四分法」になっています。つまり「古代」「中世」のつぎに「近世」をいれなければ説明がつかないのです。ですから学会でも近世部会があるのは日本だけです。

この「三分法」はルネサンスの時代に生まれたといわれます。それは、これから始まる新しい時代が「近代」で、その前のキリスト教が支配した時代の「中世」は暗黒時代というわけで、それ以前にある、肯定的に評価され、現在につながる時代を「古代」としたわけです。

ルネサンスとは、古代ギリシャ、ローマの古典文化の復興ですが、これを日本の明治維新に適用しますと、これがまた見事に当てはまるのです。明治維新は、古代の天皇親政に帰ろうとする王政復古の側面が色濃くあるのですが、鎌倉から江戸までの武家の時代は、天皇の権力を武家が奪った時代という意味で暗黒時代で、明治維新から始まる天皇親政は「近代」であるという考え方です。この「三分法」はなかなか説得性があります。こうしたわけで、鎌倉から江戸までの時代を「中世」つまり「feudalism」とよぶ慣行が続いたと思われます。事実、江戸時代の学者も江戸時代を「封建の世」とよんでいたようです。しかし、これも実際は、西欧史の中世の封建制度とは関係なく、当時理想の時代とされた中国の周の時代の封建制に擬えたものと考えられます。無論、ここでいう「封建制」とは、中央集権に対する地方分権というような意味であります。

しかし、日本の場合、武家の支配した時代をひとつの「中世」という概念でくくることは、困難であります。(続)
  山 桜 2004-03-17 21:48:06 No.17427
  夕雲 殿

ご激励有難うございます。煽てられれば豚も木に登ると申しますが、ご過賞に溺れず、地道に微力を尽くす所存です。「乃木希典」にご言及されましたね。小生も一度触れてみたいテーマです。福田和也が「諸君」で、児玉源太郎との比較でつぎのように語った言葉が耳にのこります。

「有能であること、賢明であることだけが、人を尊敬する理由になってしまったのは、私たちが合理的になったということだけではないだろう。むしろ、それは、いかに視野が狭くなったかを示しているように思われる。」

再度のご投稿を望みたいと存じます。
紳士日記 2004-03-17 22:42:52 No.17437
山桜様 Minerva梟様

 医療の話題は失礼致しました。現在の政策論に関しては、Minerva梟さんとレスを交わす機会はいずれあるでしょうから控えます。

 ここに訪れる時間もあまりなく、他の方々と温度差のある投稿をお許しください。明日、久々に休みを貰えそうです。
紳士日記 2004-03-17 22:43:52 No.17438
山桜様
皆様

 自説が「進歩史観」「西欧史観」に囚われているとの疑問もありますが、敢えて提出させていただきます。

 始めに、「開明派」の定義を「蘭学を軸とする、西欧(後にアメリカも含む)世界の知識の優れた部分を取り入れようと試みた歴史上の人物」としておきます。

 江戸の歴史を負の部分から読み解くと、開明派と保守派(黎明期の政策の保守)のせめぎ合いであったという見方はできるかと思います(これを「闘争史観」と言われればそうかもしれません)。

 私は、この始まりを「田沼時代」と考えています。その後、「寛政の改革」と呼ばれる、清貧、質素倹約を尊ぶ、保守反動改革が行われます。私はこれを、時計の針を徳川政権の開闢時に戻す、という愚かな一面を持っていたと考えています。

 松平定信の政権からの失脚は、一つは尊号問題をめぐる将軍家斉との対立であったと思います。

 しかし、これを徳川政権から見たとき、彼の皇室に対する、幕府の優位を明確にする対応は正しかったと言えるでしょう。

 今一つは、定信の盲目的な外交政策にあると考えています。北方調査を打ち切り、蘭学者を弾圧、例えば、大黒屋光太夫がロシアから返還されたことを期に、隣国ロシアとの関係を明確に打ち出す、あるいは国境線の取り決めを確認するなど、やるべき政策はあったと思います。

 それ故に、その後、近藤重蔵、最上徳内、間宮林蔵といった人物たちが反動として生み出されたと解釈しています。実は、私が、最も学ぶべきところの多い歴史とは、ここだと思っています。

 つまり、「世界の中の日本」。この視点のない、愛国は「自己純化」や「自己満足」に陥る危険を多分に孕んでいます。

 そして、この開明派の系譜は身分、職業、思想、既成概念にとらわれない「尚歯会」という偉大なるシンクタンクを生んだ、と思います。つまり、「林子平・工藤平助」→「最上徳内・近藤重蔵」→「高野長英・渡辺崋山」→「佐久間象山・勝海舟」と流れる開明派の系譜であると思います。

 おそらく、日本が内部にしか目を向けていなかったとしたら、「新政権樹立派」と「旧体制建て直し派」は関が原のように、天下分け目の戦いを行ったのかもしれません。

 しかし、これを押さえたのは、海外の中の日本(世界情勢)という厳しい現実であり、それを知り尽くす開明派の存在を抜きに語れません。
紳士日記 2004-03-17 22:44:50 No.17440
 では、徳川保守派が何を生み出したか、私はこれを「鳥居耀蔵」と解釈します。現代の政治家を思わせる妖怪です。

 膠着した組織、官僚体質を利用する技術、権力に対する執着、政治を政権闘争と理解しているとしか思えない愚かな政策決定。

 大塩平八郎を否定した徳川政権というものは、そこまでのものだったのかもしれません。

 残念ながら、このシステムが膠着しやすい体質と、愚かな政治観は、現代も引き継がれているとしか思えません。

 最後の話は余計だったのかもしれませんが、負の歴史から学ぶ、これも歴史の重要な要素であると思い、敢えてこのような論を展開させていただきました。

「ジョン・万次郎と黒屋光太夫は、日本をどう感じたのでしょう。」

「なぜ、日本のメディアは日本がとった行動に、世界がどう反応したか、という報道をしないのか。」

以上、失礼致しました。
あきのり・T 2004-03-17 22:53:20 No.17443
 山 桜さま
時代区分のお話、自分も考えたいと思います。
江戸は江戸時代ではありますが…。
私の歴史の知識は、小説・TVの他は高校生くらいですが
江戸は、織豊政権や足利氏・源氏が短命政権であったことをきっと反省して作られていると思いました。
 先の先まで考えたシステムが江戸のように思えます。

 隠してるとアンフェアなので…
私の実家の方が江戸に関わる仕事をしています。家業なのです。自分は門前の小僧ですが、そろそろ本気で江戸を学ぼうと思っております。
江戸は、戦国と幕末の双方に関わり非常に面白いことになると思います。忠臣蔵の吉良氏とも、ちょっぴり縁があります。赤穂浪士は敵ですね。こちらのスレの皆様のお話、とてもうれしく感じます。よろしくお願いいたします。

Minerva梟 さま
No.17359の前に割り込み失礼いたしました。

>別建ての匿名スレッドですでに声援…
↑恐れ入ります。

「武士はなぜ死に方に、重要な意義を見出すのでしょう?」についてですが、私は内村も新渡戸も三島も葉隠れも、全く読んでおりません。戦国武士の聖書は太平記だと思っていますから。
葉隠れではなく?七生報国に「死の前の最後の一念」という話が出てきますね。そちらを考えました。これは仏教思想からでは?と思います。また陰陽道や平安貴族の文化も「節目・終わり」を非常に重視することも日本を考える時に大切だと感じます。日本は貴族も気概があり勇敢でしたし。
>小生は文化人嫌いの野蛮人だからです。(爆笑)
>小生は,江戸期に武闘から遠ざかった武士たちがエラボレートした武士道というものを,本物の武士のエトスだと思っていません。
>武士のエトスはもっとしたたかです。
武士のエトスとは,戦場での生き残りをかけた闘争の中ではぐくまれた自己規律であり,集団規律であると思うのです。

Minerva梟 さま…心配御無用!
私は鎌倉南北朝・戦国の乱世の武士の末裔です。この件に関しましては、ことばは不要です!
本当に掲示板にお戻り下さり感激です。

今昔物語「馬盗人を射殺したること」本朝第25巻12話の話…18才の時に出会いました。
現代の企業戦士の先達がたを私は思い出します。
  山 桜 2004-03-17 23:06:26 No.17445
 あきのり・T 様

ご承知のとおり、封建制から近代への変革には、世界史的にはフランス革命のような流血の政治劇が伴います。日本でも明治維新という変動があったわけですから、世界史の時代区分どおり、ここから「近代」が始まるという見方がもできますが、例えば尾藤正英博士は、江戸時代と明治のあいだには決定的な違いがないという考えを説いています。つまり江戸時代は「中世」ではない、というのです。ここでいう「決定的な違い」とは、社会の実際の組織、といっても当時は農村の組織が9割ですが、その実際の組織である村の共同体組織などについては、江戸も明治も全く変わりがないというのです。言い換えれば江戸時代は限りなく「近代」に近いというわけです。

ですから戊辰戦争や西南戦争があるにも拘らず、比較的平穏に江戸幕府は自然消滅したといえるというのです。明治になって近代化の政策がどんどん推し進められて行きますが、そうした急激な改革が可能だったのは、二つの時代のあいだに「時代を特徴付ける決定的な違い」がなかったからというわけです。

小生は、武士道が明治になっても死滅しなかったという自説の根拠に尾藤博士のこの考えを援用しています。「封建制度」の崩壊によって「武士道」はその母胎を失ったという議論は、江戸が「中世」で、明治が「近代」であるという一般論に基づくものでしょうから。

序でながら、尾藤説では日本の歴史は二つに区切られる。その区切りは、南北朝から戦国の時期にわたる260年間であり、「古代」と「中世」を束ねたひとつの時代、「近世」と「近代」を連続させたもうひとつの時代、このふたつに区分されるべきであるという。その根拠はまたの機会にいたします。
あきのり・T 2004-03-17 23:16:03 No.17446
紳士日記さま
江戸を真剣に学ぼうと思っております。
よろしくお願いします。
江戸のダメな面を考えることも大切ですね。

 戦国と江戸の創業者の発想は、地政学的な感じが印象が強いのですが…(御三家の配置など)その勢いが失われる過程も興味深く…。
 本当に守成は創業より困難です。勢いや目標を失うと組織は弱いでしょう。今の日本でしょうか。
保守の守りの方が難しい…。
あきのり・T 2004-03-18 00:06:26 No.17457
山 桜さま

>尾藤説…南北朝から戦国の時期にわたる260年間であり、「古代」と「中世」を束ねたひとつの時代…

>近世」と「近代」を連続…

この二つの時代の時代区分。双方が現代を映し出してくれるということでしょうか。是非続きを!!!
佐田地頭 2004-03-18 06:26:21 No.17472
山桜様
前略
興味深く拝読させていただいています。
徳川幕府の「天領」政策についてご所見をお持ちであればご披露賜りたくお願いします。

私の認識は幕府体制の防衛上の措置であったと聞かされた程度です。

現在もあるように感じる「お上意識」、「対抗意識」
(私の感性の領域なのでうまく表現できません)
の源流があるような気がするのです。

私は女房殿に「右翼」系だと云われますがそんな時右も左もあるか、俺は日本人だ、と叱り?ます。

山桜様が当掲示板に紹介して頂いた柴五郎陸軍大将の遺書に涙し、お陰さまで心の幅が広がりました。

突然にとりとめなきことを書きました。お読み捨てください。
後略
  山 桜 2004-03-18 07:46:33 No.17473
 佐田 地頭 様

この「スレッド」には、どこか懐かしいお名前をもつ方々がお集まりになるなあと感じております。

地頭様、有難うございます。
小生も、戦後の婦女子には、ほとほと悩まされ続けて居ります。この流れをどこかで断ち切らなければ大和男の「しめし」がつかないし、また「サムライ日本」の復権もあり得まいという思いで、日夜思案に暮れているような体たらくであります。

「天領」についてのご見解、宿題にさせて下さい。
そのうち、なにかが浮かぶかもしれません。
そのときにまた呼びかけさせて頂きます。
申し訳ありません。

あきのり・T 2004-03-18 08:29:58 No.17475
発言者自身により削除されました
Minerva梟 2004-03-18 08:30:14 No.17476
紳士日記様
ご投稿,No.17438 及び No.17440,を読んで。
小生が,『蘭学の系譜』と漠然と唱え,うまく表現できなかった事実について,このように明快な解説を読ませていただき,我が意を得たりという感想を持ちました。

とくに,
>残念ながら、このシステムが膠着しやすい体質と、愚かな政治観は、現代も引き継がれているとしか思えません。<
と述べられているくだりは,まさに膝を打って共感致する次第です。

他方では,貴兄が昆布だし姉様と交わすサブカル論義,うらやましくも小生が入って行けない世界でのご活躍,真に感服。

小生は,今でこそ,西洋かぶれを気取っておりますが,本質は血気にはやる瞬間湯沸かし器。
薩英戦争のきっかけになった生麦で,もし仮に小生が行列の先頭警護をしておれば,物見遊山の風体で我らを見下す馬上の毛唐4名を,切って捨てたと思います。
いや4名のうち,ご婦人1名は逃がしたでしょう。
それゆえ,奈良原喜左衛門の気持ちがよく分かると自認。
何の因果か,外国で生活してみて初めて,後知恵で開明派に転じたくちです。
薩英戦争や下関戦争で,こてんぱんにノされてから,ようやく尊王攘夷から尊王開国へと転じた志士たちの気持ちが,痛いほどよく分かる。


無名のNo.17333様(2004-03-17)
含蓄のあるご投稿,真にありがとうございます。
Minerva梟 2004-03-18 08:31:50 No.17477
山桜様

端的に言って,戊辰戦争が早期に終わって本当によかったと思っています。
薩長勝利の背後には,最新の小火器導入と英国の後押しがありました。
当時は,歩兵銃の技術革新期。銃身内径への施条(ライフル),元込めから後部装填へ,そして連発式の開発。やがて,映画にもなったウィンチェスター73などへと完成度を高めつつありました。

当時,南北戦争後の武器市場には新式銃に加え,がらくた銃が溢れ返っていました。グラバーなどは,これで,かなりあくどい儲けをしたことでしょう。
もし,戊辰戦争が長引き,内戦が膠着状態に陥ったならば,英国が西方を助け,フランスが東国連合を助け,武器商人が英仏両国に献金をするという典型的な図式が展開されていたかも知れません。

そうして,東西内戦の背後で英仏が密約を結び,奇妙な和平が成立し,英国色の強い西日本皇国と,フランス色の東日本王国が出現していた可能性もあります。
幸い,当時の英国は,クリミア戦争後,ロシア相手にアフガニスタン近辺で The Great Game の真っ最中。日本に手出しをする余裕もなく,パークス公使の江戸城無血開城を促す『良識』も働いて,日本は事無きを得たという気がします。

明治維新は,勤王佐幕双方の諸先輩が闘争し,あるいは協力しつつ,成し遂げた偉業でありますが,同時に西力東漸,弱肉強食の国際政治の間隙をぬって達成したラッキーな奇跡でもありました。
そう思うと,東国があっけなく敗れたのは,日本にとって,まことに僥倖と言わざるを得ません。
もちろん,その背後に埋もれた悲劇も語り継がねばなりません。
山桜大兄の問題意識に敬意を払い,一層の健筆を期待しております。

あきのり・T 2004-03-18 08:34:17 No.17478
天領…
新撰組が出た東京郊外や埼玉もそういう地域があった?と聞いたことがあります。本当は厳しい現実もあったと思いますがロマンでのんびりしたところも。今は駅に新撰組の旗が!

 農村共同体…
近くの農地はどんどん相続税でお上に取られて畑が狭くなり住宅やミニ公園になって行きます。農家の庭先に野菜や卵が無人で売られてるのえどかな風景の方が大切です。戦後の土地改革もありました。
農家は税金により三代で消滅?
江戸より、明治より悪い?現代です。
 そうしてみると、戦後と戦前は別の国のように違う悩みが生まれているのも理。

「武士道」の書籍は、少しのぞいたことを忘れていました。本当に気に入ると書は何回も読みたくなりますが何か違う感じが…。
 日本テレビの「笑点」でしたかお笑いの江戸の方が生きた感覚が残っているように思います。

 武士階級…
今でも家のものどもは屋敷をなくしたと怒ってます。
北のことはもっと怒ってますが。
 近くの商店のパートのかたが、勤務先のお店の前だけを掃除するのではなくお隣の前までキレイにしてました。聞いてみると将軍慶喜さまから永久のおいとまをいただいて以来、街のため人さまのこともするように親から教えを受けたとのこと…。年配のかたです。
 治安維持に町内の人がパトロールを始めて子供さんの通学路や空き巣対策に立ち上がってます。
紳士日記 2004-03-18 13:27:19 No.17545
山桜様
夕雲様

>>「有能であること、賢明であることだけが、人を尊敬する理由になってしまったのは、私たちが合理的になったということだけではないだろう。むしろ、それは、いかに視野が狭くなったかを示しているように思われる。」

>自説が、歴史の功罪に焦点を当て、その崇高な生き方を軽んじていることに気がつきました。私が、福田和也さんの言葉で心に残ったのは、

『乃木が清廉潔白であろうとし、「風格」を持とうと努めたこと、そのように見られるように努力したことに、むしろ、感ずるところがある。

 敢えて強い言葉で云えば、それは作為であり、演出だ。だが、だからこそ、つまりそれが自らからのものではなく、努めたものであるからこそ、畏敬を覚える。惻隠をとどめることができない。』

 また、「記録の王貞治」と「記憶の長島茂雄」が思い浮かびました。長島茂雄が、後世「なぜ、この数字で、野村や王といった選手より評価が高かったのか」と疑問を持たれ、王や野村が再認識をされることはかまいません。

しかし、それと長島茂雄が国民から愛されていたという事実とは別物であると考えます。果たして「長島茂雄」や「美空ひばり」が国民に与えてくれた無形のエネルギーはどう受け継がれるのか、などと感じてしまいました。

 それは、同時代を生きたもののみが共感することのできるものなのかもしれない、思いました。ちなみに私は若いですので、これを真に知っているとは言い難いのかもしれません(笑)。取り留めのない文を失礼致しました。
  山 桜 2004-03-19 07:38:29 No.17639
 「当スレッド」関係各位

小生のPCでは、書き込み不能となりました。
勝手ながら、もと「スレ主」の希望ということで『江戸時代について語ろう PartⅡ』に移行したいと思います。

以後の書き込みは、そちらでお願いしたいと思います。
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