「日本文化チャンネル桜二千人委員会」発足 南京の真実
SO-TV

旧掲示板

乃木大将の評価に思う

uturigi [ホームページ] 2005-10-26 12:10:10 No.246903
 軍人にもタイプがあって、指揮官(司令官)タイプ、幕僚・参謀(スタッフ)タイプ、教官タイプの大きく分類されると思う。
 乃木大将は、教官タイプでは最高の方だと思う。従って、学習院の院長を勤めていた頃が本当に幸せだったのではないかと思う。
 従って、我々の知る範囲では詩人であり、人格高潔、公私混同なし、明治天皇に可愛がられ殉死されるという我々俗人には出来ない人物で乃木神社に祭られても不思議はないと思う。
 しかし、乃木大将は指揮官タイプではないと思う。西南戦争の田原坂の戦闘において、連隊長として連隊旗を敵奪われている。日露戦争においても第3軍司令官として作戦目標である「旅順艦隊を撃沈すること」「ロシア軍を旅順市内から移動させないこと」を「最小の損害で作戦目標を効果的に達成すること」に問題があった以上、その責めを、司令官として負わなければならないことは明らかであろう。この点を司馬遼太郎氏は追求したと思う。
 しかも、参謀長が何回も正面攻撃ばかり計画・実施を具申するのに対し司令官として参謀長の計画を全部承認するばかりで、司令官としての意見を言うでもなく、参謀長が司令官の企図・意図を実現しないので、その交代を上級司令部に要求する行動も取らなければ、司令官の全面責任である。

 いくら戦争といっても、経営と同じで会社を破産させれば経営者が責任を負うように、最小の被害で作戦目的を達成しなければ、その作戦の責任は、戦争では司令官が負わねばならないことを司馬遼太郎氏は言いたかったのでは無いかと思う。だからといって、乃木大将の評価が下がるわけでもないと思う。
xxxxxxxxx 2005-10-27 07:57:41 No.247263
りろりろ思われておるよーだが

「坂の上の雲」でわ分らない・旅順攻防戦
     別宮暖朗・兵道二十八、並木書房

を見ると司馬のええ加減さ、乃木を貶めた罪わ大きい
uturigi 2005-10-27 21:44:40 No.247532
 お答えを頂いて有難うございます。××氏が私の意見に反対だということにどうこう言うつもりはありません。しかし、司馬氏の旧軍の下級将校の目を通してみた司馬戦史観をええ加減と軍隊経験のないものが言い切れるのか、と私は思う。また、桜チャンネルの対談番組で全ての出席者が反司馬戦史観であるような雰囲気は私はおかしいと思う。一部に異論があって普通だと思う。
xxxxxxxxx 2005-10-27 23:19:13 No.247569
司馬史観なんて んなご大層なもんぢゃなぃよ。

まぁ 上記ご参考本読んでみるべきだな、いかに司馬がええ加減ゆってるか分るから。

戦前の指導者をボロクソゆーばっかで、やつわ近代主義者ょ。
ポンポインター 2005-10-28 00:43:51 No.247613
『乃木大将の評価に思う』
司令官としては立派だったと思うよ。敵将のステッセルが乃木さんをベタ誉めだし、水師営の会見においても世界の観戦武官やまたメディアが、とても評価しとるから司令官としては偉大な指揮官じゃなかったのかな。

君は司令官として戦争が上手だったかどうかを判定しとるんかや。ならば無理な相談やわな、戦争は参謀がやるもんや、司令官は「やれ!」と命令を下すもんや。
それに戦闘と言うても、野戦もあれば要塞戦もある。
豊臣秀吉は攻城戦が得意、徳川家康は野戦が得意など、
得意不得意があるんや。

また伊知地参謀長の他に、例えば第一軍の名参謀長の藤井が旅順攻略を担当してもうまくはいかなったろう。さすれば、日露戦争最大の英雄、クロパトキン将軍が最も恐れた黒木大将すら、あの攻城は失敗の連続やったろう。

それにな、旅順戦の後に日露戦の関が原といわれた奉天大会戦、勝利の糸口作ったは、左翼に布陣した第三軍とそのまた左の最左翼の秋山好古騎兵旅団の奉天包囲の動きが、その要因ではなかったのかや。

あの世界最大の要塞都市旅順を落した猛将乃木の第三軍、奉天に迫るの恐怖が、クロパトキンの弱気を誘い、奉天撤退を決意させたんやないか。四つに組んだ大会戦ほど、一旦引いたら総崩れになるんや、この奉天戦の露軍の捕虜の
何万人はこの撤退戦の大損害や。

さすればこの奉天戦の大殊勲者は、大山巌元帥でも、児玉源太郎でもない、乃木希祐や。司馬遼太郎先生、あの「坂の上の雲」で、作家の一方的感性で乃木さん叩き過ぎたわ
それに最近のロシア側の薪資料では、旅順戦、日本側の死傷者ばかりが大騒ぎとなっとるば、ロシア側も守る側の常識を覆す、日本側に匹敵する大損害を被っている。

要塞の篭ったロシア側だぞ、あの旅順戦は最初から日本軍第三軍が勝っていたんだよ。ステッセル側が戦いに負けながらよく守ったに戦闘評価を変えなきゃよ。乃木さん名将

xxxxxxxxx 2005-10-28 03:49:44 No.247659
福田恒存が旅順につぃて書いてるけど、日本人わ旅順におぃて初めて西洋近代とゆぅものに相対した、ベトンで塗り固めら近代要塞を目前にした乃木らの心を思うて見ょと。そりからこんなこともゆってる。後世の者わ、過去を手に取るよーに見ることができる、あ〜すれば良かったのに馬鹿ぢゃなかか、とかゆぇる。が、当時を生きる者わ五里夢中だ、後世が傲慢をゆっちゃあいけなぃと。
 司馬が死んだとき、べた褒めする者が多かったけど、会田雄治の司馬評が光ってたね。司馬を歴史家とわ認めないと。歴史家つーもんわ、歴史の暗いところ、目を背けたくなるところとも 正面から向き合わなければならなぃ、司馬わ明るく自分の楽しいことだけだと。
珊 島 2005-10-28 04:32:12 No.247672
そうですね会田雄次氏は言っていましたね。人間認識が甘いと。戦車長の下級将校でありながら実戦を経験することなく終戦を迎えた司馬氏とかたや初年兵でビルマの地獄を見た会田雄次氏。体験の差でしょうね安易に言えるものではありませんが。
uturigi 2005-10-28 13:03:19 No.247826
「司令官が戦べたでは司令官ではない」というのが私の信念です。最小限の被害で効率的に作戦目的を達成するのが、司令官の責任である。参謀長以下には作戦の勝敗に関するには責任は無い。これは古今東西の間違いない原則です。攻撃側が防御側の編成装備配置を100%知らないまでも、初めて近代要塞に遭遇したと言うのも、第3軍の情報力の不足というより、上級司令部の情報収集能力の不足を物語るものである。分からないとしても、第1回の攻撃で分かれば、この情報に基づいて第2回以降の攻撃に生かすのが軍事常識である。仮想敵国を含めた敵に関する情報収集能力の不足は現在も続いている。
桜花号 2005-10-28 16:04:59 No.247882
>「司令官が戦べたでは司令官ではない」<
>参謀長以下には作戦の勝敗に関するには責任は無い。これは古今東西の間違いない原則です。<

全く同感。極めて常識的な話である。乃木は愚将という司馬史観は当っている。

>仮想敵国を含めた敵に関する情報収集能力の不足は現在も続いている。<

その通り。先の大戦も米英の生産力を見誤り、終戦処理においてソ連に頼ったなどなどまさにそれ。
このような過ちを二度と繰返してはならない。
ポンポインター 2005-10-28 22:34:14 No.248104
戦争下手とか愚将とか、無能とか、この板はとかくよく調べすもせずに人の悪口を簡単に罵るおかしな所だな〜や。

私は乃木さんが大好きであり、また、このように世間のいい加減なる風潮(乃木無能論)に釣られ、附和雷同如き、無責任人物叩きに義憤を感じる人間だから、これらのお粗末レスに反論させて頂くよ。逆に怒らんでくれよ。

君らは完全に司馬史観に釣られている。「坂の上の雲」からの旅順戦しか目に入っていない。帝国陸軍史や参謀本部史さらに明治外交史、できるならばロシア側からのステッセルの軍事裁判らの法廷らの戦犯の陳述書などなどね。

さらに独・仏観戦武官らの観戦記録、そして昨今解禁となったロシア側の軍事機密らの書類を参考にしてこの旅順要塞戦争を語らなければならない。総合的に観察評価してやらなきゃ、一介の作家の個人的戦争観のみにて、あの苦しい立場の乃木さんを、一刀のもとに断罪するは、そりゃ彼が可哀想や、そりゃ酷過ぎるわ・・・・・。

特に作家の軍人批判なんて、石原慎太郎の東條さん批判みたいに見方が一方的に片寄るんや、書類の分析よりも個人の感性で語るからな、まあ、それは極端だから面白いと言えば、面白いんだが、また、行き過ぎもあるんやよ。

旅順戦なんて、大本営の最初の日・露戦の大戦略には無かったんや、ロシアの旅順艦隊が湾に入り出てこない。
海軍側の脅迫ともとれる強い要望により、反対の陸側から攻めるために、急遽に第3軍が編成され、内地守備用の各師団が動員されたのよ。日本軍の最強部隊にて装備も充分の第1軍でも無し、これを支援補佐する第2軍でも無いんや、だから第3軍と言うんやわ。

経験、装備そして人材でも、1軍、2軍に劣る第3軍が、当事、世界最強のベトン要塞、難攻不落の旅順に向かわされたんや。まだ、第1 第7 第9 第11師団、砲兵第2旅団の半部も、戦地に到着せんうちに、大本営の山縣有朋など、要塞攻撃を命令するなど、乃木幕僚部が計画も戦術も立てれんところから出発しとるんや。


ポンポインター 2005-10-28 22:37:31 No.248108
それでも乃木さん立派だったわ。司馬さんのおかげですっかり悪役にされた伊地知幸介参謀長もよう頑張ったわ。
君ら乃木さん、無能 下手 愚将など言うが、参謀が作戦を立てて司令官が命令を下す。これが日本の陸軍やわ、司令官の無能・有能は関係なしや、これが日本の軍隊なんやわ。昭和20年までこれが続くんだから、乃木さん悪いと言うたって、仕方がないやないか、これが日本の軍隊だから。

また伊地知少将、決して無能でない。ドイツ留学の要塞戦の大家よ、何が馬鹿や、来任早々に後に随道爆破作戦により、陥落させた東鶏冠山北砲台要塞、すぐにトンネル作戦開始しとるわ。まだ本国より本職のトンネル屋来とらんうちからだぞー。

だがなー君らや、あの頃まだシールド工法なんてあらへん。あれできたのは黒部の第三ダムの着工からなんや。それまでは、発破とツルハシや、オット!発破も音がして敵に聞こえる、これも極力遠慮してスコ・ツルでいかにあね。それにトンネル掘るにしたって、300メートル程度が限界や、中に空気を送らにゃいかんからな。

つまりや土方部隊が、敵の陣地300メートルまで接近せんことには穴掘作戦もかかれんとゆうこっちゃわ。総攻撃にて犠牲が出ようとも、日本軍前線がここまで進出せんことには仕様があらへんやないか。

伊地知少将、ちゃんとメッケル教官の教え通り、第1回総攻撃、近代要塞攻囲戦のセオリー通り、大小270門の野砲を並べて、釣る瓶打ちの雨霰の大砲撃をやっとるわ。
動くものにタマを当てとるじゃなくて固定物にだぞや。

そんなん当るに決っとるがな。20センチだろうが30センチのベトン要塞だろうが、そんな目茶目茶に壊れるが当たり前やないか。ロシア側が必死にそれを補修して戦ったのが、事実の戦史なの。第3軍が戦争が下手なのではなく
ロシア側の頑張りが、この猛爆を凌ぎきったということさ
こんなことロシア側資料に生々しく書いてあるわ。


ポンポインター 2005-10-28 22:39:57 No.248110
数時間にわたる猛砲撃、アツという間に弾薬品切れやわ。
双眼鏡にてロシア軍の必死のベトン要塞補修も見ている。
時を置かずの総攻撃、アッタリ前やないか。次の砲弾補給
1月〜2月経たなこうへんのやぞ、その間にベトン要塞の増築ドンドン進むんやぞ。

3日〜4日分の打ち放しの弾薬砲弾、第3軍に送らずして
海軍の強い要求に屈し、戦闘を急がした大本営の責任、乃木さんちーとも悪くないんやわ。ただ、山縣有朋が山本権兵衛に「じゃっましいわ!もうちょっと黙っとれ、今、懸命に旅順に弾薬送っとるわ ある程度在庫が貯まるまで、辛抱しちょれ!」と、ウン、そう言えばよかったんだよ。

君ら、第1回の総攻撃で敵の様子わかったから作戦を変更せよと言う。どう変更するんや、素人作戦でもええゆうてみーや。仏の観戦武官が本国に手紙送っとる。日本軍の砲弾補給が勝るか?、砲撃を受けたロシア軍のベトン補修力が勝るか? えー君ら、どう作戦変更するんや。

何? 最初から203高地の一点集中だって? 阿呆やなー 正面の敵、東鶏冠山砲台がガタガタになり反撃能力無くなったからこそ、始めて側面の203高地の攻撃可能となったんやぞ。最初から正面の敵、放かって203高地を総攻撃しとったら、ドイツからメッケル教官、怒って満州に飛んでくるわ。「そんな馬鹿なこと俺が教えたか!」
ってね。

敵がいつまでも城に篭もっとると思っとったら、大間違いや、あの大阪の陣でも、真田幸村が茶臼山の家康の本陣に奇襲攻撃かけたんやないか?大久保彦左衛門、籠に家康担いで逃げたんやないか。戦争末期やったから家康助かった
初期の奇襲なら、桶狭間と同じで家康一巻のアウトや。
伊地知参謀長、乃木さんを籠に担いで逃げるのかや?
ポンポインター 2005-10-28 22:42:12 No.248111
事実、砲台要塞の長、ゴンドラチェンコ少将、常に反撃出撃も狙っていたが、冒険恐れる旅順の総大将ステッセルの
命により我慢していたと記録にあるわ。
戦争やチョット隙みせたらすぐにヤラレルわよ。何? 丈夫ピンピンの正面の敵を放かり、側面の203高地に進めだと・。コウエーの戦争コンピューターゲーム遊びしてんじゃねーぞや。

この日露戦のドイツの観戦武官、ルーデンドルフ(後に1914年にタンネンベルクの戦いにて、ビンデンブルク共に
ロシア軍30万を壊滅させた、第一次世界大戦の英雄)が
最初からの203高地は暴挙とその戦陣報告で書いている

ただ、ルーデンドルフは、この時期は旅順戦地にはおらずに、黒木第1軍にくっ付いて満州の野を駆けていたから、これは部下からの報告による戦況分析であろう。
ただ、これ重要なことだが、第三者的観察者の外国の観戦武官が、乃木批判を加えていないのに、日本における乃木無能説があるのは何故だろうかや?。

そんなこと最初からわかっとるんやわ、政治は非情ってことよ。大本営は最初から旅順攻撃の予定が無かった。
海軍のヤイノヤイノとの要求にて、この未知のベトン要塞
攻略に取りかかったのだが、その準備不足は百も承知やった。最初からうまくいくなんて思ってもみなかった。

野戦用の砲弾は用意したが、要塞破壊の砲弾は品不足だった。だが、海軍の要求は断れない。海軍のおかげで満州の野に補給物資が送られているからだ。残る手立は肉弾戦の突撃しかない。ベトンの要塞に人間が突っ込んでいくんや
相当の損害を最初から覚悟しとったは当たり前や。

最初は軽く考えていた? 阿呆か! 毎日戦争のことばかり勉強しているプロ集団だぞ、そんなん最初から百も承知やわ。大本営も第3軍も最初から承知の承知ざよ。
陸軍参謀本部の秘密資料によると、予定損害は10万の死傷と書かれちょる。

ポンポインター 2005-10-28 22:43:32 No.248112
大本営もその積りでかかったとしても、死傷者が続出し国民の不満が最高に高まった。しかし、あれは予定の数字だと、政府は軍は口が裂けても言えるか。あとは乃木さんに悪者になってもらうしか仕方がない。「軍が悪いのではない、乃木が戦争下手だから旅順が落ちないのや」とね。

だが、この下手糞乃木さん解任できへん。誰がやっても結果同じこと、皆んな知っちょるもん。解任なんかできるか、やけど、国民に対して、政府も軍も乃木さん庇うこと
できへん。そやから明治天皇にその役回り押しつけた。

何、児玉が指揮したら203高地が落ちたから、児玉は戦争がうまく、乃木は下手クソだと、ロシア側の資料では、もうギリギリと所までロシャ側が来ており、203高地に応援できん所まで、乃木3軍にヤラれていたと言うこと。

児玉が指揮しなくとも「一戸師団長」でも203高地は落ちとるわ。ただあの過酷命令を、もはや乃木指令部では下せない所まできていた。だから、今度は児玉が失敗の悪者役を乃木に変わって買って出たのよ。後の児玉の述回では、ロシアがあのように弱っていたとは思ってもみなかった。

と、彼もあの203高地の攻撃、失敗すると思っていたんじゃなかったのかな?・・・。
と、このような歴史、戦史を語る時は、他方面から人間を理解するように理解するように観察せよや。単純に叩いて得意がっているは馬鹿の証拠であるや。

後の奉天大会戦、左翼の乃木3軍が、奉天迫るに恐怖にかられた、クロパトキンが重要戦略拠点を放棄させるほどの相手、アン!何が愚将だ。冗談も休み休みに言えや。
史上希に見る名将と判断したから、クロパトさん逃げたんやないか・・・。

後に陸軍が乃木さんを冷遇した? 司馬史観の完全読み違いや。陸軍は乃木さんを意識して悪者にした。「後、冷たさ」があるから、腫れ物に触るようにしたのさ、結果から物事判断せよや。
xxxxxxxxx 2005-10-28 23:25:51 No.248137
ポンポインターさんわ戦争に詳しぃな。正しぃ見方だろぅ。先にあげた別宮&兵頭の本を見ると、司馬が戦争にわまったくのド素人ってのが分るね。良く調べてなぃ。司馬わ、乃木大将わ過去の戦史を良く調べもせず、横文字が読めなかったみたく書いてるらしぃが、エゲレスの観戦武官わ、乃木が当時のローロッパの主要な軍事論文を全て読了してるのに驚いたと書いてるらしぃ。乃木わドイツ語で日記を書いていた時期もあったらしぃ。
 この本わ 大層ももぴろぃし 参考になる本だ お勧め。
 馬具わ馬鹿
xxxxxxxxx 2005-10-29 00:00:11 No.248159
乃木大将の息子わ2人とも戦死するわけだが、誰だったか乃木家を訪ねたとき、二人の骨箱が居間に無造作に置いてあって、夫人わ、(葬儀は)乃木と一緒にやりますからと別に乱れる風もなくゆったらしぃね。
 なんつーか、当時の日本人わ全てを捨てて国家を守ったんだねぇ〜
 今どきの政治家わ、選挙にうかって、就職口が決まった学生見たく嬉しい顔さらしておった。
uturigi 2005-10-29 00:21:57 No.248170
司馬さんも、ポンポインターさんの示すような資料は全部読んだと思います。また、司馬さんは、最初から乃木大将が好きだから、嫌いだからとという先入観を最初から持たず、旅順会戦を調べ書いているうちに第3軍の作戦に疑問を持ち、第3軍を評価したのだと思います。予備軍は予期せぬ事態に対処するために使われるのですから、主動性は持ちにくいと思いますが、国力の範囲で特に苦しい任務遂行を強いられるのは当然です。第3軍の任務分析をすれば、旅順港に逃げ込んだロシア艦隊を撃沈することとロシアの旅順守備隊を封鎖することですから、敢えて要塞攻撃にこだわる必要があったのか疑問です。
 一般に、日本軍に勝った敵軍の日本軍隊評価は日本軍の下級指揮官以下は勇猛果敢で優秀だが、上級指揮官になるほど凡庸だといわれます。特に日本陸軍の上級指揮官は参謀長の持ってきた計画に指導もせず承認することが「統率・統御」であると思い込んでいる「悪しき伝統」が多かったと思います。上級司令官は方針を示し司令官の企図に合わなければ承認しないぐらいの指導力を発揮すべきです。
 自国の戦史を客観的に分析し、良いことは更に伸ばし、欠点は繰り返さないという教訓を現在に生かさなければ、同じ過ちを繰り返すことになると思います。
xxxxxxxxx 2005-10-29 00:33:33 No.248173
>司馬さんも、ポンポインターさんの示すような資料は全部読んだと思います。

↑根拠のない予想だね。
だいたい70年代に書かれた日露戦史ってのわ「機密日露戦史」を種本にしてるのが多いらしぃが、これがそーとー意図的な曲がった戦史らしくて、司馬もこりを種本に書いてるらしぃ。司馬わ戦史にはまったくド素人じゃなかか。上記・別宮兵頭の本から


xxxxxxxxx 2005-10-29 00:39:12 No.248177
乃木わ名将である。
乃木を愚将に仕立て上げた司馬の罪わ深い
uturigi 2005-10-30 12:21:12 No.248808
 司馬さんは旅順会戦において第3軍の任務を第3軍がどのように達成しようとしたのかに焦点をあてて評価しているのであって、上級司令部の児玉参謀長の力を借りて旅順を攻略した後のステッセル将軍との会談とか奉天会戦に参加したとかを問題にしているのではないと思います。
 児玉参謀長が第3軍正面に出て行ったのも、第3軍に旅順会戦の任務を達成するための全般計画が無く、バルチック艦隊が近づくにもかかわらず、正面攻撃を繰り返すばかりで第3軍の任務達成がおぼつかないから、自ら指導(指揮)するいう見方の方が説得力があります。司馬さんは旅順会戦の任務達成状況を客観的に見て評価しているのであって、たまたまそのときの司令官が乃木大将であったということに過ぎないと思います。
 私は、司馬さんが戦史の素人とは、全く思いません。
蛇足ですが、終戦時、宇都宮の戦車部隊にいて、宇都宮から米軍の上陸に備え太平洋沿岸部に移動するとき戦車部隊は南に行き、避難民は北に移動するようになるがその時の交通統制は出来ているかと、担当参謀に聞いたら「避難民はひき殺していけ」と回答されたことを書いています。こういうことからも、司馬さんは国民の軍隊という視点で戦史を分析していると思います。
 阪神淡路大震災の時も、当初交通渋滞で援助が遅れたことが思い出されます。
ポンポインター 2005-11-03 20:20:34 No.249346
uturigiさん

まず作家としては司馬さんは、物事の展開の推移に感性を働かせなければならない。本の中では、第1回総攻撃 第2回総攻撃 第3回総攻撃の司馬流で言う『●肉弾攻撃』が失敗して、ベトン要塞にそれほどの被害を与えておらない。

状態、当然に要塞内に立て篭もるロシア兵にそれほどの損傷を与えておらないとの印象を読者に思わせておいて、次に満州の地より、児玉源太郎が来陣し彼が指揮を取るや、2日〜3日の戦闘にて203高地を陥落させ旅順港のロシア艦隊を撃滅させ、また児玉は風のごとく満州の地に去る。

ここに児玉天才説、乃木アホンダラ説を如実に引き合いに出すが本の描写は、あまりにも一方的やな。大本営の
参謀次長長岡外史中将、満州軍首席参謀松川敏胤少将の参謀本部の戦後の筋書きそのものやないか。われわれ素人が考えても、そんな阿呆らしい奇跡ができる筈がないわ。

えーかな司馬さんや、旅順の戦いはどのような戦いであったか、作家ならばもうちょっと、頭を働かせて考えてみよや。例をあげれば相手は、鎧兜を完全に身に着け、長槍、強弓を持った大兵の武士や、それに具足も充分でない小兵の足軽が小槍を抱えて向かっていくようなもんや。

まず間合いを詰めな勝負にならんがや。その敵から逃げるんじゃないぞ、こちらから首を獲りにいくんだぞや。相手に接近しなくては物事が始まらねえじゃないかよ。
矢が飛んでこようが、長槍の洗礼があろうとも、それをかい潜り、相手の手許に飛び込み、敵に組みつき、鎧通し(よろいどおし)で、鎧装備の弱点のわき腹から相手を刺すしか勝つ方法ないじゃないかよ。


ポンポインター 2005-11-03 20:23:53 No.249348
ならば君でもいいから、それ以外の方法有るなら語ってくれや。日本軍、第3軍は要塞攻撃のセオリー通りの攻撃している。第1回の総攻撃の前に、300門近い野砲・山砲にて前代未聞の10万発以上の砲弾を加えた。これでロシアの旅順要塞の前線土塁基地はほとんど破壊や。

この後に歩兵による総攻撃をかけている。無謀と言われようが前進して間合いを詰めないことには、砲台も前に進めないじゃないか。日本軍は野砲や山砲は10センチ以下の小口径砲である。

ベトン要塞を少しでも破壊しようとするならば、少しでも距離を詰めるべきだろう。また、狙撃銃にて要塞内のロシア兵を狙うなら、敵兵の見える位置まで接近する必要あり、そこに日本軍の土塁による前進基地をつくらなくては戦いの方法無いじゃないかよ。

また前に申したがごとく、トンネルを掘るにしても少しでも前進しておかなければ、その抗道爆破作戦も立てられない。事実、この第1回作戦後にこの前進基地からの起点による、トンネル作戦を、参謀長の伊地知少将は工兵参謀の井上幾太郎少佐に命じて着工させているよ

その計画なら、第1回総攻撃の前に入っているよ。そして時間はかかったが、結果的にはこのトンネルからの東鶏冠山砲台地下の爆破により、ロシア軍の降伏に繋がるなど、どこをどうとっても、伊地知の無能説ようわからんなー

旅順戦、第1回総攻撃にて要塞に前進基地を進め、第2回総攻撃ではもうすでに日本の港に配置してあった28センチ榴弾砲が戦いに参加、この総攻撃の前に日本軍前線部隊がすでに占領に成功していた南山抜山砲台に観測点を設け、この山越に旅順港に28センチ砲弾を撃込み、ロシア旅順艦隊に損害を与えている。

さらにこの28センチ砲にて正面の要塞砲撃もおこない
ロシア軍に甚大な被害を与えつつ、歩兵による総攻撃、総突撃をしている。さらに歩兵陣地を前に進め、敵との間合いをさらに詰めとるんや。

ポンポインター 2005-11-03 20:26:19 No.249350
何故に詰めるんやって、そんなん当たり前や日本の野砲、山砲なんて、5センチか6センチの小口径砲ばかりや、少しでも前に進めんと敵の砲台に半滅やないか。小口砲ならば、数で敵の10センチ以上の大口径砲と勝負せな。

コンクリートの破壊なんか、後から28センチ砲がゆっくりと料理してくれるからええんや。敵のベトン要塞から出てる砲身を叩けばええんや。大砲なんて爆破により少しでも砲身が曲がればもう使い物にならへん、すぐに補修せにゃならん。

こうして日本軍の砲撃破壊、ロシア軍の補修のイタチごっこ合戦が開始され、最後は日本軍の砲撃能力が勝ったということさ。オイラ見てきた訳じゃないよ。ロシア側の記録にそう書いてあるからさ。

ところで28センチ榴弾砲に関して、司馬さんは完全に間違えてる。第3軍首脳部が頑迷で無能なために28センチ砲の使用をあくまで拒んだごとく書かれている。12月4日の208高地の総攻撃に始めてこの28センチ砲が児玉源太郎の命令により使われたごとき印象を読者に与えている。

だが、これは違う。事実は10月26日の第2回総攻撃にて、この28センチ砲はもう戦闘に参加し、旅順港のロシア艦隊や正面のベトン要塞破壊に使用されている。
ロシアが必死のベトン補修作業をしたためにこの東鶏冠山要塞は持ちこたえただけの話である。

第3軍はこの正面への前進基地のジリジリとした肉薄作戦、日本軍の砲撃と抗道作戦、さらに南山抜山越しの旅順港砲撃でこの戦争は勝てると踏んでいる。せっかくの勝機を何故に外して、28センチ砲をヨイコラ、ヨイコラと
203高地方面への移動替えをせねばならぬかに、猛然と抵抗しただけである。

ポンポインター 2005-11-03 20:28:08 No.249351
そうやでー ひょっしたら、203高地は無駄な作戦で
あったかもしれぬ可能性もあるんやでー、おそらく将来、この作戦を否定する説がでてくるかもわかれへんでー。
確かもう、NHKテレビの「歴史発見」でも、南山抜山越しの旅順砲撃「成功有った!」との解説をしているのでは?。

NHKこれ、新しい説やおまへんでー。昔から軍内部でヒソヒソと語られた伊地知正解・児玉間違説、203高地攻撃無用論(海外の観戦武官に有る)や焼直しただけや。その意味では司馬さん守旧派、NHK革新派と言えるわのー。

第1回総攻撃・第2回総攻撃の歩兵陣地の前進、敵の火砲能力は次第に弱まり沈黙、後はベトン要塞の覗き窓から、猛発射される強力なる機関銃対策や。だから第3回総攻撃により、さらに間合いを詰め、狙撃銃により覗き窓のロシア兵を狙ったとある。

日本兵、ベトンに近接近した土塁陣地から、狙撃銃を木や岩に固定して、常時歓声を挙げ、慌てて覗き窓から顔を出すロシア兵を狙撃したと言う。ロシア側の記録によれば、戦死兵の傷は顔ばかりとある。

また陣地の向こう側の敵を攻撃する、迫撃砲や曲射砲を送るように旅順の総司令部に悲鳴をあげていることからも
日本軍陣地の超接近に恐怖感を表わしていることようわかるわ。もうロシア軍の敗北濃厚、日本軍が抗道作戦も順調に進み勝利真近ことようわかる。

ところがこれが司馬さんの「坂の上の雲」になると、乃木さん始め伊地知参謀長、第3軍司令部、勝利に完全に自信を失い、どうしてよいかわからない、神経衰弱の態の有様、あれどこの資料から調べたんでしょうね。
フランスの観戦武官など、この時期、乃木さん気迫溢れると書いておりますが。

そりゃ予定の行動とは言え、あれほどの被害出してヘラヘラ笑いながら軍指揮できまっかー 深刻な難しい顔して司令部に詰めとらな仕方おまへんがなー。そんな顔を心身喪失 神経衰弱らと、作家の一方的感性で勝手に想像して表現してまっては、司馬さんやり過ぎだっせー。
uturigi 2005-11-04 15:07:02 No.249539
 乃木大将に有能な参謀長が配置されていれば、こういう論争は生じなかったでしょう。ポンポインターさんも、あれだけの損害と認めています。戦闘は最小限の被害で戦勝を得なければならないという私の視点での評価は、今まで述べたとおりです。主攻を最初配備の薄かった203高地にしていれば様相は変わっていたでしょう。その他、いくつも言っても仕方ありませんからもう一つ。第3軍は、定められた時期までに作戦目的の一つ旅順艦隊の撃滅を自力で達成できないし、その上級司令部に出来ないと思われたのは事実です。また、児玉参謀長が第3軍を指揮するといったとき第3軍司令官は断れなかった事実を直視すべきです。しかし、それを受け入れて、第3軍司令官、軍参謀長を差し置いて、その上級司令部の児玉参僚長に第3軍が指揮するという異常中の異常のことをして日本海海戦に間に合わせたのですです。こういうことを明らかにしたのも司馬さんの功績だと思います。今までの日本の伝統では、個人名を挙げて悪い評価を下すことはダブーでしたが、司馬さんがこれを破ったのですから、乃木将軍崇拝派から猛烈な批判を受けることは致し方ないと思います。しかし、外国相手の戦争における指揮官の評価に作戦指導部は私情を挟むべきでなく、その指揮官の作戦遂行能力のみを評価し、結果が悪ければ、即罷免交代させるべきだと思います。私情を挟んだ戦史の記述は、真の戦史ではなく将来の日本国にとって不幸です。
ポンポインター 2005-11-04 20:26:17 No.249602
uturigiさん

はっはは・・は、結局貴殿も司馬さんと一緒やよ、ならば乃木第3軍は、あの場合にどのような方法があったんやーと小生が噛んで含むように説明しても、
「主攻を最初配備の薄かった203高地にしていれば様相は変わっていたでしょう」なんてね・ピント外れの返事しか返ってこおへんわ。

主敵に構わず、側辺攻めとったら、ドイツからメッケル教官の叱咤の声が聞こえるぞよ。「馬鹿!そんな事、俺が教えたか!」信長が清洲城でろう城しとると思い、丸目、鷲津の砦、いい気になり攻めとると、桶狭間の一巻やぜ。

ドイツ観戦武官のあれホフマン大佐だったかな中佐だったかな言うとるわ「初期の203高地は囮である」とね、
203高地、丸目、鷲津の砦の可能性もあったんやぜー。

そりゃ本当の所は、わしも知らん、けどなー司馬さんが石原慎太郎、田中康夫クラスの作家なら、小生は何んにも言えへん。ただ自分の思いついた感性で書きまくってもえーわ。けど、「司馬史観」と称えられた大作家だろ。

ならば、陸軍内部である一部で、ヒソヒソと語られた「●無能設」ではないぞ「●名将説」にも耳を傾け、両者を分析検討の結果、自己の思いを述べよと言うとる。

私の思う所、司馬さんは書くに熱中し、事前調査は完全に疎かになっちょるなー。28センチ砲や南山抜砲台の如くミス、間違いが多過ぎるなー。本当にいつもの彼らしくない。

えーかなuturigiさんや、「●乃木無能説 愚将説」の要因として、陸軍内部で定着化したのは、参謀部では大本営にいた児玉源太郎の後輩の長岡外史中将参謀次長、満州軍では児玉のケツ子分の松川・井口少将とヒソヒソと語られてるんやぞ。


ポンポインター 2005-11-04 20:29:45 No.249605
また、後に薩摩軍閥の巨魁として大山巌元帥の跡目を継ぎぐ、軍界の出世街道を驀進し、陸軍大臣・参謀総長・教育総監の三長官を歴任した、上原勇作元帥の存在があるんやと言われておるんやぞ。

上原勇作 第3軍参謀長の伊地知佐幸介と同じくドイツ留学組、要塞攻略戦を学び、特に工兵戦科、抗道爆破作戦の権威とされてきた。

だが日露戦争時には、猛将野津元帥(大山巌の先輩)の手綱を絞るために娘婿の上原勇作が第4軍参謀長に選ばれたと言われている。満州の野を駆け巡ったが、しかし、1軍 2軍 3軍 4軍の中では一番に地味な存在にて満州の戦いではそれほどの武功を挙げていない。

上原勇作、戦後に九州小倉で工兵による模範抗道戦の演技実習をおこなうなどの陸軍抗道教範を作成するなど、日本の近代工兵はここより誕生したとの姿勢、デモンストレーションをおこしている。

本当のことはわからないが、上原にすれば第3軍による旅順攻囲戦の東鶏冠山砲台の抗道爆破作戦の見事の成功を、無理にでも過少評価したかった。自分のお株をライバルの伊地知にお先に奪われた。この功績を極力薄めるために、ことさらに児玉源太郎の203高地攻撃を称賛したと言われる。

いや彼にこんな姑息な考えが無かったとしても、陸軍の主流、大実力者にノシ上っていく彼におもねる、ゴマをする周りが伊地知無能説を吹き散して、上原のご機嫌を取ったとの話もあるくらいだよ。

「児玉参謀長が第3軍を指揮するといったとき第3軍司令官は断れなかった事実を直視すべきです。」

とuturigiさん、簡単に述べている。司馬さんもその場所に居たようなこと書いとるなー。大山巌はそれを書いた。それを請求した児玉はそれを持って乃木の所へ行った。後は乃木と児玉だけの話である。余人は誰も中に入っていない
ポンポインター 2005-11-04 20:32:12 No.249607
さあー司馬さんのロマンなる乃木・児玉の友情話になるやいかいなー。大山巌の命令書(余の代理云々・・下り)を児玉が乃木につきつけた。との説もあるくらい、私はこちらに軍配をあげたい。

私の長き経験からいけば、赴任先で辞令を見せるんが最初である。こんなん当たり前の話である 軍界なんて官界の長たるもんや書類によって動くんやぞなもし。

そんな命令書(指揮権の一時的剥奪)見せんことに、伊地知が承知するか、児玉は乃木に突き付け、伊地知にも突き付けとるわー。児玉が旅順より逃げるように去ったのは、
「もうちょっとの所の旅順攻略の軍功の、トンビにアブラげさらわれた、第3軍司令部の参謀連の激昂激しく、これに殺される恐れありと、児玉先生は逃げたんやないかな。

とにかくこの後、奉天の戦いでも児玉の乃木に対する遠慮
腫れ物に触るぐらいオドオドとしちょる。かえって子分の松川が親分の弱気に義憤を感じて怒っている。
旅順でよっぽどのことが有ったと、ウン小生も思うよ。

司馬先生、どう考えても一方通行の感じやなー 反乃木さん、反伊地知さんの本しか参考にしとらん感じするなー。
『肉弾』これやないかなー。この著者、酒井忠温中尉は、歩兵第22連隊の小隊長として、第1回総攻撃の時に駆け出して、まもなく、敵機関銃に撃たれ、全身蜂の巣となりただちに内地送還され治療に専念する。

この貴重な経験は、旅順戦の第1回総攻撃の、それもごく最初の段階でしか記憶なく、気がついた後は野戦病院のベットの中である。彼がその後の旅順戦の展開をその目で見たわけではなく、その生々しい記録、『肉弾』が、当事の大ベストセラーになった。

ために旅順戦すべてが、あの突撃攻撃にイメージ定着されたのではあらせんかのー。だいたい旅順戦はこのような場合が多いわよ。志岐守治の『●機密日露戦史』も、乃木さんに無謀イメージを定着させたな。
ポンポインター 2005-11-04 20:34:08 No.249609
uturigiさんや、君、手に入らない旧陸軍関係や、海外の記録は無理としても国内の乃木擁護の本ら、図書館で一応はザーツとでも斜め読みでも構わんから、この乃木弁護本も読んでから、乃木さん批判せにゃね。

斜陽と鐵血 津野田是重 兵書普及会ら直接に乃木の参謀として旅順、奉天まで彼の側で仕え、近くで将軍をかいま見た「旅順における乃木将軍」ら、乃木側からの本も読まにゃね、まあ、彼は松川敏胤と徹底的に仲が悪く、陸軍内部でも左遷の連続であり、退役時は少将との窓際族であるから、大分に割り引いて児玉・松川批判、乃木同情論は読まなくてはね・・・・。

だが、窓際族でもやはり彼は陸軍の人間だから、退役後も恩給や再就職で陸軍に遠慮がある。ためには軍界所属ではないが軍人の意見も大事であろうや。
盲人中佐の山岡熊司なんかの『旅順の覚え事』なんかどうやろかな。

第三軍情報参謀、旅順戦にて乃木の命により、降伏勧告の使として旅順のロシア軍司令部に行く。
旅順陥落後、奉天会戦に参加、敵弾を目に受けて失明する
退役し、民間人となった彼は、盲人教育に専念する。

第3軍の情報部にいた関係から、大本営対第3軍、満州派遣軍対第3軍の交渉軋轢を身をもって経験、それを後年、述懐したことを家族が綴る。軍に対する遠慮はなく、盲人としての鋭い感性から、乃木将軍の有能性を称えている。
uturigi 2005-11-04 22:48:43 No.249646
ポンポインターさん、乃木将軍に関する博識には敬意を表します。しかし、現実に起こった事実だけを見れば司馬さんであろうが私であろうが同じ結論ですよ。あなたは、第3軍が旅順会戦の作戦目的であるロシアの旅順艦隊を撃沈したのは、児玉総参謀長が指揮した第3軍であったという事実を認めないのですか。認めないのですか?
 旅順要塞の攻略方法は正面攻撃だけですか?包囲も迂回もあって良いでしょう。ポンポインターさんは中央突破である勇ましい正面攻撃だけを採用した伊地知参謀長を擁護しますが、それで乃木大将の指揮する第3軍は作戦目的は達成できたのですか?あれだけの損害を出しても作戦目的の達成は出来なかったではないですか?作戦目的が達成できなければ、「敗軍の将兵を語らず」ではないですか?
 戦いの原則にあるようにメッケル少佐も攻撃側は防御側に比して攻撃時期・攻撃方法の選択に主動性があることから、作戦計画・指導も融通性・柔軟性をもたせ、奇襲など行うことを教育したはずです。専門家は、実戦においては頑迷固陋に陥りやすい欠点のあることも教えたはずです。
 この結果が、大東亜戦争において日本陸軍は攻撃といえば、攻撃開始日は日本の記念日、攻撃方法は正面攻撃は採用せず、包囲、迂回しか採用しないということを米軍に見破られ、上級指揮官は、固定的な作戦しかしないと言われる一因となっているのではないでしょうか。 
ポンポインター 2005-11-05 00:54:00 No.249680
uturigiさん

頭が固いなー、203高地が陥落して旅順のロシア軍が降伏したのではない。正面の東鶏冠山砲台要塞が落城したから、背後から旅順市街をもう守るものなしと見て降伏したの。203高地越しの旅順湾砲撃により旅順艦隊が壊滅したからロシアは降伏したのではないぞよ。

陸軍は海軍との約束(旅順艦隊の撃滅)は果たした。だが、旅順要塞がロシア軍が頑張っていたら、第3軍あそこ動いて奉天に行けないじゃないかよ。日本海海戦の前に大山満州軍、クロパトキンに壊滅させられたら、日本はあの戦いに勝てなんだの。

もうちょっと戦略的意味にて第3軍の動き見えないのかよ。 クロパトキンが落胆し、ニコライ皇帝が激怒し、ステッセルが、軍法会議にかけられたのは、203高地が陥ち、旅順艦隊が撃滅したのではないの。関が原の奉天の戦いに猛将乃木を参戦させた旅順要塞の降伏なのよ。

203高地 203高地と局地戦ばかりを騒ぐは、上原勇作陸軍の煽り釣りに司馬さん同様に君まで引っかかっとれへんかな? 外国では203高地戦、完全に脇役戦となっとるぞよ。

何? 初期戦略の旅順艦隊の撃滅、目的を果たしたから203高地は日露戦の要やと? そうやよー児玉が長岡が松川が無理に無理に要にしたんやないのか?との説が昔からあるの。

無理に要にせんでも、第2回総攻撃の後、占領した南山披山砲台越に28センチ砲弾を撃ち込み、旅順艦隊を序々に撃沈、11月26日の第3回総攻撃、203高地に目もくれずに一点集中攻撃しとったら、戦局がガラリと変わった。たとえそれが成功しなかったとしても、正面の東鶏冠砲台は12月31日落城までは持たなかった。


ポンポインター 2005-11-05 00:55:32 No.249681
12月の初には旅順要塞降伏の可能性もとの説は昔から陸軍内部であるのよ。私も正面の敵は第3回の総攻撃にて
もうガタガタとなっている。203高地の戦死者5500人を出さなくても攻略の可能性大やと見るなー ドイツ観戦武官の意見に従うよ。

uturigiさん君、全然わかっとらんなー あれだけの損害
そう、あれだけの損害を出さぬにゃ旅順なんて落ちやせぬ。否、あれだけの損害だけでよく落ちた。要領のいい児玉の武功やないぜ、第3軍司令部と師団兵士がよく頑張ったの。言うてるやろー 初期戦略もなく予定の無かった要塞戦、弾薬補給も乏しく、よく戦い勝つたと誉めにゃ。

また君、おかしなこと言うなー 戦いもせず包囲だけしとったら、旅順艦隊撃滅できへんわなー それから乃木第3軍、いつまでたっても奉天進めーへんわなー。また迂回して簡単に旅順市街に入れれば、そんな鉄壁の守りの永久要塞なんて言われーへんわなー。

そんな、柔軟も融通も奇襲もあるかいな。コウエーの戦争ソフトゲームやっとるんと違いまっせー。ジリジリと間合いを詰めて一つ陣地を潰していくのが要塞戦でっせー。正面から行かにゃーどうやるんや?。

君やあのクリミヤ戦争の要塞戦の悲惨さもうちょっと勉強したらや。風船か凧でも飛ばして空から行くのけ?
前に説明したやろ、トンネル奇襲でもその前提は正面なんやわ。・・あーもうクタビレター。わかり遅いから。
uturigi 2005-11-05 12:53:51 No.249879
はっきり言いましょう。軍規模の問題を討議しているのですから、軍に与えられた作戦目的を達成したか否かだけが問題なのです。乃木将軍の第3軍は与えられた作戦目的である旅順要塞の正面攻撃から始まった要塞攻撃が頓挫して、旅順艦隊の撃沈まで作戦目的が達成出来なかったのです。そこで、異例中の異例の第3軍の上級司令部の作戦指導を受けることになり旅順艦隊の撃沈は児玉総参謀長が指揮したのです。旅順会戦の勝因は、第3軍の上級司令部の指揮官である大山元帥の作戦指導にあるのです。ポンポインター さんは、この本筋に装飾を加えて分かりにくくして第3軍を擁護しているとしか私には思えません。もう一つ、正面攻撃(突破)、包囲、迂回のいずれにしても、次の段階は戦果の拡張、追撃に移るのは軍事常識です。
ポンポインター 2005-11-05 23:12:56 No.250097
uturigiさん

単純無比の君が司馬さんの、203高地や! 203高地や! 203高地や!に煽られ、釣られ、振られるの素人やさかい仕方おまへんが、「●史観の大家」司馬さんまでが、●旧陸軍の某々筋」に簡単に騙され誤魔化されてはいけんと申しとるのですわ・・・。

前にも申しましたけれど、12月31日の第3軍の正面の敵、障害と申して宜しいでしょう。ロシアの東鶏冠山要塞が陥落した翌日の1月1日にステッセルは降伏を決意するのですぜー。

そう、誰が考えても、もちろん、第3軍の首脳部幕僚参謀部も、外国の観戦武官らも、日本の心ある軍首脳も、この要塞攻略が、この戦いの天目山中の天目山と心に定めていたのですせー。為に多大な犠牲を払いながら、一歩、一歩と勝利の土台を積みあげてるのですよ。、

この堅固要塞を陥とせば、旅順市街の制圧は簡単であると
そうやでー 乃木さんの受けた命令はこれやんす。
「貴殿の任務は、旅順のロシア軍を撃破し、●汝はただちに満州の陣に駆けつけるべし」

旅順は陥落すれば、湾に居るロシア艦隊は、軍艦の底にある詮を抜いて自沈するか、それともヤブレカブレで外洋に出て、東郷と一海戦し全滅するしか手が無いのですわ。
旅順港さえ押さえれば、そんな203高地越しに、無駄な28センチ砲弾、ボンボン撃たんでもさー。

203高地の仕事、ありゃ旅順攻略の仕事ではなく、海軍のお手伝いの仕事でしょう。いつからこれ旅順戦の、否!
日露戦の天目山になっちまったんやろー。こんなとこ外国の観戦武官は、目にもしちれへん相手にもしとれへん。

日本だけや、バルチック艦隊の来航=旅順港の制圧としなければならんのに、いつの間にかバルチック艦隊=203高地陥落に話がすり変わってしもうたのー。そして、この203高地、乃木がよう陥せへん。



ポンポインター 2005-11-05 23:15:44 No.250098
自信喪失で神経衰弱・心神喪失になっとるから、友人の児玉が救援に来て、乃木を助けて、203高地陥として第3軍の危機を救ったとの、無茶口茶のアホらしい話となっている。アホらしいちゅことは、これは後から故意に「●ツ・ク・ラ・レ・タ」話ということさ。

10月26日、第2回総攻撃(南山披山越の旅順湾砲撃)
11月26日 第3回総攻撃(正面と203高地の2面)
12月05日 203高地戦(高地越の旅順湾砲撃)
12月31日 正面要塞陥落
1月01日 旅順のロシア軍降伏
1月25日 黒構台の戦い
3月01日 奉天大会戦(乃木第3軍参加)
5月27日 日本海海戦

203高地の日本国の死命を制する重要性どこにあったやろかー。うまくやってれば、乃木第3軍、黒構台の戦いに参戦してたかもしれへんぞー。203高地の余分の仕事さえなかったらな?。NHKテレビが「日本史発見」で、南山披山に観測所を立て、旅順湾を砲撃してロシア艦隊に重大な被害を与えたとの放映の下りよ。

従来、陸軍深部にあった乃木擁護論の応援部隊よ、司馬さんが、凡将どころか、あんな乃木禁治産者扱をすれば単純な君みたいな人が盲信する、これではいけんと思い企画を組んだんだろー。

そりゃ第3軍、あのままで旅順陥落すると思っているから、28センチ砲台の、明後日方向(203高地)への移動頑強に反対するのアッタリ前よ。伊地知さん、司馬さんのご主張の28センチ使用に全然反対しとらん。しとらんどころか、正面のベトン要塞の破壊や、山越しの旅順湾砲撃に使用しとるやぞ。

そんなせっかく勝ちが、ボンヤリと見えかけとるのに、せかくの勝機をなんでわざわざ外して、エンヤコラー、エンヤコラーと、この貴重な重砲を203高地まで引っ張らなあかんのかと思うとるから「児玉ー おみやー、何をトチ狂っとるんやー」と抵抗するわさ。
ポンポインター 2005-11-05 23:18:54 No.250099
えーかな、この南山披山越の旅順湾砲撃は10月26日あぞ、日本海海戦はその7ケ月の5月27日やぞ、いくら旅順湾封鎖艦隊の修理、海兵の訓練が有ると言えども、オツリがくるほど充分に期間はあるわ。 海軍がギャアギャア喚くから、山越湾砲撃やっとるが、28センチ弾はベトン要塞の破壊やわ。

大小の砲でセメントを、崩しても崩しても、ロシアもここは正念場と思うとるから、必死になって補修する。この破壊ー補修の一進一退の真剣勝負やっとるのに、海軍の頼みや、チョックラ方向かえて203高地攻めてみんか。

「閣下われわれは、旅順攻略に命を賭けてきたのです。多くの部下の命を奪ってきたのです。まず、要塞制圧です。これさえできれば、旅順艦隊を外洋へ追うことができます。何を今さら海軍の顔を立てて、203高地に向かうのですか。もうすこしです、どうか正面攻撃させてください」

オイラ、ようわかる。涙が出るほどよくわかる 正面要塞陥せば、ロシア艦隊の処置何んとでもなるのに、それを停止して、海軍のために山に一つの観測所を作るために、万の兵を犠牲にしなければならないのか? 観測所ならば、もう南山披山上に有るんじゃないか?これだよな。

オイラ第3軍、断腸の思いで203高地に向かったと思う。この口惜しさは、12月30日の東鶏冠山砲台要塞の総攻撃に表れてるよ。あれ、203高地をはるかに凌ぐ神気迫る攻撃だよ。もうロシア軍、あれには勝てない、もう降参するしか手がないやー。

だいたいが私に言わせれば山縣有朋が一番柄に合わない仕事にあったことが旅順の悲劇を生んだと思う。
参謀総長は度胸があり、大着な桂太郎がやっておればよかった。そうよ山縣首相でよかったんや。山縣は神経質にて心配症である、派閥つくりの軍政には向くが軍令には向かない。
ポンポインター 2005-11-05 23:21:49 No.250100
私が前にこのスレで述べたが如く、遠慮会釈なしにグイグイ押してくる海軍大臣山本権兵衛の旅順攻略要求に
「喧しいやー ガタガタぬかすなー もう少し辛抱して
待つとれやー 旅順の戦い陸軍の最初の戦略計画になかったんやー 準備がいるんや。砲弾の備蓄がいるんや。そんな簡単に攻めれるか、時間と段取りが必要なんや」

これでよかったんだよ。手探り状態で戦うのだから第1回の総攻撃の失敗は仕方なかったが、第2回攻撃を飛ばし、第3回攻撃を、充分なる砲弾備蓄準備のまま、203高地など目もくれずに、一点集中主義で行ったほうが11月中頃には旅順は落ちていたかもしれへんや。

それを、陸・海軍の協調とかの理由で、海軍の顔を立てるために、まだ準備も計画も中途の第3軍に「早く攻めろ、早く落とせ」と、現場もわからんくせに後から、急きたてる。

そりゃ海軍の気持ちはわからんわけではないよ。来年の2月ぐらいまでは大丈夫と思っていても、早ければ早いほうがいいに決っている。納期は今年一杯が限界や!って言うわ。バルチック艦隊来年の1月に日本来て、それで日本終りやと駆け引き張るわ。

可哀想に乃木さん、山本権兵衛の脅しの犠牲になった。次にこの脅しに縮みあがった、戦争素人の山縣の心配症の犠牲になった。次に軍事目的の心である旅順要塞の攻略に全身全霊の心血を注いでいるのに、要塞攻撃はお留守でも構わん。海軍の顔を立てて旅順艦隊をやっつけてくれ。

28センチ砲で南山披山越しに旅順湾砲撃しとったら、今度はそこを外して203高地に行けと言う。まあ、山縣は長州軍閥の親分だから、戦争知らんでも口出し仕方なしと思うていたら、後輩の参謀次長の長岡外史が、現場のこと何んにもしれへんと、東京の机の上から、あそこからドカーンと旅順艦隊撃て、ここからドカーンと旅順艦隊撃てと海軍さん御用聞きみたいなことばかり言うてくる。

ポンポインター 2005-11-05 23:24:15 No.250104
あんなんもん、第3回総攻撃の白襷隊なんか、山縣のゴリ押し作戦に決まっとるわ。あれ、いかにも彼の精神特攻のアリ方そっくりだわ。西南戦争の指揮、日清戦争第1軍の猪突猛進そのままや。

山縣や長岡だけでも煩いのに、ここに自分のゆうことを聞かなくなったために、山縣が長州閥の子分の児玉源太郎をケシかけて、満州から旅順によこしただけや。
もう寄ってたかって第3軍をグチャグチャにした。これが旅順戦の真相じゃないかな。まだよく乃木さん、ようクサらずに頑張ったよ。

さあこれだけの長談義したからもうえーだろう。
君の質問に答えてあげる。

>「軍に与えられた作戦目的を達成したか否かだけが問題なのです。」<

君、可笑しなこと言うなー 軍に与えられたのは旅順要塞の攻略だぞ。そんなロシア艦隊の撃滅なんて知らんこったわー。寄ってたかってコロコロ作戦目的変てって、何を達成するんや。

>「要塞の正面攻撃から始まった要塞攻撃が頓挫して」<

一歩一歩積みあげとるにに、その要塞攻撃を頓挫さしとるの、正面攻撃挫折させとるの、山縣やないかな?長岡やないかな?大山やないかな?児玉やないかな?山本やないかな?東郷やないかな? 君、何を言うとるんやよ。

>「旅順艦隊の撃沈まで作戦目的が達成出来なかったのです。」

司馬さんに釣られて話を誤魔化してはいけません。旅順艦隊撃沈は海軍の仕事です。乃木さんの仕事は旅順港を制圧してロシア艦隊を外洋に追い出すことです。作戦目的達成と思うことこそが日露戦争をよく知っていないのです。

ポンポインター 2005-11-05 23:25:28 No.250105
>「大山元帥の作戦指導にあるのです」<

大山元帥は作戦指導はしておりません。乃木に命令したのです。指揮権を一時剥奪する。その間、児玉を私の代理とする。ただ、これだけです。

>「ポンポインター さんは、この本筋に装飾を加えて分かりにくくして第3軍を擁護している」<

私の言ってることは、陸軍内部に昔からいくらでもあることなのです。特別難しいことではありません。いくらでも本に出てることです。君がただ読んでいないだけのことです。

>「旅順艦隊の撃沈は児玉総参謀長が指揮したのです。」

最後に申します、28センチによる山頂に観測所を設置し、山越砲撃は10月26日におこなっており、児玉が考えた訳ではありません。また、11月30日に一時203高地を落ちているのです。再攻撃は誰が指揮しても攻略できたでしょう。私は別に児玉が嫌いな訳ではありません。
ただ乃木に愚将説を」立て、児玉に名将説を立てるその異常さに疑問を感じているのですよ。
ヒラノエクスプレス 2005-11-06 00:27:17 No.250126
乃木大将が出てくる文部省唱歌の「水師営の会見」は名曲です。一度聴いていただきたいです(佐々木信綱:作詞/岡野貞一:作曲)。
xxxxxxxxx 2005-11-06 01:41:15 No.250149
uturigi君わ兜脱いだがよぃな。

水師営の会見:わし、わらべんころよく口ずさんでおって、明るい調子でうたっておったが、後年 本物を聞いてみると なんと物悲しい曲かと、びっくし。
これって鎮魂歌なのね。
uturigi 2005-11-06 14:48:27 No.250249
>大山元帥は作戦指導はしておりません。乃木に命令し>たのです。指揮権を一時剥奪する。その間、児玉を私>の代理とする。ただ、これだけです。
ポンポインターさん、これだけのことが分かっていながら、結論は乃木大将擁護説。驚きですね。また第3軍司令部内の戦闘時の描写も司馬さの方がポンポインターより説得力があります。貴方は私を単純無比とか素人といって馬鹿にしますが、私が書いた戦争に関する原則論で間違ったものはありません。「戦いの原則」論を単純無比でくくられるのでは話になりません。「簡明」であることも「戦いの原則」です。戦史は玄人の専用特許ではありません。乃木大将の大好きな人が、旅順会戦を評価すればポンポインターさんのような結論になるのでしょう。また、戦史は、歌でどうこう評価するものではありません。歌は歌です。つまり、情緒で見るものではありません。
 軍司令官が「一時指揮権を剥奪される」ということは司馬さんの「乃木軍司令官の評価」が「まとも」であることの何よりの証拠ですす。明治天皇と関係の深い方々や、ましてや神社に祭られている方の一般的評価を変えることに、司馬さんも大いに悩まれたと思います。しかし、後世の日本人に知らせるべきは知らせるべきだということで乃木史観を書かれたのだと思います。 
ポンポインター 2005-11-06 18:28:49 No.250290
uturigiさん

もう君との論争はこれでうち切りや。これ以上親切丁寧に
説明しても、それを理解してくれぬ頭脳の柔軟性があれへんならもう処置なしや。もっと乃木さん沢山の本(批判・擁護両方)を読んでから、乃木将軍論を語ることお奨めする、君のはどう考えても「坂の上の雲」一冊だけや。

小生は小さなる理由で、人を口汚く罵るのは嫌いだから、極力遠慮しながら、君にわかるようにわかるように言うてきた。だがいつも君、ピント外れに向かって行ったしまう。もう最後だからはっきりと言わしてもらう。

>「軍司令官が「一時指揮権を剥奪される」ということは司馬さんの「乃木軍司令官の評価」が「まとも」であることの何よりの証拠ですす。」<

大山巌も児玉源太郎も、こんなことはしたくなかったろう。旅順の後に満州の野戦で乃木第3軍の協力を仰がなくてはならないことわかっていたからな。

ハッハハ・・まだわからんかよ山縣有朋だよ。自分で乃木を第3軍司令長官に推薦しておきながら、心配症の彼、海軍より脅されたら、すぐに手のひらを返するが如く、これを切ろうとする。

初期戦略(旅順攻略)を勝手に変更(ロ艦隊撃滅)しながら、諸般の事情(陸・海協調)を理由にその負担を部下(児玉)に押しつけた。ただ、これだけのことよ。

そしてこのような無理無体が通用した時代だったと言うことよ。一時的の指揮権剥奪ではなく、山縣が主張する完全解任を反対したのは、伊藤博文、桂太郎って言うぞ。
西郷南州だったら、どうだったであろうか。
ポンポインター 2005-11-06 18:30:03 No.250291

「オイドンは乃木さんを、信頼してごわす」これ一発にて
海軍を黙らせ、そして乃木さんは奉天会戦ならぬ、黒構台の戦にも参加して活躍していたことであろうや。
だが、山縣、動ずる姿勢なく、総帥の貫目でドーンと構えにゃいけんのに、軍曹・伍長の如くコセコセとこまめに動いたと言うこと。

山縣有朋、無能ではないよ、軍政(軍隊を作り、平和時の維持運営)に関しては、これほど素晴らしい傑物はいないよ。明治軍閥では最高の男だよ。

でも西郷さんにはなれないんだよ。軍令の長たる参謀総長であったことが乃木第3軍の悲劇ってこったわ。
大山巌の対乃木評価ではないの、児玉源太郎の対乃木評価ではないの。桂太郎の対乃木評価ではないの。山縣有朋の乃木評価ってこと。

だが、大山も児玉も桂も偏見評価であろうとも、先輩山縣有朋の意見を聞かざるを得なかった。そうゆう時代であった。当事の政界・軍界における山縣閥から言っても、乃木の「指揮権の一時剥奪」は止むを得ないであっただろう。

だがそれを「乃木無能説 乃木愚将説」で振りわっては駄目よ、明治の政界・軍界の勢力図、さらに日清戦争時の
山縣閣下の内地送還らも頭の隅に入れて乃木さんを批判してやってー。と小生頼んどるのだが。やはり頭の固い君では無理やろなー もうアキラメタわー。
uturigi 2005-11-06 22:35:07 No.250320
 この掲示板も終わりのようですから、お互いあきらめましょう。ポンポインターさんの記述からすると、私は山縣閣下の方が乃木将軍の性格を良く見抜いていたような気がしました。(また、ポンポインターさんと反対のことを言って申し訳けありません。)
 乃木大将の評価については、分かれていますから、
私の頭は固いといわれてもかまいません。会社を潰した責任はその会社の社長であり、軍では作戦結果の良否でその能力を判断されるのは、その軍の司令官です。有事でも平時でも、上級司令部からの方針の変更(干渉)はいくらでもあります。だから、それらの方針変更干渉応じた状況判断が出来るように軍隊では長に、それぞれの任務に応じた階級のものが、司令官に任命されるのでしょう。第3軍司令官は乃木大将だったのです。
 乃木大将擁護派は、児玉参謀長が旅順に来る以前にすでに203高地奪取の方針に転換していたのだから、児玉参謀長に指揮権を委譲しなくても203高地を奪取することはできたと言う人もいます。確かに、ポンポインターさんが言われるように複雑な事情はあったでしょう、でも、神聖なる指揮権を委譲をしてしまったことは、事実です。親任官がすべきことではない。「覆水盆に帰らず」です。仰るとおり私は「坂の上の雲」中心で、固い戦史だけの本など読む気もしませんでしたが、ポンポインターさんのおかげで勉強になりました。有難うございました。また私は営業は絶対出来ない技術系ですから、人のどうこうは苦手ですので無視する傾向があります。失礼のだんお許し下さい。
rei 2005-11-06 22:51:12 No.250324
尋常小学唱歌"水師営の会見”を明治生まれの父と歌っているうちに、9番までの歌詞を覚え、乃木大将が如何に精神的に高潔な人であったかがしのばれました
 それで、乃木大将の真実が知りたくて、”「坂の上の雲」では分からない旅順攻防戦”を買って読みましたところ、思っていた通りの人だと分かりました。
 ボンボインターさんとuturigiさんの攻防戦面白く
拝読いたしました。
xxxxxxxxx 2005-11-06 23:13:45 No.250330
もぅ書けないのかにゃ?
1
YouTube 公式サイト正式オープン ベターライフ番組表 番組配信スケジュールはこちら チャンネル桜のあの人気番組がDVDに!!