「日本文化チャンネル桜二千人委員会」発足 南京の真実
SO-TV

旧掲示板

日本の冤罪を晴らす(6)

啓蒙主義者 2004-12-11 12:52:10 No.93957
- 強制連行は無かった -

コリアンの強制連行について、まとまった形の資料が
欲しいという要望があったので、これは無かったという
真実を明らかにしておきたいと思う。
内容的には、『「強制連行」はあったのか』(日本政策
研究センター編)より引用させて頂いた。

(1)はじめに
在日韓国・朝鮮人および韓国・北朝鮮政府は、自分の
利益のために、ありもしないコリアンの強制連行の話を
持ち出すが、これは、正しくためにするための議論で、
このような事実は初めから存在しない。
日本人は、この事実を正しく認識しておく必要がある
ので、ここに「強制連行は無かった」ことを論証する。

(2)発端
「強制連行」という言葉は、戦前にも、戦中にも存在
しなかった。
この言葉は、昭和40年に出版された朴慶植著
『朝鮮人強制連行の記録』(未来社)に始めて現れた
とされている。
この本は、在日朝鮮人であり、当時、朝鮮総連傘下の
「朝鮮大学校歴史地理部」の教員だった著者が、
北朝鮮のイデオロギーと一致させるために、何としても
「強制連行」に関し、理論付けをするために書いたもの
であることを考えれば、トンデモ本であることは明白
であろう。
北朝鮮は最近まで「強制連行は600万人」と主張して
きたが、その数字はむしろこの本に基づいているの
ではないかとも思われる。

(3)数字のデタラメ
朴氏は同書にこう書いている。
「1939年から45年までに、日本に徴用された
もの100万人、朝鮮国内で動員されたもの450万人、
軍人・軍属37万人を含み合計600万人が戦争に
駆り出された。」
これで「強制連行600万人」というのだから、
無茶苦茶というほかない。よくも、恥ずかしげも無く
こんなことが言えるものである。
「朝鮮国内で動員されたもの450万人」まで
「強制連行」に入っている。(記録によれば、朝鮮国内
で徴用されたものは、約4.3万人に過ぎない。)
どういう計算をすれば、450万人になるのだろうか。
実は「道内動員」として414万人という数字が含まれ
ている。この「道内動員」は何かと言うと、道(日本の
県)内での職業斡旋や自由募集を含むのだが、実態は
「勤労報国隊」、つまり、村や学校、会社などで行わ
れる勤労奉仕である。
啓蒙主義者 2004-12-11 12:53:29 No.93958
(二)つまり、「勤労奉仕」を「強制連行」と位置づけ
るのである。デタラメという他はない。これだけで、
すべての内容がデタラメであることが明白である。
こんなことを本気で言う人間は気が狂っている。
信じる人間も気が狂っている。

(4)歴史的事実
国家総動員法に基づいて、昭和14年に策定された
「朝鮮人内地移送計画」によって、コリアンの労働者が
半島から日本内地に集団的に移動したが、その総数は、
厚生省の統計で66万7684人、内務省の統計で、
ほぼ63.5万人とされている。

まず昭和14年9月から「自由募集」という形で戦時
動員が始まる。
これは炭鉱、鉱山など内地の事業主が、厚生省の認可と
朝鮮総督府の許可を受け、総督府が指定する地域で
労務者を募集し、それに応じた人たちが内地に集団渡航
するというものである。
昭和16年までの3年間で渡航したコリアン労務者は
14.7万人であった。

次に、昭和17年から「斡旋」という方式がとられた。
これは、企業主が朝鮮総督府に必要とする人員の許可
申請を出し、総督府が道(日本の県にあたる)を割り
当て、道は郡、府を通じて邑、面に人員の割り当てを
行う、つまり行政の責任において労務者を募集する
というシステムであった。

最後に、半島において、「徴用」という強制力を持った
戦時動員が行われたのは昭和19年9月以降である。
(徴兵も、昭和19年10月にやっと実施された。)
この徴用では「国家から命じられた職場で働く義務が
あり、その工場なり事業場の事業主とは使用関係に
たつが、直接雇用関係に立たず、(被徴用者は)
あくまで国家との公的関係にある」(朝鮮総督府
『国民徴用の解説』)ということになり、徴用先も
労務管理の整備された職場に限られ、給与も法定され、
留守家族援護から収入減の場合の補償にいたる援護策が
講じられた。
また、同様な措置が「斡旋」に応募して既に稼動して
いる者にも現員徴用として適用された。
しかし、「徴用」による日本への送り出しも、
20年3月末には、関釜連絡船の運航がとまり、
わずか「7ヶ月」で終わる。
啓蒙主義者 2004-12-11 12:55:43 No.93959
(三)昭和17年1月から20年5月までの間に、
「斡旋」および「徴用」により、日本に渡航した
コリアンは52万人となっている。
しかも、そのうち、昭和19年から20年に渡航して
きたものは、わずかに4304人に過ぎない。
(昭和34年の法務省の在留外国人統計)

以上をみれば、半島における戦時動員は、内地より
遅れて、しかも緩やかに実施されたということがわかる。
内地における、日本人の勤労動員の方が厳しかったと
言える。

(5)最もシンプルな反論
「強制連行」という言葉は、日本人ではないということ
を強調したいために、コリアンが意図的に誤用している
言葉に過ぎない。日本人がこれを信じてはならない。
少し考えれば誰でも分かることだが、日本政府が日本人
を「強制連行」することは、論理的にありえない。
当時は、半島は日本の領土であり、コリアンはすべて
日本人であった。政府が戦時中に自国民を「戦時徴用」
するのは当たり前のことでどこの国でもやっていた。
「戦時徴用」に関する限り内地の方が条件が厳しかった。
コリアのルサンチマン文化に象徴される丸出しのひがみ
根性に基づく言葉の意図的誤用である「強制連行」など
という言葉を信じてはならない。
「強制連行」など最初から無かった。
「言葉を意図的に誤用するな!」それだけの話である。
コリアンは分かってやっている。彼らは自分の利益の
ためには嘘八百を平気でつく。そのようなレベルの人間
であることを忘れてはならない。
彼らの嘘に騙されてはならない。
鄭大均・都立大学教授はこう述べている。
「日本人もコリアンも当時は大日本帝国の臣民であった
ことを忘れてはならない。「労務動員」とは戦時の
大日本帝国の臣民に課せられた運命共同性のような
もので、殆どのコリアンは、それを当然の義務や運命と
考え、従属的に参加していたのである。」
(中央公論・平成14年12月号)
啓蒙主義者 2004-12-11 12:57:04 No.93960
(四)(6)内地への移住を熱望するコリアン
半島から内地に渡ったのは動員によるコリアンだけでは
なかった。戦前の日本には戦争動員とは別に、自ら
希望して内地に渡ってきた大量のコリアン移住者がいた。

在日コリアンの数は、明治44年末にはほぼ2500人
であったが、大正10年末には3.8万人となっている。
さらに昭和2年末には16.5万人、昭和13年末には
80万人と急増している。
まだ戦時動員が始まっていないこの時点で、現在の
在日韓国・朝鮮人の数を既に17万人も上回っている。
多くの場合、内地に出稼ぎに行って、そのまま定住した
場合が多いようである。

昭和14年に戦時動員が始まってから終戦にいたるまで、
戦時動員と並行して、何倍もの出稼ぎ渡航が続いた。

「募集期間」(昭和14〜16年)に内地に渡航した
コリアンの総数は107万人だが、そのうち、募集に
よるものは14.7万人(14%)に過ぎない。
つまり、募集の何倍ものコリアンが、自ら希望して
日本に渡ってきて定住している。

昭和17年1月から20年5月までの間に、「斡旋」
および「徴用」により、日本に渡航したコリアンは
52万人となっているが、この間のコリアンの渡航者は、
これを含み130万人であることをみれば、自ら希望
した渡航者の方が多いことがわかる。結果として、
終戦時には200万人を上回るコリアンが内地にいたと
推定されている。

いずれにしても、戦時動員と並行して何倍ものコリアン
が自ら希望して内地に渡航し定住した事実を見れば、
「嫌がるコリアンを無理やり内地に連れて行った」
という「強制連行」の主張が、如何に自己の理論を
正当化するためにでっち上げられた間違ったイメージ
か良くわかる。

一つの例をあげれば、「斡旋」により内地に来た、
姜壽煕という人は、こう証言している。
「日本は天国だと思っていました。村から日本に行った
人が帰ってくると、洋服を着て中折帽子を被って革靴を
履いているんです。親は親で『うちの息子は日本から
帰ってきて、革靴を履いている』と自慢していました。・・・・・そのころは、朝鮮では村一番の金持ちの子供
でも革靴など履けなかったのです。・・・・ですから、
『日本に行け』と言われた時、そんなに抵抗感も
無かったです。」
啓蒙主義者 2004-12-11 12:58:26 No.93962
(五)(7)コリアン労務者は高収入で環境も良かった
戦時中においては、内地人の巡査の初任給が月額45円、
事務系の大学卒の初任給が75円、上等兵以下の兵隊の
平均俸給が10円弱だった。

これに対し、動員されたコリアンの大半が就労した炭鉱
や鉱山、土木事業は、労働はきつかったが、その分厚遇
されていた。
九州の炭鉱での賃金は一日4から8円(平均5円)で、
これに各種手当がついて月収は150から180円、
勤務成績の良いものは、200から300円であり、
同じ職種では、日本人(内地人)徴用者に比べ、はるか
に良いのが実情であった。(昭和18年労働科学研究所
「半島労務者勤労状況に関する調査報告書」)

また、鄭忠海氏は、待遇の実態についてこう書いている。
「住居は新築された寮で、20畳ほどの広い部屋に
新しく作った絹のような清潔な寝具が10人分、きちん
と整頓されており、片方には、布団と私物を入れるの
だろう、押入れが上下二段になっている・・・・・
住についてはまずまずだ。また、食事は、食卓の前に
座っていると、やがて各自の食事が配られた。
飯とおかずの二つの器だ。いずれも思いのほか十分で
口に合った。」

鄭忠海氏は、終戦を迎えてからは、一日も早く帰国
したいと思い、「日本政府が用意した帰還船がもうすぐ
出るから待つべきだ」という周囲の声も聞かず、同僚
100人とともに一人400円を払って船を雇って
帰って行った。(つまり、400円を払える帰還
者が100人もいたということ。)
啓蒙主義者 2004-12-11 12:59:30 No.93963
(六)(8)逃亡も多く、のんびりしたものだった
実際には、動員された人間が逃亡することも多かった
ようである。
実際の逃亡朝鮮人取調べ報告書を引用する。
QUOTE
金山正捐(日本名)という人物は、昭和20年3月に
徴用され、河内長野の鋳鉄工場で働き始めたのだが、
そこで神農大律という朝鮮人の隊長(徴用者は隊組織に
なっていた)と衝突して、崔という同僚とともに7月末
に徴用先から逃亡する。ちなみに、その時点で金山が
所持していたのは250円。給与は書かれていないが、
5ヶ月で250円を貯めていたのだから、鄭氏と同じ
高給と思われる。
金山は崔と二人で闇の切符を買い、東京の立川まで行く。
立川駅前で出会った朝鮮人に小河内村にある飯場を
紹介され、そこで働くことになる。
8月2日には、さらに山奥に連れていかれ、運搬作業を
したが、仕事は半日で終わってしまった。それで日給は
15円。翌3日は、陸軍が管理するトンネルで同じ運搬
の仕事をして15円。4日は休んで東京見物。しかも、
高幡不動で別の飯場を見つけ、小河内村は「山奥デ淋シ
イカラ」ということでその翌日から高幡不動の飯場に
移る。その飯場には半島人が300人くらいいて、
防空壕を掘っていた。金山は、測量の手伝いや壕の天井
に板をさす仕事をして過ごす。そして終戦になった後、
「親切ニシテ下サッタ寮長ノ事ヲ思ヒ」「オ詫ビニ
寄セテ貰フ」ために、別に逃亡していた元同僚の金谷と
ともに、最初に徴用されていた大阪の河内長野の鋳鉄
工場に戻る。

もう一人の金谷の方はというと、金山と同じ徴用先から
一足先に逃亡したのだが、事前に遠縁にあたる宮津在住
の金村という人物と連絡を取り、京都府の宮津へ行く。
そこで飯場を紹介してもらい、海軍の防空壕堀りの仕事
をする。最初の半月で150円、後の半月はわずかの
日数しか働いていないが、200円くれたという。
しかし、仕事が辛かったので「長野ノ寮ノコトヲ、
イツモ思ヒ出シタ」と言っている。その後、別の仕事に
つくが、終戦後の9月になって、東京から金山がやって
きて、「北井寮長サンガ懐カシクナリ、謝罪シヨウト
思ッテ」金山と二人で河内長野の鋳鉄工場に戻ってきた。
UNQUOTE
啓蒙主義者 2004-12-11 13:00:50 No.93967
(七)これは、終戦前後の話であるが、何とものんびり
したもので、日本人の寮長の親切が身に沁みていたこと
が良く分かる。
「強制連行」のイメージとは、かけ離れている。

徴用先から逃げ出しても簡単に受け入れる環境が
あったし、その故に、職場からの離脱も容易だった。
賃金についても、法定されている徴用よりもこうした
「自由労働」の方が高いケースも多かったようである。

(9)具体的な判決例(引率も監視も無かった)
日本の法廷で争われ、事実関係が割合とはっきりした
ケースがあるので下記に紹介する。
QUOTE
金景錫という人物が、昭和17年10月、出身地の慶尚
南道昌寧郡昌寧面から「斡旋」に応じて川崎の日本鋼管
に労務動員されたことが「強制連行」「強制労働」に
あたるとして訴えた裁判である。
(但し、原告は動員先で当時の従業員から暴行を受けた
ために傷害を負い、重い後遺症が残ったことも併せて
慰謝料と謝罪広告を請求した。)
この訴訟は、一審の東京地裁で原告が全面敗訴した後、
会社側が違法性を認めないままで原告と和解した
(和解金410万円)ことをもって、いわゆる
「戦後補償裁判」では初の補償金などと報じられたが、
同時に、この地裁判決ではいわゆる「強制連行」
「強制労働」の実態についての判断も示されている。
判決文を要約すれば、つぎのようになる。
「強制連行」については、原告は「昌寧面長が原告の
父を脅かし、原告の兄・金景重を炭鉱に「徴用」する
かわりに、原告を動員して日本に行かせた。これは
「強制連行」にあたる」と主張した。
これに対し、判決は「まず、兄を炭鉱に徴用すると面長
が言った時点が、「国民徴用令(つまり強制力を持った
徴用)の発せられた時期」の前であること、さらに原告
の兄が何度か動員を免れていることからみて、
「被徴用者側の抗命を許さない強制」とは「積極的には
認定できない」」とした。
啓蒙主義者 2004-12-11 13:01:48 No.93968
(八)原告当人の「強制連行」については、事実関係に
基づき、判決は次のように指摘している。
「原告は、「斡旋」を受け入れたのち、【昌寧面から
京城まで誰にも引率されたり、監視されたりすること
無く】一人で赴いた。原告本人の供述によれば、
原告と行動を共にした他の朝鮮人労働者100名弱も
抵抗の気配も無く京城を発ち、釜山から下関へと渡航
したことが認められる。従って(総督府、郡、面など)
当局の積極的な斡旋によるものであったが、その当局の
強制によるものとまでは言えず・・・・・」と
「強制連行」を否定している。

他方、「強制労働」についても、「なるほど(原告が
住んでいた)第二報国寮における原告ら朝鮮人労働者の
居住状況は、狭く、汚く、かつ、プライバシーの
ほとんどない劣悪なものであり、川崎製鉄所の作業環境
も、高温、粉塵、落下の危険等による最低の水準にとど
まっていた」けれども、「原告は・・・・・それなりの
給料が支払われることを期待していた事、日本人労働者
と組んで働き、・・・・操作の難しい機械の運転を担当
する程度に労働技能に習熟したこと、予想していた金額
ではなかったが、現実に賃金の支払を毎月受けたこと、
川崎駅近くに出かけ書店で本を購入するなどの行動の
自由もあった」等の事情を考えると「処遇が奴隷的待遇
であったとまではいうことはできず、したがって、
原告を「強制労働」に屈従させたとまでは言えないと
判断した。
UNQUOTE
啓蒙主義者 2004-12-11 13:03:04 No.93970
(九)(10)在日には徴用者およびその子孫は殆んどいない
在日韓国・朝鮮人の殆どが「強制連行」の結果だ
というのは、事実にまったく反する。
昭和34年の法務省の「在留外国人統計」によれば、
在日韓国・朝鮮人のうち、戦時徴用が行われていた昭和19年から20年に渡日してきたコリアンはわずかに
4304人(政府の公式調査の結果)である。この数字
から、今日の在日の殆どは「徴用で日本に居住を強いら
れた人々とその子孫」ではないことが明白である。

(11)帰りたい者は帰還船で帰った
終戦後、日本は帰還船をしたて、帰国を希望する徴用者
を含むコリアンをすべて本国に送り返した。帰らなかっ
たコリアンは残りたくて残ったとしかいいようがない。

(12)文部省のおかしな行動
先日大学入試センター試験の世界史で、「第二次大戦中、
日本への強制連行がが行われた」という選択肢が正解
とされ、大きな問題になっている。
文部科学省の見解は「朝鮮での戦時動員として知られる
募集、官斡旋、徴用はすべて強制連行だったというのが
現在の「一般的な学説」」となっている。
募集が「強制連行」である訳がないだろう。
それでも文部科学省が強弁する背景は何か?
「近隣諸国条項」である。
まじめな役人がこれを守ろうとするとこう答えるしか
ないのである。
実は、文部省も「近隣諸国条項」の前までは事実に
のっとって正しく検定を行ってきたのである。
また、政府内部の研究や資料も「強制連行」を認めて
いない。
「近隣諸国条項」がすべてをおかしくしてしまった。
「強制連行」説を巡って、外務省が拉致問題の解決の
ために、「北朝鮮の言う「強制連行」は根拠が無い」
と主張しているのに、文部科学省が「強制連行」を
受け入れ、教科書の記載を許し、センター試験にまで
出題する状況がいつまでも続いて良い訳が無かろう。
「近隣諸国条項」は即刻、削除するか、実際の運用を
停止せねばならない。
啓蒙主義者 2004-12-11 13:03:59 No.93971
(十)(13)まとめ
以上、コリアンの「強制連行」など初めから何も
無かったことは明々白々である。
「強制連行」という言葉は、日本人ではないということ
を強調したいために、コリアンが意図的に誤用している
言葉に過ぎない。日本人がこれを信じてはならない。
繰り返すが、日本政府が日本人を「強制連行」する
ことは、論理的にありえない。
「戦時徴用」と正しく言うべきである。
政府が戦時中に自国民を「戦時徴用」するのは、
当たり前のことでどこの国でもやっていた。
「戦時徴用」に関する限り日本の方が条件が厳しかった。
コリアのルサンチマン文化に象徴される、丸出しの
ひがみ根性による言葉の意図的誤用である「強制連行」
などという言葉を信じてはならない。
「強制連行」など最初から無かった。
「言葉を意図的に誤用するな!」それだけの話である。

また、戦時中のコリアンの半島内での「勤労奉仕」を
「強制連行」であると主張するに至っては、言葉の
意図的誤用を通り越して、正に「イデオロギーを主張するためのデタラメな言いがかり」としか言いようがない。
「「勤労奉仕」と「強制連行」の区別もつかないような
寝とぼけたことを言うな!」と一喝するのみである。

なお、「中国人の強制連行」という、中共の仕掛けた
完全にデタラメな話もあるが、話を余り長くしたくない
ので、この話は今回は割愛する。
必要があれば、その問題が起こった時点で書き下ろし
たいと思う。
駿河山人 2004-12-11 16:19:28 No.94021
日本の韓国併合は、当時の朝鮮がロシア帝国の南下政策に従い軍港(竜岩浦)を提供するなど実質日本に攻撃を行ったからです。朝鮮人は元寇でも元に従い日本を攻撃した前科があり、危険な民族です。そこで日本が自衛上支配したのです。これは国際的に正当な権利です。日本統治下が善政であったとしても、目的は日本の生存です。朝鮮人が日本の統治についてアレコレ文句をいっても、ロシアの手下として日本を攻撃しようとした危険な行為とは比べ物になりません。
一切却下です。
広島志民 2004-12-11 21:49:19 No.94146
 反日敵視政策をとる国の反日教育反日感情 それによって生み出されるさまざまの不快な現象 悪罵や誹謗中傷、差別的発言 陰湿な嫌がらせ攻撃 それらの原因は、歴史にあるのだろうか。
中国で中国語を学ぶ際、『恨』という漢字は『中国人が日本人に対して抱く感情』としばしば定義されるそうである その根深い敵意が、中国のアイデンティティーでありそれは、朝鮮も同じである。
歴史をねじ曲げ捏造し言いがかりを付けてくる原因は、彼ら自身の民族性にあるのであり彼ら自身の責任なのである。
中国が経済発展すれば民主化も進み、中国もまた国際的作法を受け入れるなどといった楽観的ノー天気な風潮もあるが問題は、深刻である 無礼に対し毅然とした態度で対処することが必要で それがなければ正しい国家・関係を構築できない 親善どころではないのである 経済発展は民主化につながり、民主化は平和につながる、といったお経のような認識で毅然と対処できないことは、将来に渡り深刻な問題を引き起こす。
啓蒙主義者 2004-12-18 07:35:10 No.96867
そろそろアーカイブに入れて頂くとありがたいのですが。
無党派 2005-02-05 14:17:32 No.114612
私は啓蒙さんのファンです。テレビも観ています。

アーカイブ入りに賛同します。その為に上にあげます。
(経済音痴の)卑怯者 2005-02-05 16:23:01 No.114657
無知蒙昧者こと啓蒙主義者へ
 以前に、劉連仁という中国人が、北海道で畑の作物を盗んだ現行犯で逮捕された。調べにより、この中国人は戦時中に中国大陸の故郷で日本軍の関係者により拉致され、北海道のタコ部屋に強制連行されて鉱山で強制労働させられていたが、過酷な労働と、日常的な拷問に耐えかねて脱走し、山野に隠れ住んで、夏は田畑の作物を盗み、冬は人家から食料を盗んで、零下20度以下にもなる酷寒を、火の気もなく、ろくな衣服もない状況で、戦争終結も知らずに戦後十数年を生き延びてきたことが判明した。このような事実が判明したにもかかわらず、日本政府は、彼を不法入国者として犯罪人扱いをした。事態を知った中国政府の抗議で、彼に対する扱いは変わったが、同様な状況にあった小野田氏に対する扱いなどとは比較できない雑な扱いで、不当な強制連行や強制労働に対する補償はおろか、謝罪すらせずに中国に送還した。
 啓蒙主義者こと無知蒙昧の恥知らずは、no.03971
で「中国人の強制連行という、中共の仕掛けた、完全にでたらめな話」と断定しているが、劉氏の事件も「でたらめな話」というのであろうか。ペーパードッグである恥知らずの似非啓蒙主義者のことであるから、劉氏の事件も私のでっち上げであると強弁するか、私のこの投稿を無視するかであろうが、事実は厳然として存在する。この事実からペーパードッグの「強制連行なし」という鉄面皮な、大嘘の主張はその根拠を失ったのである。太陽が存在し、地球がそれの周囲を回っていることが事実であるように、日本人による外国人の強制連行は事実として存在した。北朝鮮による日本人拉致はそれを真似ただけである。現在の北朝鮮の実情および行為は、過去の日本の鏡である。
雄一老 2005-02-05 16:34:45 No.114663
 啓蒙主義者様、力作ご苦労様です。
 どんどん続けて下さい。北朝鮮の意を受けてのコメントもありますが、無視!!無視!!

 
サンダ−バ−ド 2005-02-07 17:12:35 No.115281
雁屋哲が今週号の美味しんぼでまた登場人物に反日
発言をさせております。

「中国人はなぜ日本ばかり責めて香港を100年も統治した英国には抗議しないのか」
「英国は香港に文化を与えてくれたが日本は侵略して
奪うばかりだった」
後はお約束の「日本は過去を清算していない、だから
アジアから信用を得られない」
ちなみにこのセリフは山岡とその後輩のものです。
こういう自虐史観はいい加減にしてもらいたいもんですなあ。
月下般若 2005-02-07 17:40:21 No.115298
「美味しんぼ」の作者は,オーストラリアがなぜ無理をしてあれほど巨額の資金援助を行うのかという本当の理由が,どうやらまるっきり理解できていないようだね.東南アジアからインド南東部にかけて被害にあった大量の難民が,自分達白人居住者が主流を占めるオセアニア大陸に押し寄せてくることを極度に怖れている為なのだが,それは必ずしも純粋に人道的な立場からの美談などではない.地政学的そして白人至上主義的な観点から冷 酷に計算され,中長期的な国益を充分考慮した上で策定された国策なのだ.
異端の猿 2005-04-13 15:04:49 No.143857
アーカイブには入れないのですか?


啓蒙主義者 様

緻密な情報に基づいた論理展開に敬意を表します。
有難うございました。
長沢陽一 2005-04-14 05:57:33 No.144155
時期的にまさに正論、大歓迎、捏造の朝日はこれでますます、苦境に突入、国益擁護法成立で朝日、在日外国団体を潰せといいたい。
1
YouTube 公式サイト正式オープン ベターライフ番組表 番組配信スケジュールはこちら チャンネル桜のあの人気番組がDVDに!!