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日本の冤罪を晴らす(4)

啓蒙主義者 2003-09-21 17:47:18 No.3778
満州国:幻と消えた王道楽土

(壱)よく15年戦争という言葉を聞く、これは「一連の戦争は
満州事変から始まる日本帝国主義の侵略戦争の歴史だ」という
趣旨で、左翼が間違った歴史観を押し付けるための常套句
であり、実際には、満州事変、支那事変、大東亜戦争の
いずれも、それぞれ全く違ったものである事は間違いない。
支那事変および大東亜戦争については、日本の冤罪を晴らす
シリーズの(1)および(3)で書いたので、欠けていた
満州事変編を(4)として今回2年ぶりに書き下ろす事にした。
満州事変は日本軍が侵略を仕掛けて、傀儡国家を作ったのだと
信じている人が未だに多い様なので、そうではないという真実
を明らかにしたいと思う。
内容的には、大部分は「満州国の遺産」(黄文雄著)より引用
させて頂いた。

(1) 満州は満州であって中国ではない
満州は、ほぼドイツとフランスを合わせたほどの面積があり、
現在の日本領土の約3倍近い広さがある。
現在中国は「満州は中国の「絶対不可分の固有の領土」である」
という屁理屈をこねまわし、満州を「中国東北部」と無理やり
呼ばせているが、これこそ歴史の歪曲に他ならない。
中国が日本の敗戦のどさくさに紛れて満州を占領し、満州から
不当に搾取をしている現在を除いて、漢民族が満州を支配した
事は歴史上一度も無い。「清」帝国は、満州族が中原を支配
したのであって、漢民族が満州を支配したのではない。
万里の長城が北京のやや北にある事自体が、漢人が中国は
ここまでと思っていた何よりの証拠である。
清朝の開祖ヌルハチは、自ら後金国を「満州国」と表記し、
太宗ホンタイジは、1635年に自分の民族名を「女真」では
なく、わざわざ「満州」と呼ぶように命令を出している。
また、かつて満州にあった中国共産党が「満州委員会」を
自称していた事実がある。
満州国建国とは、中華世界の一部を分離させる謀略という
よりも、かつて中華世界の外にあった国家を再建するという
単純明快な事であった。
言語学的にみれば、満州人は日本人やコリア人と同じ
「ツングース語系」に属する。
つまり、漢民族よりも、日本人やコリア人に近い。
満州は満州である。中国共産党のご都合主義に合わせて、
中国東北部等と呼んではならない。
啓蒙主義者 2003-09-21 17:49:14 No.3779
(弐)(2)満州国建国までの近代史
日清戦争後の下関条約で日本は遼東半島を割譲されたが、
独仏露の三国干渉で権利を放棄させられた。
ロシアは、その直後に、その干渉の謝礼として清国から
遼東半島の特殊権益を得た。
北清事変(義和団の乱:1900)をきっかけに、ロシアは
満州に出兵し、義和団鎮圧と共に全満州を占領した。
しかし、日露戦争に日本が勝利した結果、北満州はロシアの、
南満州は日本の勢力下に置かれた。
つまり、満州事変直前の時点で、満州は、日ソ両国の勢力と、
満州軍閥の二重の支配下に置かれていた。
満州事変後、ソ連は満州に対する中立不干渉主義を表明した。
当時のソ連は、第一次経済開発五ヵ年計画を推進中で、
関東軍と事を構える余裕が無かった。

(3) 満州事変当時の満州の状況
当時の中国は、中央政府が地方を制御できず、まさに、日本や
中国の戦国時代の様相を呈し、国の体をなしていなかった。
そのため、どの列強であれ、そこに産業を興すには、
利権を獲得し、自国の軍隊を送り込んで地域の安全を確保し、
その中で産業を興し、守るしかなかった。これが、
各国軍が中国に駐屯しなければならなかった理由である。
他方中国に一歩入ると、どこに行っても旧態依然とし、
犯罪の多いという事では、地獄に近い土地であった。
清王朝崩壊後の満州は、匪賊が跋扈し、張作霖、張学良を
はじめとする軍閥が民衆から厳しく税金を取り立てていた。
張学良の支配下で、満州の民衆は日毎に地獄に落ちて行った。
満州の民衆にとって「保境安民」こそが心からの望みであり、
満州合衆国の建国は、民意と時代の潮流と見なければならない。
清帝国は崩壊したが、満州人の国家再建をもくろむ勢力も
あった。有名な宗社党という満州人の一部だけでなく、
いわゆる満蒙独立運動がずっと続いていた。
満州国建国は、満州、モンゴル民族にとっては、国家再建
という復国の夢であり、また五族協和といわれるように
諸民族の新国家建設の夢でもあった。

(4)満州事件の原因
ソ連は東支鉄道および満州の北西地域を完全に影響下に収め、
中国共産党を支援して東満州に共産党の遊撃区を構築して、
反日闘争を展開した。
啓蒙主義者 2003-09-21 17:50:36 No.3781
(参)これにより、大正中期より東満州は共産パルチザンによる
暴動の巷となり、昭和6年までに108件に及ぶ事件が起った。
その結果、満州の日本人社会においては、次は中国共産党の
正規軍による反日暴動が起るのではないかという危機感が
高まることとなった。
一方、満州の支配者である張親子は、アメリカの力を背景に
しながら、この地方における排日運動を推進した。
満鉄への経営妨害、炭鉱など鉱山の採掘権の否認、鉱物の
輸送制限、付属地の買収禁止、その他の農林水産業への
妨害、二重課税などの不当課税による商業活動の妨害、
日本人やコリア人への立ち退き命令などが行われ、
これらによって、日本人居留民の生活は危機に瀕した。
これらの多くの排日事件の中で、日中間の外交交渉の
俎上に上がった「日支懸案」件数は、昭和2年に31件、
3年に37件、4年に77件、5年に95件の合計
240件に及んだ。
これに在満コリア人(当時日本国籍)への迫害や殺害事件
などを加えると、事変発生当時、満州をめぐる日本と中国
との間の懸案事項は実に300件を超えた。

そしてついに、昭和5年に間島省で日本人44名が殺害され、
昭和6年6月に中村震太郎大尉殺害事件(大興安嶺東側地帯の
軍事地誌調査に向かっていた中村大尉一行が、6月27日に、
興安屯墾第三団長代理・関玉衡に捕まり殺害された。)が、
7月に万宝山事件(長春郊外で起きた、漢民族とコリア族との
農民衝突)が起った。

満州事変時点では、満州では日本人居留民が生活できない
状態までに到っていた。
しかし、日本国内の幣原外相は、満州居留民の窮状を理解
できず、英米と協力してワシントン体制を守る理想主義的
協調外交を墨守しようとしたために、ここを中国側に
つけこまれ、かえって排日運動を激化させてしまった。
満州事変は、以上のような夥しい排日事件が繰り返された後、
これを根本的に解決するために起った事変であった。

(5) 満州事変の展開
絶え間ない排日侮日運動に耐え切れずに、
関東軍はついに行動を起こした。
昭和6年9月18日、満州事件が柳条湖で勃発した。
ほぼ3日で関東軍は満州の中央部を抑え、朝鮮軍は東部を
確保し、残るのが満州北部と、長城線に近い西部だけとなった。
日本軍は1万5千人の関東軍の兵力のみで、30万の張学良軍
をわずか3ヵ月半で満州全域から追放した
啓蒙主義者 2003-09-21 17:52:04 No.3782
(肆)まさか、ごく少数の関東軍が攻めてくるとは夢にも
思っていなかった張学良軍は、熟睡中に30センチ砲轟音に
度肝を抜かれ、そのまま逃散してしまった。
この時の戦略の見事さは、天才石原莞爾の面目躍如であるが、
やはり満州の民衆の全面的支持があったから可能であったと
みるべきであろう。
張学良軍は、民衆から見放されて追放されたのである。
満州事変後、首都奉天の趙市長は「日本軍隊が張学良と
その軍隊を殲滅し、大悪人の手から満州人民を救い出して
くれたことに対して、深く感謝する。」と
日本に対して感謝している。

(6) 満州事変・満州国は現地人から支持された
日露戦争に勝利を収めた日本人は、ロシアの南進を阻止する
ため、血と涙と汗で満州を開拓した。そこに近代産業を建設し、
張作霖、張学良親子による軍閥的搾取から民衆を解放し、
戦乱の中国本土から隔離された桃源郷として、戦乱から逃れて
来た年間百万人の流民の王道楽土となった。
軍閥による満州支配は苛斂誅求を極めた。そのため、
満州国は、中国人にとっては充分「桃源郷」であり、
毎年百万人余りの流民が長城を乗り越え、満州に流入した。
日本人のやり方は、西欧列強諸国がアジアで行ってきた
植民地支配、収奪とは全く異なっていた。近代国家建設の
理想と情熱をもって立ち遅れた満州を開発し、
わずか13年半という短期間に、近代社会を築き上げたのだ。

(7) 満州国は傀儡国家だったのか?
元満州中央銀行参事の古海忠之氏によれば「関東軍は
対ソ防衛が主任務で、満州国の政治防衛に干渉する事は全く
無かった。関東軍指令官の満州国に対する内面指導も、
政府に対する強圧干渉はまず無かった」としている。
古海氏の述懐はほぼ歴史的事実と一致する。
新興国の成立期には、他国の協力、影響が不可欠な局面が多い。
アメリカのイラク復興支援も同様な状況と思われる。
日本人は明治維新以来、既に60年以上も近代国民国家の
歩みを続け、国家建設に重要な豊富な経験の蓄積があったので、
日本の「内面指導」が近代化社会建設には必要であった。
日満関係は、「日満一体」という一連托生の国家と国家の
関係であった。これを傀儡国家というのは、北朝鮮をソ連や
中国の傀儡国家と呼ぶのと同等、無理な話である。
啓蒙主義者 2003-09-21 17:53:07 No.3783
(伍)昭和3年の秋に満州を視察した米モルガン財団の
ラモント代表は、国務次官に宛てた手紙にこう書いている。
「満州は、支那全土で殆ど唯一の安定した地域である事を
認め、日本人があってこそ、満州は支那問題の不安定要素が
消えて、安定勢力となる事が期待でき、日本の満州開発は、
中国人の利益となっているのだ。」

(8) 満州国への日本の投資
建国後13年半にして、満州国は北東アジアの重工業の
中心地となり、飛行機や自動車まで作れる一大近代産業国家
にまで成長した。
満州国は、中国では絶対にありえない安定した社会を実現した。
中央と地方の行政機構の整備、財政と貨幣の統一、
交通の一元化、産業経済の急速な発展を実現した。
第二次大戦後、満州は中国の重工業生産の九割を占めた。
中国を支えてきたのは、満州国の遺産であった。満州国の遺産
を食いつぶした後、始められたのが、改革解放路線である。
満州は主要な重工業基地であった。豊富な自然資源、発達した
交通網、そして科学技術力を持っていた。
中国の鉄鋼、エネルギー、機械製造、林業、食料基地として、
中華人民共和国を支えてきた。一人当たりの工業生産額は、
中国6大地区のトップを独走してきた。

近現代史を客観的にみれば、先進列強各国は近代的産業を
建設し、近代社会システムを教える事で、むしろ中国の
近代化に貢献したというのが史実であろう。
現在の「経済特区」は、かつての「租界」そのものである。
中国は、他国に寄生するしかない他力本願の国家なのである。

当時殆どの中国人は、字さえ読めない無学文盲の民であった。
現在でも、7割以上の中国人が、字が(殆ど)読めない。
彼らを搾取、略奪していたのは、列強諸国というよりも、軍閥
と、文字を知る知識人といった一握りの中国人自身であった。
中国という国は、それが常態であった。

(9) リットン調査団
昭和7年、国際連盟は、満州にイギリスのリットンを団長
とするリットン調査団を派遣し、その報告書にもとづき、
日本軍の満州からの撤兵と、満州の国際管理を勧告した。
日本が、その血と汗と涙で築き上げた満州国を放棄する
事は、日本の今までの努力を全て無にする事であったし、
これを受ければ日本人は満州に住めなくなるのは余りに
明白だった。日本代表、松岡洋右は「桜の花の散り際」と
言い放って断固これを拒否し、席
啓蒙主義者 2003-09-21 17:54:14 No.3784
(陸)日本はその後、満州国を正式に承認し、国際連盟から
脱退した。日本が、その生命線たる満州の利権に興味を
持つ国際連盟の列強から、ここまで虚仮にされては、
脱退はやむをえぬ判断であったと思われる。

中国の事情に通じた外国人の中には、日本の行動を
中国側の破壊活動に対する自衛行為と認める者もいた。

(10)731部隊
満州・中国は、今でも生水など飲めない不衛生な土地である。
石井四郎率いる731部隊は、伝染病対策、水対策のために
存在した。ゲリラによる細菌攻撃に備える必要があり、
不慮の事態に対応できるのは軍隊だけである。
このような部隊は、現在でも、どの国にでも極秘に存在する。
細菌兵器による敵襲に備えておくのは、当然の事である。
満州国建国後も頻繁にペストは発生し、各地で多くの死者を
出していた。昭和15年には、首都新京ですらペストが発生し、
その防疫活動の指揮をとり、首都をパニックから救ったのは
石井であった。人体実験を行った等と大嘘を言われるが、
そのような事実は何処にもない。証拠もない。

(11)まとめ
満州国の崩壊は、アジアの理想の崩壊であった。
満州国とは、第二のアメリカ合衆国を東アジア東北部に
築き上げる事が果たして可能であるかどうかという大きな
実験でもあった。これは可能であった。
日本が戦争に負けなければ、今ごろ東アジアは、
大東亜共栄圏の許、もっと繁栄をしていた事だろう。
コリア、台湾の人たちは日本人として、満州国民は、
日本の盟邦の国民として、繁栄を謳歌していた事だろう。
アメリカが日本に無理な戦争を仕掛け、日本を敗戦に
追い込んだことが、東アジアに不幸を齎した。
王道楽土、満州国は、アメリカによって夢とされてしまった。
五族協和、王道楽土を謳った満州国は、決して、日本の傀儡
国家などではなく、どの民族にとっても桃源郷であった。
日本が満州事変を仕掛け作った満州国は、その住民に
とって至福の時を齎した。
満州国建国は間違いではなかった。
啓蒙主義者 2003-09-21 18:03:15 No.3786
(伍)の最後の文章
席を蹴って退場した。
ふらくたる 2003-09-21 22:51:27 No.3800
・・・いやいや、なかなかの力作でした。

シナという国は、過去に一度でも覇権の及んだ所はすべて
自国の領土だと思っている始末のわるい国です。

満州、台湾、チベット、ウイグル地区、外蒙古・・
これらの地区は言語、文化、民族、宗教などなど、どれをとっても
シナとは異なるわけですから独立国としての資格があります。

インド周辺でいえば、スリランカは台湾に、パキスタンは
満州に、ネパールとブータンはウイグル地区に、外蒙古は
アフガニスタンに置きかえられそうです。
バングラディシュやミャンマーだって立派に独立しています。

だいたいあんなでかい国が一つであるのがおかしいのです。
私などは10ぐらいに分割したほうがうまく治まると思っているぐらいです。
支那の「領土権」主張   酒呑童子 2003-09-22 00:55:12 No.3807
啓蒙主義者様

見事な力作です。今後とも宜しくお願いします。

ふらくたる様

支那はですね。過去に一度でも覇権の及んだ所は全て自国領だ!では終わらないのです。モンゴルや満州族を自国内の「少数民族」と強弁しているので、それらが征服した領土まで「自国の領土だ!」と主張しているのです。

モンゴル、カシミール、ネパール、シッキム、ブータン、アッサム、ビルマ、タイ、ラオス、カンボジア、ベトナム、マレー半島、朝鮮半島、沿海州、アムール州、樺太、これらを全て「中国領」と記載してある地図を学生時代に見ましたよ。今は亡き倉前盛通著『悪の論理』という本です。
啓蒙主義者 2003-09-22 10:03:29 No.3813
コメント有難うございます。頑張って書きました。
中国人は本気でこんな事を言い出しかねません。
「中国人が住んでいる場所は、何処でも中国の領土だ。
 したがって、世界中が中国の領土だ。」
こういう事を本気で言う様な人間は怖いですね。
もし、本気で信じているなら、アホですね。
身近に生きている満州 2003-09-23 01:20:53 No.3839
(あきのり・T)
 考えてみると…私が生まれた時、家に満州人がおりました。年の離れた満州生まれの父方の従兄弟(日本人)です。学生で下宿していました。
 従兄弟が…中国系らしい台湾の人と縁あって外国で結婚したという知らせを思い出しました。
 仕事で出あった同僚は、そうしてみると満州人二世の日本人でした。そういえば…義理のの叔母も満州生まれです。満州に近年旅行し、日本が築いた町並みが残っていた?との話でした。(私事で申し訳ありません)
 ほとんど意識にありませんでしたが…自分は、満州に囲まれて来た(何も考えず)ことを認識するべきだと思いました。歴史の記事を拝読いたし…一瞬、心が凍りつくような思いが…。(自分たちのこととして)
 いくらかの歴史知識として断片的にあった以前と…これからは違う感覚でとらえることになりそうです。ありがとうございました。
2004-03-25 00:30:10 No.18494
発言者自身により削除されました
啓蒙主義者 2004-04-17 21:20:30 No.23803
ご参考
啓蒙主義者 2004-04-18 05:10:59 No.23892
これも
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